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2018.4.14 東京大衆歌謡楽団 at浅草カナリヤホール

母がYouTubeで見つけたという東京大衆歌謡楽団。見てみると、この平成も終わろうという時代、現実に存在しているのかも疑わしいクラシカルなスタイルの方々が映っていました。
あまりにも現実離れしているので、むしろ一周回って新鮮なほどです。
しかも若い。なぜ今この昭和初期の音楽を?
疑問だらけだったので、今年の1月に浅草神社の奉納演奏を拝見しに行きました。
御朱印帳を神社にお預けし、暖かい日なたでぼーっと待っている時に、すぐ目の前を大きな人影が左から右へ、すーっと横切って社務所に入っていきました。
東京大衆歌謡楽団の方々でした。
細く背が高い人、更に背が高い人、更にガタイがいい人。背が高いだけでも目立つのに加え、昭和のブロマイドから抜け出たようなスーツで七三分け?のスタイル、目立つ目立つ。
私も女性にしては背の高いほうなのですが、見上げるぐらい背が高かったです。
おお、これがYouTubeのあの人たちか。ときめくぞ。たぶん、ユーチューバーに憧れる小学生が実際にユーチューバーに会った時もこんな感じに違いない。

境内のライブ会場には赤い毛氈がひかれ、どこからか椅子も運び込まれ(ほんとにいつの間にか並んでた)、人生の大先輩の観客の皆さんがお待ちになっている。
2回のライブのうち1回目を観たのですが、すごい。声の張り、アコーディンの音色もすごいが、途切れなく帽子に入れられるおひねりの様子や観客の静かな熱気も感じてすごい。ボーカルの人はおひねりの度に腰を深く折ってお辞儀するのだけど歌声がいっさいブレない。細いけど実は体幹や肺活量すごいのだろうか。こんなの初めて見た。
あと、アコーディオンが美しくて、演奏する手ばかり見てたような記憶。


で、母もライブで観たいというので予約しましたカナリヤホール。せっかく上京するので昼の部夜の部共に。
昼の部は全体的に華やかで明るい歌、夜の部はそこに切なくロマンティックな歌が加わったような印象。知らない歌もありましたが楽しかったです。
昼夜どちらも2部構成でたっぷり聴けて、合間の休憩で昼はほうじ茶と生菓子、夜はアルコールとおかきなども食し、何ですかこの至れり尽くせり感は。
隣のお客様にも親しくお声をかけていただきました。なんだか皆さんいい方ばかりだ。素晴らしい。

以下、母のメモによるセットリスト(夜の部のみ・全部ではないそうです)
東京行進曲
東京娘
純情二重奏
上海の花売娘
夜来香
ラ・スパニョーラ
丘は花ざかり
憧れの郵便馬車
夢淡き東京
浅草の唄
なつかしの歌声
長崎の鐘
雨のオランダ坂
芸者ワルツ
丘を越えて
二人は若い
東京ラプソディー
東京の空、青い空
憧れのハワイ航路
憧れの住む町
私の青空
酒の中から
お富さん
南の花嫁さん
涙の三人旅
赤いランプの終列車
流れの旅路


メンバーは、
ボーカル・高島孝太郎氏(長男・蘊蓄)
アコーディオン・高島雄次郎氏(次男・くせ者)
ウッドベース・高島龍三郎氏(三男・重役クラス)
バンジョー・高島圭四郎氏(四男・大物の雰囲気を漂わせる新入社員)

個人の印象です。
MCで健康の話題から孝太郎氏はキラーT細胞がどうの、とか言ってたww
もともとSMAPの兄弟設定大好きなんですけど、こちらはなんといっても兄弟(本物)ですよ。すごい(何が)。
ちなみに母は雄次郎氏ファンです。私は、ライブで孝太郎氏の表情が時々おすまし顔から土砂崩れ笑顔一歩手前ぐらいになるのを見て、ちょっと気になる人になりました。(余談)

浅草神社、カナリヤホールと直接聴いてみて、この方々の真面目さと本気度を感じました。特に、カナリヤホールでの観客を巻き込む熱さは半端じゃなかった。
路上やイベントなど、様々な人が集まる中ではきっとあまり理解のない言葉や態度も投げられたであろうことを考えると、SMAP中居さんがコンサートで時々嬉しそうに言っていた「ここには(自分たちを)大好きな人しかいない」という状態がこの場所の生き生きとした熱さ、昭和歌謡を媒体にした純粋で伸びやかな空気を形作っているのだろうと思う。

思ってたよりずっとライブが良かったので、これから更に人気が出てもっと忙しくなると予想していますが、元気でご活躍されることをお祈りしております。
私も母も、また聴きに行きます。(断言)

東京大衆歌謡楽団 公式サイト

ラ・スパニョーラ

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熊本旅行記

11月2日(水)
仕事帰りに福岡に飛ぶため、仕事帰りに羽田空港へ。幸い仕事は早めに終わった。広い羽田空港の連休前、同行のEちゃんと出会えるかどうか少し不安だったが、人混みの中で向こうからやってくるのを見つけた。
夕食として3種のおこわおにぎりがセットになったものを買った。
ひとくちおこわ
空弁というのか、種類が多くて迷った。

久しぶりの飛行機にドキドキする。乗り物としては圧倒的に新幹線が好きだ。飛行機は着陸の時、耳がキーンとなってなかなか治らなくて。
熊本泊なのに何故福岡空港行きを選んだかといえば、九州新幹線に乗りたかったからだ。空港と博多駅は近いので、チャレンジしてみた。
時間的には割と余裕だったが、ここで九州新幹線の罠が。豪華で有名な「つばめ」に乗ろうとしたら、途中の駅をすっとばす「みずほ」が先に熊本に到着するらしい。速いのだから「つばめ」より豪華なのでは? 乗ってみて思った。
「普通……」
特に豪華じゃなかった。というよりいつも乗ってる新幹線と同じような雰囲気だった。惜しい。
熊本駅で隣のホームに止まっていた「つばめ」の外観を撮影して少し満足した。
ホテルまではタクシーを使おうとしたが、「東横イン」の滑舌が悪かったらしく降りてみてそこが「東急ホテル」であることに気づいた。「東横イン」の看板が見えたのでそちらに向かったが別支店だった。おっと。
そこにあった地図を頭に入れて、予約を入れたほうのホテルに向かった。初日からちょっと凹む。
とりあえず、缶ビールで乾杯して就寝。


11月3日(木)
ホエールウォッチングの日。JRから電車&フェリー往復の割引回数券が売られていて、予約してあったのを熊本駅のみどりの窓口で購入する。三角駅で降りてフェリーに乗って天草に向かう。三角駅は小さくて可愛らしい駅。
時間があったのでランチ。海鮮ワンプレートみたいな。これが当たりで美味しかった。お刺身やばいほど旨い。
シークルーズという会社で予約したんだけど、メールの問い合わせに丁寧に答えていただいて、前述のお得な回数券についても教えてもらった。
シークルーズ
2枚きっぷ
ホエールウォッチングのフェリーは香港からの団体客で混雑していた。ライフジャケットを装着すると、エンジンの音が次第に大きくなり速くなっていくが、ずっと島影があって凪いでいる。
ひときわ大きな島を通り過ぎる時、ガイドのお姉さんが「あれが長崎県の島原です」と説明してくれた。近い。天草って長崎じゃないの?と勘違いしてたのはこれだけ近いせいだったか。
1時間ほど走って目的のスポットに到着する。1年を通して98%の確率で野生のイルカが見られるそうだが、海は広い。ずっとそこにいるとは限らないのに大丈夫だろうか。イルカの気分次第でこの先会社が傾くことはないのだろうか。(余計なお世話)
そんな心配をよそに、海面を見ていた団体客がわっと歓声をあげた。ミナミバンドウイルカの背びれがいくつも見える。フェリーがそちらに向かう。
1頭の背びれが見えると次々と海面に姿を見せる。こんなに集団のイルカを見たのは初めてだ。
見つけるたびに団体客が大騒ぎするので助かった。あっちか!今度はそっちか!っていう具合に(笑)香港からのお客さんたちは感情を判りやすく表現する。静かになんてしない。驚きも笑いも隠したりしない。シャッター音と一緒にとても騒がしくていっそ清々しい。
イルカたちは何度も何度も姿を見せてくれた。ガイドのお姉さんによると100頭ぐらい見えたらしい。当日の1回目は数頭しか見つけられなかったが、今回はちょっと珍しいほど集まっていたそうだ。
私も友人も感激して熊本市街に帰ってきた。

夕食にと目星をつけていた店は残念ながら予約でいっぱい。ふらふら歩いて最初に目に入った「馬刺し」と書かれた店に入った。
ここが大当たりだった。
馬刺しも美味しいし、海鮮サラダもなかなかだし、焼酎も揃ってるし。
なんといっても驚いたのは辛子レンコンを頼んだら天ぷらが出てきたことだ。アツアツの天ぷらの中に詰められた辛子はちょっと辛みがマイルドになって旨みが凝縮されている。サクサクのレンコンだけでも美味しいのに、辛子が輪をかけて美味しいものだから、もうアメイジング!な食べ物になってる。
締めに頼んだあら汁も、こんなに魚の身が残ってますけどいいんですか!?な旨さで、まあ大変。
また熊本を訪れることになったら行きたいお店です。
魚粋


11月4日(金)
今日は山。阿蘇山方面へレンタカーでドライブ。
免許は持ってるけどペーパー歴10年以上の私なので、運転は全部Eちゃんにおまかせで。ありがとう、かたじけない。
ならば私が完璧なナビを、と思ったらナビついてた。2人してナビに不慣れなもので、いろいろ触ってたらハザードが出た。キャー!なんでだよー!壊れた?車壊れた?と路肩に停めたら、どうやらナビ画面のすぐ下にあるハザードランプボタンを私が押した模様。すまんかった。勝手に車のせいにしてすまんかった。

いまきん食堂には行きたかったものの時間がちょっと早すぎたので、ノートに名前だけ書いて阿蘇神社に向かう。
阿蘇神社
神社本殿ではなく、門とその横の建物が地震の影響で潰れてブルーシートがかけられていた。神社の近くにあるボロボロの掘っ建て小屋は平気なのに、そこだけ集中的に壊れている。共振の波長とか屋根が重いとかいろいろ理由はあるのだろうが、実際に目にするとそこが神社のせいもあって、被害を集中して受け止めてくれたようにしか見えない。不思議なことだ。
再建のため、少額ではあるが寄付してきた。
あと、水がとても美味しい。びっくりするほど美味しい。
いまきん食堂に戻ってみると、びっくりするほど列が伸びていた。2時間待ちだという。まあ仕方ないと思いつつ駄目もとで、ノートの先のほうで二重線で消されてない自分の名前を言ってみたら、すんなり入れていただけた。こっちがびっくりして一瞬動けなくなるぐらい普通に。本当にありがとうございます。
あか牛丼はローストビーフに温泉卵という最強の布陣。味が濃厚かつ牛肉が柔らかくてどんどん食べちゃう。たいへん美味しゅうございました。
いまきん食堂

いよいよ阿蘇山大観峰へ。
阿蘇山というのはあまり見たことのない山で、町が360度の平らな山脈に囲まれている感じ。上がギザギザでなく平ら。大きな誰かが刀で薙ぎ払ったようにスパッと平ら。下生えやススキはあるけど木はあまり生えておらず、岩が向きだしになっている。あまり堅くはないようで、あちこち大きな崩落の箇所が見える。
大観峰でその全貌を見渡すことができた。
つまり、ここはとんでもなく大きなカルデラ(噴火口)なのだった。はるか昔ドカンと山が噴火して吹き飛び、その後中岳(噴火中、白い噴煙が上がっている)が下から押されて盛り上がった。人々は噴火口の中に道や家を作って住んでいる。
阿蘇大観峰
雄大と言ってもまだ足りない。とにかく大きい。気が遠くなるほど広い。旅行前、中岳噴火で心配になってメールしたけど、熊本友人が「ああ、あそこはいつも煙出てるから」と意に介さない返事だった理由がわかった。
デカイからだ。
中岳の噴火はこのデカイ阿蘇のほんの一部にしかすぎない。あちこち通行止めで不便ではあるけれど、山自体はビクともしない。
パラセーリングっていうの?パラシュートで空中散歩を楽しんでいる人もいた。さぞかしいい眺めだろう。
売店のソフトクリームがズッシリとして美味しかった。

近くの観光地を写真で説明しているボードがあって、鍋ヶ滝という場所に行ってみることにした。水源地へ行こうとしたらみどりの窓口の人から通行止めマップを手渡されて諦めかけていたのだった。
鍋ヶ滝はもっと山の奥かと思ったらけっこう村落の近くだった。
急な階段を降りるとどんどん滝の音が大きくなって、寒くなってきた。
幅の広いその滝はせり出した岩から落ちているので、えぐれた滝の裏側を通って向こう側に行くことができる。裏側から見る滝はとても綺麗で感動した。
鍋ヶ滝
涼しいので、夏、滝を見ながらビール飲んだら気持ちいいだろうなと思ったり。さっきの大観峰もそうだけど、この滝も見ていて飽きない。いいぞ熊本。

寒くなったので温泉に寄って帰ることにする。杖立温泉という名前を見つけ、ガイドブックから適当な旅館名をナビに入れてみた。
なんかとんでもない山中に連れて行かれそうになった(笑)こんなカーブ曲がれない無理。ということで別な旅館名を入れると、今度はすんなり
「ようこそ杖立温泉へ」という文字のある温泉街に出た。
共同浴場らしききれいな建物があったのでそこに入ることにした。ここも当たり。整えられた日本庭園の中にいくつもの湯船があるようなスタイルで、気持ち良いことこの上ない。
湯上がりに飲む冷たい水も間違いなく美味しいやつ。今度はこの温泉街にも泊まってみたい。
吉祥の湯
行き当たりばったりながら充実した1日を過ごして、さあ帰りましょう。とレンタカー屋さんにナビをセット。
あれ?来たのとは別の道に行くの?あれれ?ちょっと待って「大分県」って書いてあったの何ですの?完全に紅葉がきれいな山の中コースなんですけど。いっぱいトンネル出てきたし薄暗いしタヌキとか飛び出してきそうですけど。こっちでいいとナビ様がおっしゃるのでそのままずんずん進むしかない。なんだか急カーブだけどこのまま進んで通行止めとかにならないよねまさかねあはは。でも最近の通行止め情報入ってるのかなこのナビ。(不安)
みどりの窓口でもらった地図は大ざっぱなので距離感さっぱりわからず。とりあえず、時々出てくる○号線の文字を頼りにどこらへんなのか予測しつつ進む。むしろ通行止め情報が入ってるからこの道になった可能性。
レンタカー屋さんが閉まるまでにはまだ時間があるからきっと大丈夫だねなんて言ってたら、熊本市街大渋滞。まさかの。
けっこう毎日夕方から通勤渋滞が起きてるらしいので、熊本旅行でレンタカーを利用する際はお気をつけて。見事にどこもかしこも渋滞です。
遅くなる旨を電話して、それでも15分後ぐらいには着いたから良かった。


11月5日(土)
今日は市街地を巡ることにする。
熊本城はまあとんでもなく大きな城で、加藤清正氏がんばった!敷地に入る前からお堀の石垣が崩れているのが見えた。
熊本城
中に入るとテレビで見た櫓の崩れた様子がそのままで痛々しい。広い場所に番号の付いた石が並べられていて、これを積んでいいくのかと思うと気が遠くなる作業だ。
偶然、熊本城まつりに当たり、ちょうど流鏑馬を見ることができた。両手を離して走る馬から矢を射るというのは超絶技巧だと実感した。流鏑馬愛好会?へのお誘い、みたいなアナウンスも流れた。
でかいゆるキャラもいたよ。
ひこまる
奥に進むにつれて崩れた天守閣が近くなってくる。屋根に雑草が生えているのまで見える。こんな立派な建物がやっと建っているのを見るのはつらい。
熊本の人らしきおじさんたちが「完成するまで生きていないと」みたいなことを笑いながらサラッと話しているのが聞こえてきた。心で「そうだそうだ!がんばれおじさんたち!」と応援する。
いくつかの神社で御朱印をいただいた。

市電で水前寺公園に移動する。駅を降りると、目の前の定食屋?みたいなところに急ぎ足で入っていく人たちを見た。
やけに気になったのでそのお店に入ってみた。
いろは(五郎八)
ちゃんぽんを頼んだらこれが絶品で。具の野菜がとにかく多いからヘルシーにお腹いっぱいになった。たぶん、馬刺しも美味しいはず。ああ、うちの近くにこんな店があればいいのに。
水前寺公園はそれほど大きくはないが、透明な水が湧き出た綺麗な場所。地震の後は枯れたということだけど、また湧き出して良かった。
水前寺公園
細川家の殿様が2人、銅像になってるんだけど、どちらもどことなく細川護煕さんに似てた。
猫さんが日なたぼっこしてて、触らせてくれた。
近くに夏目漱石が借りていた家があるというので行ってみた。ちょうど「夏目漱石の妻」観たし。
夏目漱石内坪井旧居
小じんまりとして気持ちよさげな日本家屋。ガイドのおじさんが多弁な方で、漱石は家にいたくないから何日も歩いて旅をしていた(散歩という距離じゃない)とか、ある写真の背景がこの建物の縁側なのを説明してくれたり、隣の完全に潰れてしまった洋館(ブルーシートで覆われている)で日本赤十字が生まれたことも教えてくれた。
それほど歩かないというので、くまもと文学・歴史館で「漱石と熊本」展も観た。こまごまとした堅苦しい仕事の手紙や、俳句の短冊、ざっくばらんな正岡子規への手紙など。意外に漱石尽くし。
くまもと文学・歴史館
水前寺公園かららしい川が近くに流れてるんだけど、それがまた清流で。市街地をこんなに澄んだ川゛流れてることに感激した。

夕食は熊本の慎吾ファン、慎吾ファンのお友達の中居ファンとともに中華で夕食。Eちゃんが木村ファンで私が吾郎ファンなのであと一人いれば完璧(笑)
ドラゴンキッチン本店
こことても美味しい。いろいろ食べて飲んだけどどれも美味しかった。
熊本、食に外れなし。
兵六餅
天草で買ったこれがあまりにも気に入ったのでスーパーに寄ってもらった。買い占めるいきおいで(笑)
ちょうどSMAPベストの曲が決定した時期だったので4人でカラオケに。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


11月6日(日)
東京に帰る日。
空港に向かう道すがら、益城町を通ると崩れそうになったままの家が多かった。洗濯物が干されていたから、住まざるをえないのだろう。事情は人それぞれあるのだろうが、無事で先に進めますようにと祈るしかない。
熊本空港で買った温かいいきなり団子が大きくてすこぶる美味しかった。プレーン、よもぎ、紫芋。プレーンとよもぎを買ったけど、どうして全種類買わなかった自分!
たぶん、熊本空港のものより美味しいいきなり団子にはもう出会えないかもしれない。それぐらい美味しかった。
いきなり団子

いきあたりばったり感が漂う今回の熊本旅行。何を食べても美味しかったし、いろんな方々にお世話になりました。ありがとうございました。
熊本はいいぞ。

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2016年2月 恋と音楽FINAL~時間劇場の奇跡~ atパルコ劇場

舞台の上にはもうひとつの舞台「グッドタイムシアター」ステージ。
北沢修司(稲垣吾郎)と峰麗子(真飛聖)のミュージカルが上演されている。と、そこに「やめろやめろ!」と客席から突っ込んでくる小倉久寛さん。誰?でも、舞台の2人は小倉さんに気づいていない様子。幽霊?
修司と麗子は表向き仲が悪いふうを装っているが、実は付き合っている。楽屋でラブラブな2人。修司は今夜、麗子にプロポーズしようとしている。
そこにスタッフが時計を探しにやってくる。この劇場のシンボルの壊れた古時計らしい。
スタッフがいなくなって幕の陰でまたイチャイチャしだす修司と麗子。すると、古時計が落っこちてきて動き出す。
そこへ一郎(小倉久寛)と花子(北村岳子)が現れる。不思議なことに一郎も花子も、それぞれが修司と麗子しか知りえない事実を知っている。実はそれぞれの未来の姿らしい。
だがなぜか、プロポーズを成立させまいとする一郎と花子。2人は、自分の不幸がすべてこの夜のプロポーズにあると思っていた。
自分の未来が失敗すると知っている者たちが反対しても、修司と麗子は結ばれるべきなのだろうか。


今回の舞台は3回観劇することができました。
正直、ミュージカルは苦手です。「えっ?歌うの?踊るの?」ってなるし、おおむねストーリーの詰めが甘く単純で、セリフの裏の裏を読んだり、一つのセリフで空気がガラッと変わるような複雑な会話劇が好きな私にはちょっと物足りない……という感じです。
ミュージカルの歌詞って「表」しかないじゃん。裏の気持ちはどこに?
ストーリーを歌で説明してどこが面白いんだろう、とか。(うるさくてすまない)
この「恋と音楽」シリーズも例外ではなく、特にシリーズ最初の舞台はあまり覚えてない。自分のブログを読み返して河原さんのとこ思い出した。
http://namaste56.blog.fc2.com/blog-entry-18.html
ちなみに「恋と音楽Ⅱ」はこちら
http://namaste56.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

今回は、劇中劇が「歌うハムレット」ということで衣装が豪華!ウェストが狭くなった裾の広がったキラキラ衣装がよくお似合いすぎて。エナメルの靴も輝いて素敵です。
あー稲垣さんシェイクスピア演ってほしい。「痴人の愛」でも可。
登場の衣装はちょっとすっとこ王子っぽいけどww
手の振りが全体的に優雅で背がピンと伸びている、去年の「No.9」での身振りを思い出した。
で!
最初のほうの楽屋シーン、こっち向いてる鏡台が枠だけなんだけど、その中からシュウ♪の目線が!私に!!真っ直ぐ!目と目が!!シュウ♪の目は明らかに焦点合ってませんけど!!www私の目はロックオン!!
真っ直ぐこっちを向いていらっしゃるシュウ♪と、横から聞こえてくる真飛さんのささやき声が刺激的でですね!真飛さんってささやき声なのによく通るんですよ。なにゆえ?
ここで吾郎さんが片足ターンするんですけど、まったく軸がぶれない。横の小倉さんが逆にぶれぶれで面白かったー。
長椅子に座る姿は「ヴィーナス・イン・ファー」を思い出すね。脚ほっそ!なっが!!

歌はどれもラブ・ソング。甘ーーーい!(古)
そうね、恋愛っていつも自分のがオリジナルだものね。第三者が見てどれだけ陳腐であったとしても、自分の恋愛が一番輝いてるし、自分の失恋で誰よりも傷ついたと思うもの。
そんなどこにでもありそうな、男女のすれ違いの物語に、小倉さんと北村さんが大人の経験でスパイスを添える。
疑い、誤解、説明不足。
それでも歌う!だからこそ踊る!
「トラブルの種は自らの中にある」
「心をこめて願えば未来は変えられる」
「どんな未来が待っていたって、僕は恐れない」
おぅ、ストレートすぎますYo!

そして未来。
貴族の黒い服(金のふちどり付)がまあよくお似合いで!
その前にピンクの貴族服もあったけど、そっちは「ゴローちゃんの服」。
黒い衣装は「稲垣様の御衣裳」といった面持ちで、出てきた瞬間客席が「ほぅ」っていうため息でさざめいた。(まじ)
夢の世界なのか現実の夢なのか、混乱しそうになりつつカーテンコール。

吾郎さんになって出てきた!
ゴローちゃんでも稲垣様でもシュウ♪でもなく、まさしく吾郎さん。
薄絹をハラッと脱いだような、吾郎さんの顔なんだけど吾郎さんじゃない、いつものSMAP吾郎さんがいました。
毎回不思議だ。
目撃した人なら同意してもらえると思うけど、終わると速やかにSMAPの吾郎さんに戻る。
ふわっ、と。

吾郎さんの好きなところを、いつもパルコ・プロデュースの舞台で気づかされる。
顔やスタイルではない、性格でもない。
いや、それらも好きだが、吾郎さんを意識するようになってから徐々に好きになってきた感じだ。
では最初に見つけたのは何か。
それは……
ふうわりとして邪魔にならない、自然で綺麗な、LOVE。
いつのまにかそこにいて、けれど決して近づきすぎないし優しすぎもしない、居心地のいい、LOVE。
雰囲気、と呼ぶには理想的すぎ、気のせい、と呼ぶには具体的にすぎる。
LOVE、を形作ったその存在。

ポエムか!
私はなるべく冷静に、批評家のように、稲垣吾郎という舞台俳優を見て痛い。違う。見ていたい。
ダメなところはダメだときちんと書きたい。
でも無理。
舞台の度にまた新しく好きになる。
キュートと男らしさは矛盾しない。強引なほどの牽引力を、彼の存在に感じる。
感受性が鈍くなっていない全ての人(男性・女性問わず)の憧れを具現化したらきっと吾郎さんになる。
ずっと観ていたいものが、この場所には存在している。

人間が炎の中に精霊を見たり、
岩に絵を描いたり、
揺れる心を詩にしたり、
そんな根源的な衝動と、
恋と、
音楽と、

稲垣吾郎さんと。


カーテンコールで、
「30年後の未来が歪んだものにならないようにがんばります」
「未来は変えられる」
そんなことをサラッと、当たり前のように、疑いもなく語る、稲垣吾郎さん。
はーーーーーー!
現実かなーーーーーーーー!?

ぜひ、ぜひ、未来の末席に座らせていただきたい。
こちとらあんまり未来の時間ありませんけど、なるべく、がんばりますから!
いつか、また!
舞台の上の吾郎さんに、恋させてください。

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2016年3月26日、27日「佐野元春35周年アニバーサリーツアー東京公演」 at 国際フォーラムホールA

珍しく2日連続で参加したアニバーサリーツアー、行ってよかった。
もう一週間が経とうとしているのに、まだ胸の真ん中に熱いものを感じています。

1日目はステージに向かって右側。後ろの列にカメラが入っていてチケットを販売しなかったらしく、私の右横全部に人がいなかった。ゆったり観られて満足(はみ出しすぎてカメラの邪魔にならないように注意しながら)。
2日目はちょうど逆、Dr.KyOnさんと長田進さん側。やったね!

ライヴ時間は3時間半。曲数は35曲。(35周年だから)
オモシロMCはあるけどほぼノンストップ。
このツアーのネタバレは避けてたから3時間半のステージということだけは知ってたけど、途中で休憩入るものだと思ってた。
割りと休憩挟んでたツアーあったじゃない。それがまさかのぶっ続け。(ライヴ中、「レインボー・イン・マイ・ソウル」後あたりで休憩じゃね?とか予測してたんだけど外れた)

しかも、その35曲の熱量がどれもすごすぎる。生きるって体力!って思った。
MCで佐野さんは「みんないい感じ? 疲れてない?」って気遣ってくれるんですけど、あなたたちこそ疲れてないんですかー!?と心で突っ込んだ途端に「僕たちもずっと立ちっぱなし。(バンドに)疲れてない? 当たり前!」って一人疑問と回答出されて笑う。
もうほんと、佐野さんが絶好調で私も嬉しい!
あと、「デビュー当時のルイードのライヴは女の子たちは制服なんかを着ている子もいた。男の子たちは何だか……何だか……似合ってるのか似合ってないのかわかんない服を着て、その辺でギャーギャー言ってた」って。
ギャーギャーwwひどいwww
あと、1日目のMCでは「あの頃と比べると、(客席を眺めながら)女の子たちはお化粧が上手くなった。男の子たちは……(頭に手をやる)」ってのもあったな。
ひどい!ひどすぎる!wwwそりゃあ佐野さんはフサフサですけども!ステージ上からだとさぞかしよく見えるでしょうけども!!wwwww
その後で「僕の曲をいつかどこかで発見してくれてどうもありがとう」「僕も皆さんもいろいろな事を乗り越えて、奇跡的にここに集まってきたこと。これまでずっと頑張って生きて、サバイブしてきたこと。自分のこと、誇っていいと思うよ」とか言われたらもう泣くよね。
こちらこそ、佐野さんが自身の曲を作って、歌ってくれてありがとう。佐野さんの足元にも及ばないけど、私も私なりにサバイブしてきたんだよ。知っていてくれてありがとう。
いくら感謝してもしきれない。

いつも現在の佐野さんの歌を伝えてくれるおかげで、私の横にはいつも佐野さんの曲があったし、これからもあり続ける。
佐野さんの声や歌い方は全盛期とは違うし、思うように出なくなっているんだろうけど、そこも含めて「リアルな現実」として公開する。相当の覚悟と柔軟性、更に至高のエンターテインメント性まで感じさせるところ、私の知ってるあるアイドルグループに似てる気がするんですよ(当社比)。

還暦という言葉を知らないふうで「そんなお祝いライヴはやらない」「60とか35とか、そんなのただの数字だ」と言い切る佐野さんは相変わらずかっこいいですし、たぶん普段本当に忘れてると思う。
インタビューを読むと、特に数字に関して(あれ?違うよ佐野さん)って思うことがあります。これ本人忘れてるのに言い切っちゃう癖があると思われるので、編集部の人は内容を確認してくださいね。(突然のメッセージ)


1曲目から「シュガータイム」という選曲がタマラナイ。
ここから80年代くるのね!と思ったら2曲目「優しい闇」(最新アルバムから)で気持ちよく裏切られる。
佐野さんが持ち続けた揺るがない芯と、増えていった痛みと、変わり続けてきた知恵と。
ホントにいろんなアルバムあったなあ。どれも好きだよ、とか考える暇もなく「ヴィジターズ」「カム・シャイニング」「ワイルド・ハーツ」のアルバム『ヴィジターズ』から3連続でぶっとばされる。
深沼さんの鋭いカッティングギターの合間を縫って長田さんのギターがメタルかっつーぐらいにギュインギュイン鳴ってて、そこに佐野さんのギター&時々KyOnさんのギターという4本体制はビートの奥行きがすごい。
こういう驚きは何度でも楽しいし心地よい。
どの曲だったか忘れたけど、KyOnさんが渡辺シュンスケさんを遠隔操作?してキーボードを弾かせてる遊びやってて、これこっちから観てて超楽しいんだけど佐野さん気づいてるんだろうか?(笑)

「君をさがしている」はアレンジに大幅な変更が加えられていてびっくりした。変わりつつ変わらない。そうだいつも佐野さんはそういう人だった。
何度も何度も、マイルストーンのような彼の存在と音楽に感謝を。

コヨーテバンドパートは最近の曲だけど、有名な曲と同じかそれ以上に盛り上がる。
ステージの背景が最新アルバム『Blood Moon』のジャケットのような光景になる。積みあがった小さな箱。
「境界線」で腕を水平にしてグルグル回すパフォーマンス、飛行機ダンス?っていうんですか?ちょっと恥ずかしくなっちゃってできなかった。ごめん佐野さん。次こそきっと!
「赤い月」→「私の太陽」→「東京スカイライン」この流れ好き。
ドンドコドラムの強いビートに、ギター音とキーボードが綺麗に絡むアレンジ、好きなので。もっと圧迫してくれー!って思った。

かーらーの!

「ボヘミアン・グレイブヤード」と「レインボー・イン・マイ・ソウル」を経て「誰かが君のドアを叩いてる」「ヤング・フォーエバー」「星の下 路の上」「世界は慈悲を待っている」はやばいわー。ずるいわー。
明るい夜明けとともに新しい一日と新しい痛みが始まるみたいな流れじゃんこれは。何度でも、何度でも、起き上がって日々をサバイブしていく人たちに祝福を。GRACE
ここで渡辺シュンスケさんとWピアノで「ジャスミンガール」だったのは何故だろう? いや別にいいんですけど、「レインガール」のほうが好きかななんて……ああっすみませんすみません。

「約束の橋」が発表され、数年後にドラマ「二十歳の約束」の主題歌になって大ヒットした頃は若い男女の出会う細い橋だった。でも今のアレンジはとんでもなくなっていて、老若男女だけでなく車も電車も長距離トラックも飛行機もロケットもみんなここを渡って向こう岸と行き来しようぜ!ってぐらいに幅広く強固になっていた。ほんと、こういうとこたまんない。何度も言う。かっこいい!
どうしようもなく気持ちが最高潮になったところで「SOMEDAY」がやってくる。
満を持して、ではなく、流れの中で自然に。ここまでの大ヒット曲が、なんと、自然に、訪れた!
イントロでの小松くんのドラムがほんと、これでもかってほど力強くて、小松くん、実は今まで爪を隠してたんじゃないかってぐらい。
コヨーテバンド、なんだかすごいバンドになっちゃってさ!!
「ロックンロール・ナイト」「ニューエイジ」「アンジェリーナ」まで魂の発露だった。爆発してた。
佐野さんの魂だけじゃなくて、観客一人一人の魂も共鳴して高く舞い上がっていた。
振ってきた星屑はキラキラと綺麗だったけど、これステージ上の佐野元春 & THE COYOTE GRAND ROCKESTRAさん側が一番綺麗に見えてるでしょっ。
このキラキラが私たちの気持ちです。受け取ってくださいって感じだ。(演出に乗っかってみた)

アンコールでは深沼さんと佐野さんで「グッドバイからはじめよう」。
終わりははじまり。
忘れそうになるけど、また思い出した。
終わりははじまり。

アンコールで舞台袖にハケる前、バンドが横一列に並ぶと、高桑さんとKyOnさんの間の人が子どもみたいに見えるのを発見(笑)
あと、長田進さんがこっち見ないでgood!と親指たてて観客を称えたの、ものすごくかっこよかった。長田さんのギター、中毒性あると思う。何度かゾクッときた。

「国のための準備」
ちょっwwwはげしいわ佐野さんwwwww
この曲がねー、一週間経っても頭から離れないんですよ。
国のための準備はもうできてるかい?と何度も問いかけるこの曲。会社のための準備はもうできてるかい? 上司のための準備はもうできてるかい? 事務所のための準備はもうできてるかい? などいろいろ汎用性がありますのでどうぞお使いください。

でもって欲しがりやさんめ、とばかりに始まる「悲しきレイディオ」。火がついた会場、歓喜に震える。
35周年記念の白い風船が降ってきた。1日目はちょうど上に風の吹き出し口かなんかがあったみたいで全然降ってこないであっちに行ってちゃってた分、反対側だった2日目は風船の海になってた。もう取りほうだい(笑)

初めて佐野さんのコンサートに行けた「ビジターズ・ツアー・スペシャル」を思い出した。
人気絶頂でニューヨークに渡って1年、戻ってきたかと思ったら渡米前よりチケットとれなくなっちゃってて、手に入るかどうかも分からないままにミゾレ降る横浜市体育館当日券列に朝から並んだ思い出。
寒かった。足先も指先も冷えきって、入れる保証もないからとても心細くて、一人でずっと立ってた。
見切れもいいとこの席が開放されて、佐野さんが奥に下がると見えなくなってしまう席だったけど、そんなのたいしたことじゃなかった。
「ヤングブラッズ」で大きな太陽と白いたくさんの風船が落ちてきたあの日、心がとっても高い場所まで舞い上がって幸福に包まれたのを覚えている。
体育館のギャラリー席だから白い風船は降ってこなかったんだけど、終わってから警備員のお兄さんが一個一個ギャラリーまでほうり投げてくれて、当日券の私たちは全員が風船をもらえた。ありがとう。
今でもその風船を持っている。

生まれてからこれまで私たちは、何か自分にとって大事なものを手に入れては頭に乗せることを繰り返し、崩さないようになんとか歩いている(もしくは立っている)のかもしれない。
崩れないように、ゆっくりと、細心の注意を払って。でも、崩れた時からまた新しい何かが始まるのかもしれない。
幾つになっても、この鼓動がやむまで。



『Blood Moon』佐野元春&ザ・コヨーテ・バンド
http://www.amazon.co.jp/BLOOD-MOON-%E9%80%9A%E5%B8%B8%E7%9B%A4%EF%BC%89-%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%85%83%E6%98%A5-COYOTE/dp/B00XHU2X0K/ref=ntt_mus_ep_dpi_2

「La Vita e Bella(ラ・ヴィータ・エ・ベラ)」
https://www.youtube.com/watch?v=hyjYWEqmag0

「国のための準備」
https://www.youtube.com/watch?v=Z89ktRDmxUk
(そろそろホーボーキングバンドの音も恋しくなってきましたよ、佐野さん)

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2015.10「No.9-不滅の旋律-」at 赤坂ACTシアター

自発的にチケットを買って行った初めてのコンサートはクラシックだった。
地方には本格的なクラシックオーケストラなんて来ないから、県庁所在地まで電車(汽車だったかも?)で片道1時間以上かかった。中学時代、放課後の掃除をぶっちぎり、友人と2人、終電覚悟で臨んだ小澤征爾指揮のクラシックコンサート。
写真でしか観たことがなかった有名指揮者は、写真のように頭がボサボサだった。「世界的な人」が目の前で動いていることが嬉しかった。
曲はなんだったか忘れた。交響曲だったと思う。ベートーヴェンだったかもしれない。気持ちよくて途中で少しまどろんだ。
有名なフレーズが始まって目を開けると、なんかすごい光景があった。
指揮者が体全体を揺らしていて、まるでその体と指先から何層もの音が出てくるクラシック機関みたいだった。楽器の音をまとめあげ、完璧に支配して昇華させていく指揮者の姿をこの目で見て、激しく興奮した。

数十年後、同じ光景と興奮を、ひとつの舞台から受け取るとは思わなかった。

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。音楽で、社会と軍隊、自らの運命と闘い続けた男。
耳の悪い音楽家。有名な交響曲やピアノソナタを何曲も作った人。学校の音楽室に赤いマフラーを巻いた絵が飾ってある気難しそうな人。
ベートーヴェンと家族の関係とか、耳が不自由なことでコンプレックスがあったんじゃないか、なんて考えたこともなかった。
音楽室の平面から突然三次元になって、魂を持った人間が目の前に現れたら誰だっておののく。

中島かずき氏の脚本だから、もっとエンターテインメントになるのかと思っていたら違った。ミュージカルでなく、奇をてらわず、割とオーソドックスにベートーヴェンの生涯を描いている。
私は正直、言葉で頭脳を揺さぶられる脚本のほうが好きだから、もっと翻弄されたい欲求はある(今のところ脚本はVIFが最強。当社比)。ただ、実在の人物を描く時にあまり冒険はしないだろうし、この舞台に関しては当時の社会情勢と絡んで積み上げていくような言葉と感情表現がハマっていた。

ほとんどがシリアスなストーリィの中、メルツェル(メトロノーム発明者)役の片桐仁さんがすごい。ベートーヴェンの醸し出す緊張感に巻き込まれることなく、確実に笑いをとっていく。変な髪型、補聴器、コーヒー豆、いろいろ頼まれる人、ベートーヴェンと対等にケンツクする人。
ベートーヴェンが支配する長丁場の舞台で、彼が話しだすと正しいリズムに戻る気がした。強いベートーヴェンに巻き込まれない、まさにメトロノーム男。

ヒロイン・マリア役は大島優子さん。AKB48の中で一番好きだった。最初に彼女を知ったのは映画「渋谷」。インディペンデントな映画で脇役だったけれど、やけに印象的な家出娘役だったのを覚えている。その後、AKBの人だというのを知った。
最初彼女の声を聞いた時は少しうわずっているように聞こえた。言葉はきちんと出ていて、とにかく台詞を話すだけでせいいっぱいということはなかった。演じながらマリアを掴もうとしてまだちょっとうまくいかないというか、自分の理解しているマリアを出そうとして方法が少しずれている感じ。
初舞台だからだろうとは予想していたが、そこからの彼女の理解力が素晴らしかった。
マリアの役は1幕と2幕の声音が全く違う。それは女性としての成長でもあるのだが、ベートーヴェンに近づいている証拠でもある。
ラスト近く、マリアの鼓動を触媒としてベートーヴェンの苦悩を光に導くとても大事なシーンがあるが、その台詞がスケジュール初めのほうでは少し速く、息継ぎも曖昧で、大丈夫なのかと少し不安になった。
けれど、その後、千秋楽に向けてそのシーンはどんどん良くなっていった。
白井さんの指導が入ったのかもしれないが、彼女の理解力の賜物だと私は思う。
小柄な体で存在感があった。これからも舞台の上での彼女を見てみたい。

ベートーヴェン家の三兄弟。弟のカスパールとニコラウス。
ベートーヴェンお兄ちゃんも含めて、クラシカルなスーツやマントがよく似合う、スタイルが抜群な三兄弟だった。
今回の舞台は19世紀初頭のヨーロッパ。裾の長いジャケット、袖のないマント、ハイウエストのドレス…どれもこれもクラシカルで上品で豪奢な衣装が素敵だった。
それを着こなす役者さんたちも。
弟たちを演じる加藤和樹さんとJONTEさんも素晴らしいスタイルなのに、それを上回る稲垣さんの胸板と脚の細さときたら、それはもう華麗で(BGM歓喜の歌)。
ベートーヴェンの放つ絶対的な熱量があまりにも大きくて、2人の弟たちは霞んでしまいそうでしたが、大丈夫。近所の人たちは、弟たちのほうが大好きだったはずだから!「お兄さんのほうは、作る音楽は素晴らしいんだけど、ちょっとお付き合いするのは…ねえ」とか言われてたはずだから!
足下はよく見えなかったのですが、ベートーヴェンは3足ぐらい履きかえていた気がします。

ベートーヴェンの恋人・ヨゼフィーネ役は高岡早紀さん。色気があるのは知ってるが、どのぐらいだだ漏れなのか。これは確認しなければ!
結論:ベートーヴェンとヨゼフィーネの色気は拮抗! 油断ならない一流の技と技の様相に、ピンク色の濃厚な色気が客席まで飛んできた感。キスシーン何回あった? あまりにも自然でびっくりするわ!!
感じいりました。拝む。

ベートーヴェンの父親・ヨハン役は田山涼成さん。激しいコンプレックスの固まりで毒をまき散らし、ベートーヴェンの失聴の原因を作る。
有能な医者ステファン・ラヴィックとの2役は、姿勢、声音など本当に別人の演技なのだが、同じ顔をしていることでベートーヴェンと客席に混乱をもたらす。

ヴィクトル・ヴァン・ハスラー役は長谷川初範さん。最初に観た時は、この役の存在意義がよくわからなかった。初めのほうでちょっと出てきてベートーヴェンから委任状とお金を奪う詐欺師。また終わりのほうで警察に追われつつちょっと出てきて終わり?
でも、フリッツとはまた違う角度から社会を眺め生き抜く目線が必要だったのかも。内に内に向かいがちなベートーヴェンとその周辺に、明るい彼が希望をもたらした。
ベートーヴェンは理解者である彼と話す時が一番楽しそうだった。ベートーヴェンの心から、思いもよらない晴れやかな気持ちを引き出してくれたのはハスラーだったのだろう。だから最後までベートーヴェンは彼を信じ、彼もその気持ちに応えた。

ナネッテ役のマイコさんは、少し声を低くした演技。硬質な職人としてのプライドを持つピアノ職人。ピアノへの愛が強すぎて、ベートーヴェンからの求愛を厳しくはねつける。ベートーヴェンレベルの厳しい職業意識を持っているからこそ、彼に女として見られるのを嫌がり、周りにそう見られるのも拒否する。
ナネッテの夫・アンドレアス役は山中崇さん。ピアノ職人としてはヘボだが入れる紅茶は美味しい。典型的な髪結いの亭主。自分よりも周りの人を優先させる彼だからこそ、マリアが自分を捨てて、音楽しか愛せないベートーヴェンを愛し、その支えになることを示唆できる。
「一番不幸なのは、その運命に目をつぶっていることだよ」
新しい運命への道を義妹に指し示す彼は、実はこの舞台の中で一番優しくとても強い。

フリッツ役の深水さん
TENGAさんから花が届いててワロタwww「みんなエスパーだよ」繋がりね。いい体してました。理想的な軍人体型というか、しかも背が高いからマントを着た時の威圧感がたまらなくいい。フリッツは体制を具現化させてる警察官の役だから、いかつい服が似合わないと話にならない。
観劇1回目のラストで彼が、ベートーヴェンが最初に「第九プロトタイプ」を披露した酒場のことを話した。あのシーンで確かにステージ隅にフリッツいたけど、どんな様子か見てなかったよ!と思って、2回目注意して彼を見るようにしてたら台詞の意味を理解した。
あそこはフリッツにももう少し強い光当ててたほうがいいのかも。なんて素人考えです、すみません。

青年のカールと少年のカール
後に自殺未遂を起こす、ベートーヴェンの甥っ子。倒されたり振り回されたりするけっこうきつい役を、よくこなしたね少年&青年!
青年カールのラストの「はい」は千秋楽が一番良かった。伯父をやっと理解したって感じ。

ヨハンナ役の広澤さん
カスパールの妻、カールの母。ベートーヴェンから嫌われて言われ放題の普通の女性。ベートーヴェンに関わってしまったばかりに、カールと共に運命を狂わされた人。
最初のほうでマリアの前に追い出されるメイド役も演じてたよね。声が伸びやかだし、フリッツとは一瞬なんだけど勘のいいやりとりだなと思ったら、やはり2幕で大事な役が。


頑固で偏屈で自分勝手、しかも音楽の才能だけは人一倍持っている音楽家・ベートーヴェンを中心に、多くの個性的な登場人物が関わっていくストーリイなので、脚本はそれを描くだけで3時間でも手いっぱいという感じだった(ベートーヴェンを探して追いかけるシーンが2度続くのはドタバタが過ぎるのでは?)。脚本の冴えではなく、人物の強さがストーリイを引っ張っていた気がする。
この舞台で際だっていたのは白井晃氏の演出だと思う。
壁1枚、マント1着、通行人たちが歩く方向、音楽などで表される場面転換、そっとピアノの角度を変えて去っていく通行人カップル、エキストラ(という名の合唱団)が楽譜を1枚残らず拾うことで次の場面にスムーズに繋げる。など、大道具も人も利用できるものは利用する。
大劇場だからこそ際だつ奥深くまで使ったステージ構成と、両脇に鎮座したピアノ3台生演奏の迫力ときたら! ピアニストの方々は演出通りに確実な音を奏でなければならないから、かなりの緊張感があったんじゃないかと推測する。
映画の説得力が映像にあるとすれば、舞台の説得力は演出にあるのを強く感じた。
どの角度、どのシーンも一瞬一瞬がすべて絵画のようだった。

今回は3回観劇することができた。2回目は2階席の一番前だったので、演出がよく見え、音のバランスも良かった。とにかく大きな舞台の手前から奥まで使っているから、印象的な照明や演出効果を全て知ろうと思ったら最適な席だと思う。
男性のマントや、女性のドレスの裾が丸く広がるのがとても美しい。中でも一番きれいに広がっていたのがベートーヴェンで、これは2階席からしか見えない。お得。
上から見ると、舞台のすべてがベートーヴェンの頭の中という気がする。最初のシーンが無音なのは彼が難聴であること、無表情なエキストラたちの拍手がスローモーションなのは彼がその演奏に満足していないことの現れだ。

幕は上がっている。真っ暗な舞台の上には左右にピアノが計3台。それぞれにピアニストが配置されている。
大きな中央の空間にもピアノ、ソファ。奥は暗すぎて何も見えない。
と、男が弱い光に浮かび上がる。
まさか板付きだったとは。いつからそこにいたのか、音も光も最初はぼんやりとしてはっきりと輪郭が掴めない。
徐々にピントが合っていく。
いつの間にか背景に現れた人々が拍手をしている。スローモーションの動きで。
この演出は普通じゃない。
舞台の奥から前に男が歩いてきた。
(誰だ?)
よく見たら稲垣吾郎なのだが、その纏っている雰囲気が彼ではない。顔にさす光で、魔物のような強いコントラストが形づくられている。
よく似た別人がそこに立っていた。
ベートーヴェンだ。
最初の冷や汗が流れた(気がした)。
登場シーンからとにかくそこにいるのは稲垣吾郎ではなくて、異様に底光りする眼、歪んだ人間が霧の中からぬっと姿を現したように見えて、ゾッとした。何が始まるのか、期待と不安が交差する。
真っ暗な頭の中の、揺るがない核。
私はベートーヴェン個人について何も知らなかった、と、後悔を一瞬感じる。

やがてその歪んだ傲慢さは父親の影によるものだとわかる。父親からの心身への暴力にも関わらず自分(の意志)を認めてほしくて反抗しながら自己主張し、それをことごとく潰されてきた幼いベートーヴェン。
自分がまだ何者でもないうちに、大人から「お前は何もつかめない」と言われることがどれだけの呪いになるか。
おそらく父親も宮廷音楽家の夢破れ、子供を自分より大きな存在にしたくないから、自分のコンプレックスと卑劣さから目を反らし続けたんだろうけど、やられるほうはたまったもんじゃない。
それでも彼が弟たちと口喧嘩したりわがままを言いながら、なんとか社会の一員として生活し恋愛している様子は微笑ましかった。多少面倒くさくはあるが、ただ自分の感情にも意志にも嘘をつかない男として見れた。
恋人ヨゼフィーネとは何度もなかなか濃厚なキスを交わしてたし、やるなベートーヴェン、ヒューヒューだよ! 癇癪ルードヴィヒがまた可愛らしく楽しくてな。1幕までの話だけど。
同じ成り上がり者としてナポレオンに親近感を持ち、「英雄」を作るほどだったベートーヴェンだが、フランス軍がウィーンを占拠するとヨーロッパは一気に不穏になる。
1幕終わりで「第九プロトタイプ」を披露したベートーヴェンは、フランス軍兵士を合唱に巻き込むことで勝利に酔いしれるが、舞台の端にはフリッツがいる。その圧倒された表情が、私の気持ちと重なった。
音楽の力で屈服させたエネルギーは、近い将来、思いもよらない角度でベートーヴェンを襲うのではないか。

2幕に入ると、ベートーヴェンの耳は更に不調となり、周りの人間関係も崩れていく。
軽やかで、ベートーヴェンの影響など意に介してないようなインチキ臭いメルツェルさえも、荒れ狂うベートーヴェンと社会風景に巻き込まれていく。
音楽は変わらないが、政治は変わる。
メルツェルとラヴィックは、ベートーヴェンのカリスマ性からある程度無関係でいられる人たちだ。
発明という武器を持ったメルツェル、医師として(かつ父親のトラウマを引き出す幻影として)ベートーヴェンより上の立場になれるラヴィック、それぞれが社会背景について語ることで、ヨーロッパ情勢がベートーヴェンの置かれている立場、ひいては思考の道すじにどんな影響を与えているのかがわかる。

マリア、ヨゼフィーネ、ナネッテという個性の強い女性たちも印象的だった。
ヨゼフィーネとベートーヴェンのシーンはひたすら甘く愛情溢れ、彼を愛する女性としてヨゼフィーネの洞察力・理解力は際だっている。気高く色っぽく、生き残るための狡さとプライドを隠す賢さを恥としない。
ベートーヴェンを振り回しっぱなしで、借金を申し込んできたシーンではマリアと同じ「あのヨゼフィーネ!?」と叫びたくなった(笑)。それでも彼女は美しく、消滅していく貴族の大輪の華のように、どこか悲しげだ。

ヨゼフィーネが華だとしたら、ナネッテは樹木だろうか。ピアノを作る彼女は、いつしかその材料に似てきたのかもしれない。一人で努力し、技術を磨き上げ、自己を決して手放さない。
すげなくベートーヴェンを振るけれど、逆に彼女は傷ついていた。彼の理解者として、彼の音楽を実現できる者として、一番近くにいると思っていたから。本当はベートーヴェンをヨゼフィーネとは別のやり方で愛していたような気もする。けれどそれ以上に、性別でなく実力という太い根で彼の傍に立っているのだというプライドが傷ついた。
彼女はピアノ職人としての意識が強すぎて、周りにいる人が自分を支えていることに気づいていないのかもしれない(そこもベートーヴェンに似ている)。
それでも、ベートーヴェンの楽曲と同じく、その生命を終えてもシュタイン製ピアノは後世まで残っていく。

この舞台では、ベートーヴェンの生涯と社会がダイナミックに絡み合う時に交響曲が使われているが、その心情を描く時はピアノソナタ『月光』や『悲愴』が効果的に使われている。
ナネッテの妹のマリア、ベートーヴェンの母親と同じ名を持つ彼女は、1幕と2幕で最も成長を見せる人物だ。1幕で少女らしい無鉄砲さと好奇心でためらわずに行動する彼女は2幕にいない。
わがままで傲慢な彼を正面から理解しようとしてハネつけられ、やり方を変えて代理人になることでやっと受け入れられる。
2幕では2人のやり取りがほぼ筆談(を読む台詞)で進んでいくが、スケジュール帳としての手帳、筆談するための手帳を持つことで彼女はやっと彼の傍に立つことができる。時にベートーヴェンの喉元に突きつけられる手帳は、どうしようもなく離れられない彼女の苛烈な思いのようだ。

諦めを含み、自我を飲みこみ、ベートーヴェンの代理人として生きると決意するシーンは特に印象的だった。
ガウン姿に赤いマフラーを巻いてペンを持ち、こちらを睨みつけているベートーヴェン、あの音楽室の絵と同じ格好をした彼が、マリアにも拒絶された(自業自得)ことで癇癪を爆発させる。
テーブルや椅子、あらゆる身の回りの物を投げつけて壊すいきおいの暴れるシーンが見る度に長く激しくなっていて、その直前の台詞「みんないなくなる。それでいい」からずっとどうしようもなく苦しいままそれを見ていた。今でもその台詞の声音と光景を思い出して心が締め付けられそうになる。
ベートーヴェンはたぶん、自分の頭の中の音楽を通してしか社会や人々と交流する術を知らない。彼はまるで溺れた人間が空気を求めるように、切実に楽譜を求めていた。
戻ってきたマリアが差し出した譜面が、闇の中の彼にとって小さな光だったように、私にとっても救いに感じた。
ヨゼフィーネも立てなかった場所、隣に立って同じ方向を向く役割をやっとマリアは手にすることになる。恋人の甘やかな直感ではなく、音を作る同士として対等なのでもなく、理解できないベートーヴェンの傍に立ち続けるというのは、荒れ狂う闇の穴をその縁から覗き続けるようなものだと思う。しかもその穴は才能に溢れやけに魅力的なのだ。

もうひとつ、ベートーヴェンがマリアに素直な心情を吐露したシーンがある。
客を陶酔させるだけの駄作『ウェリントンの勝利』の演奏会を何度も企画したのに金払いの悪いメルツェルへの不信感、ヨゼフィーネからの借金申し込みと、面倒くさい人たちに疲れたベートーヴェンがマリアに言う。
「ピアノはいいな。弾けば必ず音がする。(中略)人間は難しいな」
この声音が寂しそうで、でも少しだけ面白がってもいるようで。ああこの人は激情を止められないだけで、自分なりの優しさもユーモアも持っている人なのだ(1幕での、弟たちの言うことをしぶしぶ聞くキュートなベートーヴェンを思い出す)。
周りの者を傷つけずにはいられないベートーヴェンが、他方では助けずにいられない理由のすべて。「私がルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンだからだ!」うわあ面倒くせえ。
マリアだけがその言葉を引き出し、そのまま受け入れる。代理人として。
理解できない相手と同じ方向を向くような、そんな愛もあるだろう。

やがて、ヨゼフィーネもナネッテも、弟たちも去り、引き取った甥とは心の距離が果てしなく遠い。
心を閉ざしたベートーヴェンの目はマリアの手元(筆談のメモ帳)しか見ていない。
思い通りにならない体に荒れるベートーヴェン。愛国という名の権力に目覚めたフリッツが彼の自己嫌悪に追い打ちをかけ、(成り行きとはいえ)超然と孤独でいるふうを保っていた自尊心を砕く。
小さなマリアが大きなベートーヴェンの感情の奔流を全て受け止められるはずもなく、ただ傍にいることしかできない。
彼を理解してしまったら、彼と同じく狂ってしまうから。大波が、浮かぶ小舟に助けを求めるような頼りない光景。

甥カールもベートーヴェンの大波に溺れそうになっている。
父と自分の歪んだ関係を、自分と甥がそのままなぞっているとは気づいていない。音楽という輝かしい自分の分身を、甥に転写させることが愛情だと信じている。
思い通りにならない者へ怒りを爆発させるベートーヴェンは、他者を自分に同化させようとすることでしか愛情を表現できない。
暴力の連鎖に唯一違う点は、マリアだ。ベートーヴェンは母の存在についてほとんど口にしていない。父親とこじれた原因のひとつとして紹介されているだけだ。
マリアはカールの扱いについてベートーヴェンに意見し、カールにとっては彼女の存在が唯一のより所となる。
が、マリアはベートーヴェンの悪い部分を知っていても、彼の作る音楽の素晴らしさがわかってしまうから、一生彼には勝てない。

甥っ子の自殺未遂が、唯一残っていたベートーヴェンの希望を打ち砕く。
他人の言葉に耳を貸さず、音楽で全てを屈服させてきた男、しかも人一倍家族や知人への思い(執着や呪縛といってもいい)が強いけれどプライドが高すぎて素直に出せない面倒くさい男は、自分自身の感情で自家中毒を起こしている。ここから少しずつシーンや台詞に矛盾が出て混乱が深まる。
2階席から見た時に、直感的にこのステージが「ベートーヴェンの頭の具現化」と感じたのは間違っていなかった。
ベートーヴェンが音を無くし、周りには闇しかなくなり、孤独の先で完全に一人になる。膝を折った絶望の中でさまようベートーヴェンの目はよどんでいて、いまにも意識や理性を手放しそうだ。(客席からはそこまで見えないのに、そう感じる。これが舞台俳優の凄みなんだと思う)
マリアだけが彼を抱きしめ、静かな鼓動が彼の耳に届く。これたぶん骨伝導! 抱きしめるだけでなく、頭をくっ付けないと伝わらない。孤独の代表みたいな宇宙飛行士同士が、ヘルメットをくっ付けて話すやつ!
だって最初から彼のところに人が訪れてたじゃないか。頭の中にノックしてたじゃないか。ベートーヴェンがどこかに出かけるシーンよりも、いろんな人がやって来るシーンのほうが多かった。彼は邪魔に思っていたかもしれないが、ずっと前から愛されていた。

主観の歪みから解かれ、正しく周りが見えるようになる。自分も相手も一人の人間であり、他人を同一視したり、強制したりするのは間違っている。
世界と繋がるために有効な方法は既に手の中にあった。とてつもなく効果的で美しい、音楽という手段が。
ここからのベートーヴェンの悟りは、まさしく「物に名前がある」と理解して「ウォーター」と初めて言葉にするヘレン・ケラーのようだった。もうこのベートーヴェンは唯一無二、稲垣吾郎にしかできない。違う人が演じれば、違うベートーヴェン、違う『No.9-不滅の旋律-』になるのだろう。
遠くから響いてくる民衆の歌声。
音楽によって苦悩し、音楽によって救われる。それもまた、音楽に愛されたベートーヴェンだからこそ、高らかに祝福されるのだ。
神は作曲をしない。強く求めた才能ある者だけが、音楽の神からの贈り物を受け取り、創造する。
冒頭の、無音の牢獄で迷い、ひねくれていたベートーヴェンが力強く生まれ変わる。自信に満ちて指揮する背中が、あの時の小澤征爾氏に重なった。
彼の頭の中だけで鳴っていたはずの音楽は、ベートーヴェンの体全体から迸り、楽器、演奏者、歌手、そして更に観客に広がる。
舞台上での拍手はそのままカーテンコールに繋がり、あなたは私、私はあなた。幸せなクラインの壷の中でいつまでも『交響曲第9番』が響きあって止まらない。
最高の演出に、最高の俳優たちに、最高の音楽に、最高の舞台に、空間が熱い祝福に包まれる。
この幸福感を何と呼べばいいのか。
人間が奏でる人生という名の交響曲がここにあった。

この曲が年末に演奏される訳がやっと分かった。
私の1年は、この曲にふさわしいものになっているか。納得できないものになっていないか。
ふさわしくてもふさわしくなくても、この1年をとにもかくにも生き抜いた祝福と、来年に向けた決意を。
心から大好きだ。ベートーヴェンも『第九』も。

苦悩を突き抜け歓喜に至れ。
まるでこの役が運命であったかのように、稲垣吾郎はベートーヴェンにしか見えなかった。カーテンコールの一瞬にしか、稲垣吾郎はいなかった。(前髪を触る仕草で、あ、今戻った、と分かる)
だから、この感想にも彼の演技についてあまり書けなくなってしまった。
完璧にベートーヴェンに支配されていた。
生きて、この舞台俳優に出会えて良かった。何度もそう思えることが嬉しい。


シナリオ単行本が出ています。
No.9不滅の旋律 (K.Nakashima Selection)

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