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LIFE LIFE LIFE~人生の3つのヴァージョン~

「LIFE LIFE LIFE~人生の3つのヴァージョン~」atシアターコクーン(2019年4月)

ヤスミナ・レザ 作
ケラリーノ・サンドロヴィッチ 上演台本・演出


2組の夫婦(4人)が全3幕を演じる、一夜のできごと。円形舞台のすべてが四方からさらされているので、観客も同じリビングで過ごしているようなリアルタイム感がある。

バスローブ姿のソニア(ともさかりえ)がなにやら書類を読んでいる。階段を駆け上がってきた夫のアンリ(稲垣吾郎)は子供が寝ないでぐずっていることをソニアに告げるが、彼女は厳しい口調で夫の甘い行動をたしなめる。
そこへアンリの上司であるユベール(段田安則)とイネス(大竹しのぶ)のフィニドリィ夫妻がやって来る。訪問が次の日だと思いこんでいたアンリたちは慌てるが、仕方なく彼らを招き入れ、白ワインと家にあったスナック菓子で粗末なディナー?が始まった。

1幕目は2組の夫婦の性格と力関係を明らかにする役目もあって、オーソドックスな会話劇という感じだった。
言いたいことと言ってほしくないこと、言ってはいけないことが、日付の違いと泣く子供と自分のと同じかもしれない論文の噂によってボタンの掛け違いのように広がっていく。
嫌なことを人にやらせて自分は面倒なことを避けようとする(一見優しく見える)アンリのズルいところにも覚えがある。たぶん彼は言い合いになって負けそうになると、相手の「言い方」とか「過去の感情」に話をずらして有耶無耶にしようとする男。ソニアの怒りはもっともだ。
アンリとユベール、自分の妻をそれぞれ違った形で貶める男二人。
けれど、元弁護士のソニアは弁がたつ。自分の気持ちをハッキリと言葉にできるし論理的で譲歩しない。
あれよあれよという間にアンリの待遇について怒れる妻となってユベールと対立する。蚊帳の外のアンリとの気持ちのすれ違いや心の距離を表現するのに回転舞台を利用するのは恐れ入った。視覚でストレートに伝える、舞台でしかできない表現方法にゾクッとした。
リビングという逃げ場の無い箱庭で描かれる、皮肉に次ぐ皮肉、マウントに次ぐマウント。
建前よりも本音の割合がどんどん大きくなって、ギスギスした空気に耐えきれずアンリが膝を折るラスト。とっても分かりやすい。なんならこの続きも入れて1つのコメディ劇として成立できる。
でも、そうはならない。
予測ができないところがいい。ヤスミナ・レザ、恐ろしいくせ者。

2幕目、アンリとソニアの夫婦は和やかだ。自分の都合を押しつけず、相手の話をちゃんと聞くし、穏やかにたしなめる。うまくいく予感。ただし、2人だけならば。
1幕目と同じように突然フィニドリィ夫妻がやってきて、同じようにメキシコ人の論文についてアンリの耳に入れる。表面上は動揺を見せないアンリ。
天文学の権威であるユベールが、自分の権力を分かった上で(それほど若くもない)研究者の気持ちを弄び、妻をからかって自分の飾りのように扱う様子は、私の周りでも見覚えがある。自信家で傲慢で、同じ立場の男たちとの関係強化に余念がない。しかも一見陽気で魅力的に見えたりするからタチが悪い。
誰かに自分の人生を支配されている不快感。わかる、わかるよアンリの気持ち。腹立たしいがいつもは無視しているそういう気持ち。
イネスの言うように、宇宙は人間が発見して名前を付けたからそこにあるのか、発見しなかったら無くなってしまうのか。そんなはずはないけれど、注目してしまったらどんどん「嫌い」も「好き」も大きくなって自分の気持ちに行動が支配される。相手の気持ちと自分の思いこみはかけ離れたものになり、追いつめられ勝手に不幸になっていく。悲劇だ。
自分以外の誰かの気持ちを推し量って分かったような気になる時、そこにどうしようもなくエゴが入り込む。
不満を爆発させたアンリと、それでも余裕しゃくしゃくなユベールの言い争いは、分かりみがありすぎてつらい。
1幕と2幕、アンリがソニアに向かって言う「エゴイスト」。同じ言葉でも逆の意味あいになっている。別の日のような、平行世界のような、似ていて違う時間。

3幕目、2幕目以上に建前を積み上げたようなリビングで、突然態度を変えるアンリ。理由は誰もわからない。観客もわからない。ソニアだけが彼の気持ちを説明するが、それが真実なのかどうかも疑問だ。
心が破れ一気にアンリが不機嫌になった瞬間、今まで1対1、1対2だったのが、1(アンリ)対全員(観客含む)になる。身を切るような無力感と孤独がアンリを包んでいる。うなだれる彼の心から断絶の叫びが聞こえるようだ。
人生って平均台の上で自転車に乗るのと似ている気がする。幅広い平均台も狭い平均台もあるけど、なんとかかんとか進んできて、新しい平均台が見えたら近くまで進んで跳び移る(転職とか引っ越しとか結婚とか)イメージ。停まったら自転車ごと落ちる。今まで落ちなかったのは少しずつでも絶え間なく進んでいたことと、跳び移るタイミングでしかない。だから、ギリギリのところで落ちそうになっているアンリが他人事に思えなかった。
ユベールの悪意ある行動に見えていた論文の件も、ただの会話の糸口か、もしかしたら好意だったのでは?と思わせる。アンリの行動次第でうまくいったのかもしれないし、ボタンの掛け違いでも掛け直すチャンスがどこかにあったのかもしれない。いたたまれなさMAX。
自分や家族や友人や、誰かがうまくいかなかった時、原因を探して責めてしまいがちだが、単純に1つの理由だけではないし、言葉のすれ違い・解釈違いで人と人の気持ちはどこまでも遠くなってしまう。
絶望的な空気が舞台を覆いそうになるところで、ひとつの明るい知らせがもたらされ、ドライな建前と2人の愛を取り戻す。
行き当たりばったり、本音を吐露したようでいてそうでなかったのかもしれないし、4人は善意も悪意も持っていなかったのかもしれないし、疑心暗鬼の最悪な夜は意外とそうでもなかったかもしれない。高いところから見ている誰か(何か)は何もせずただ見下ろしている。
ともあれ、こんなに複雑で、正論と拒絶、悪意と忖度、皮肉と諦念、不機嫌と面目などめまぐるしく風向きが変わる舞台を作れるのは地球人だけなのは間違いない。割れ鍋と綴じ蓋のような関係や、グサグサ刺さる現実を受け止めて風が変わるのをいなしながら楽しめるのもまた、地球人だけなんだろうと思う。


幕ごとのシチュエーションの違いもあるが、無意識に築かれる壁(他者に対する壁と自分で築く壁)がさりげなくリアルだった。男性と女性、忠告という形の圧迫、勝手に陥る劣等感…。
イネスはいつもひっかき回す役目のようでいて、一番深刻な壁の向こうにいるように見えた。つまり、社会と繋がって(仕事をして)いるか否か。
いつもいつも、時に話題を提供し時に夫の自尊心を満たし時に尻ぬぐいをする、気が利く妻としての役目しか求められていない、若いとはいえない女性の悲しみと諦念がにじみ出ていた。苛立ちからボイコットしても、それをただの話題の一つにされてしまうことへの根強い反発。
だから、もし明日以降も同じ日々が続くのだとしたら、今日を少しぐらい混乱させたっていいじゃない?
演者によってはキツくなるんだろうが、大竹しのぶさんのイネスは口調や動きがキュートで、何を言ってもユーモアが混じる。夫の態度への反感と、業績への尊敬が彼女の中に矛盾なく存在していて、他の3人とは別の視点を持っているところも魅力的だった。(いつも遮られるけどw)

段田安則さんのユベールは、なんとも鼻持ちならない学者様で、息をするように上から目線。キザでスケベで失言多め、どこから見ても典型的な俗物おじさん。自分を鷹揚な大物に見せたいが、周りからチヤホヤされていないと破れ目からかいま見えてしまう小心さ。
1幕での言い争いは、元弁護士というソニアの経歴に少し圧迫されながらもマウントをとりにいく姿が楽しげでもある。ソニアの夫の昇進が手中にあるという余裕は、ほんっっっとうに憎たらしい。
2幕ではアンリとガチンコ勝負。男同士の喧嘩というのは端から見てヘビー級の怖さがある。アンリは堰を切ったようにヒステリックになるがユベールは正面から受け止めず、人格者的にふるまおうとする。成功するように見えるが今度は女性陣から責められるユベール。真ん中で3人に囲まれながらクルクル回る段田さんが面白かった。敵の敵は味方、なんてことを思い出した。
1幕2幕、メッキに見えていたユベールが3幕で変わった。メッキが剥がれたのではなく、実はメッキではなかったパターン?本当は、嫌な自分をどうしようもなく自覚している人なのかも。

ソニアは現実的でクールで相手のいろいろな本質が見えすぎるほど見えている、でも自分のことはいまひとつ。鼻持ちならない女性になりそうなところ、ともさかりえさんのソニアは幕が進むごとに無力感を受け入れる強さと優しさも加わっていた。
子供に対して優しく穏やかでいようと思っていても、どうしようもなく感情がたかぶってしまうこともある。建前と本音を切り替える速度が、幕が進むにつれて遅くなる。だから1幕はコメディ的に、2幕は大人っぽく、3幕はどうしようもない諦めが覆っているような。いや、切り替える、じゃなくて、本音に建前が侵食してくる割合、かもしれない。1幕から本音をガンガンぶつけてくる人ではあるが、正義感にかられた表面的なものだった。2幕では外からやってきた現実(ユベール・イネス夫妻)と拮抗し、3幕で深く深くアンリを想う。
もしかして、エゴと愛と諦念は近いところにあったりする?
ソニアの存在は、私の中のいろんな愛を刺激する。

ソニアの夫のアンリ。一見まとも、一見穏やか、ちょっと間抜け。反面、「でも」が口癖で自身に埋没しやすい男。だから他人の話を聞いてるようで聞いてないし、振り回されているようで振り回している。しかも自覚なし。タチが悪い(笑)
稲垣吾郎さんの演技の巧さには定評があるけれども、特に舞台では感情のグラデーションの巧みさが際だっている。しかも新しい舞台のたびにレベルが確実に上がっていくのに目を見張る。身長もスタイルも舞台栄えするし、課題だった発声もいつの間にか克服している。もともとの良い声が舞台上でも響くようになって、そこに感情を乗せてくる。
しかも彼は演じながら、相手の芝居と自分の芝居、更に舞台全体のバランスまで考えている気がする。欲目?でもいつもそんな気がしている。
そんな視点の広い吾郎さんが演じる、近視眼的な男・アンリ。
安定という幸せを手に入れたいと願い続けて、かえって不安定になっていく。非正規の仕事や自営業の人は身につまされるところがありそう。
アンリ自身の不安定な内面が動くたびに、他の3人が照らし出される。影人形のように。あるいは陽炎のように。
『とりあえず体裁を整えておきさえすれば、何を言っても何をしてもプライドが傷つく心配がない立場というのは、既に特権になってしまっているのですよユベールさん。他の人から少しずつ権利を奪ってその立場を築いてることもまるで知らずに、奪われている者たちもはっきりとは気づかずに、昨日も今日も明日も同じように続いていくのでしょうねあなたのような人は、ユベールさん。』
そんなセリフはどこにもないが、裏では確実に何かを叫んでいるし、見えないところで何かが動いている。
雄弁になっても無口になっても、伝わらない言葉を抱えて見当外れの努力を繰り返しているような、でもたとえ抱きしめたとしても正解ではないような、「見る」ことだけ強いる男。観客である私から効果的な何かを与えるなんてことは烏滸がましいしそもそも何もできないけど、アンリには幸せになってほしい。そんな気持ちにさせる。

圧倒的に面白い舞台だった。4人の会話と表情は、見るたびに発見があった。人間と人間の、にじみ出る無意識で築かれる壁の数々。シニカルな本音のコラージュと、宇宙(観客)の事情が反射するような。
再演があったら、その時の自分がこの舞台のどの部分と反射するのか知りたい。近い将来、再確認したい気がする。
発見した個人的教訓は「喧嘩や皮肉も、諦めよりはマシ」。今回のところは。

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クソ野郎と美しき世界

最近、やっとSMAPのいない世界に慣れてきた。SMAPは私の中でビートルズのような過去の存在になりつつある。心の空虚な部分を認めることは寂しいけれど、少し落ち着いた気もする。
ジャニーズ事務所との契約が切れたら3人はそれぞれソロとして活動するのだと思っていたから、「新しい地図」が発足して戸惑った。なぜSMAPを引きずるようなプロモーションをするのかわからなかった。
3人が一緒にいるとSMAPの3人にしか見えないし、歌声だってSMAPのベースになるユニゾンだし(癖のある声と癖のある歌い方が足りないけど)、なんといっても次々に発表される新曲の曲調はまんまSMAP。
SMAPに近いけれどやっぱりSMAPではないから少し戸惑っている。SMAPを彷彿とさせることはしないでくれ、とは思わないけど。やっぱり2人がそこにいないことをどうしても考えてしまう。寂しいような、少し苦しいような。

この映画が発表された時もそんな気分だった。あらすじ?が発表されても内容がよくわからないし、ただの安っぽいアイドル映画だったらどうしよう、という不安もあった。
そして迎えた公開から2日目の稲垣吾郎さん舞台挨拶。久しぶりに見た吾郎さんは相変わらずスラリとしていて明るくて、ファンには微妙にSで、でも前よりストレートに親しみや信頼を表現してくれて、そんなところが更に魅力的になってた。やっぱり私はこの人のファンだなと実感する。



Episode1「ピアニストを撃つな!」(監督・脚本 園子温)
愛を知らないモテモテのピアニストが、突然出会った女の子に恋をした。だがその子は元ヤクザ?のコワモテ男の想い人。捕まったピアニストはその指を叩きつぶされてしまう……のか!?
クラシック音楽が流れるくっきりした派手な色あいの中、いきなり始まったゴロー氏のシャワーシーン。動揺が隠せないわたくし。背中に筋肉が適度についていて、ガウンを羽織る背中までお美しい。
いかにも主役然として「僕がみんなを振り回している」とのたまうゴロー氏だが、結果として振り回す側よりも振り回される側のほうが人生の主役になることが多いのでは。
大門の嗅覚といい、ジョーの感応度といい、でんでんさんの「俺の股間に隠れな」といい、男性全員の変態度すごいww
女性は全員良いおっぱい。ありがとう。
知的理系女子スプツニ子!博士のおっぱい、サブカル文系女子マコちゃんのおっぱい、そしていろいろ柔らかめ直情系女子フジコちゃんのおっぱい。「ゴロー!」と叫びながら腕を広げてミニスカとブーツでひた走るフジコちゃんはいろんな意味で最&高。
出てくる女子(カンナ姐さん含む)は吾郎ファンのメタファー説があるけど、そしたら私はマコちゃんで。「走れメロス」「団鬼六」とつぶやきながらどこまでも追いかけたいが、対象はあくまでも物陰から見ていたい。ソフトストーカー体質か。
観客の予測が追いつかない園ワールドを、心地よく体験させてもらった感じ。
ジョーのマウスピースが外れる音とか、フジコちゃんの背中でピアノを弾く音とか、やけに生々しくて好き。
あと映像があちこち印象深い。ゴロー氏がこっち(カメラ)を真っ直ぐ見つめて連呼する「愛してる」や植物園の蝶のシーンはもちろんのこと、祭りのシーン、大門が部屋であばれるシーンとか、フジコちゃんを追いかけてコワモテな男どもが階段を駆け下りるシーン、ジョーが3段抜きぐらいで飛ぶように降りるところとか、いろいろ何か変だけど確実に今まで見たことがない光景だ。どのシーンもシャッターチャンスといってもいいほど美しい。
犬の1千倍の嗅覚、他人の痛みを感じる共感力、わき目もふらず愛する人めがけて突っ走る直情…それぞれの個性は本来長所であるはずなのに、強すぎて欠点にもなってしまう。だが、個性は他人から評価されてもされなくてもただそこにある。
初めて知る「他者の存在」と自分の中の「愛」という感情に戸惑い、苦悩し、クルッとターンするゴロー氏は「僕がみんなを振り回している」どころではない。むしろあなた、「愛」に振り回されてますよ、大事な人生(指)を引き替えにさせられようとしてますよ。
園監督の俎上に載るということは、役者としての勘が特に必要なのではないかと思う。脚本と実際にできあがる映像の間にはかなり幅がありそうだ。シーンを作り上げる際に、監督のイメージ通りの演技ができない役者はたちまち振り落とされるだろう。役者・稲垣吾郎さんのバランス感覚や強さ、今までの仕事の中で勝ち得た実力と勘を実感した。
これはやりがいのある監督に見込まれましたね吾郎さん。じっくりと2時間作品で料理される吾郎さんも見たくなりました。ぜひ同じキャストで、イカレた役でお願いします。
追記。大門の「ぶっ・こrrrrrろす」の言い方大好きすぎる。←


Episode2「慎吾ちゃんと歌喰いの巻」(監督・脚本 山内ケンジ)
無断で道端のコンクリート壁に絵を描いたら迷惑防止条例に触れるので、歌を歌えばいいと言われたアーティスト・香取慎吾(役名)。だが、いざ歌おうとすると声が出ない。傍らには腹を抱えてうずくまる女の子。彼女は歌を主食にして生きる『歌喰い』の少女だった。彼女が歌を食べるとその人は自分の歌であっても歌えなくなる。歌を元に戻す方法を探る慎吾と歌喰いの話。
SMAPの過去と現在のメタファーが盛り込まれており、あちこちで心がチクリと痛む。こういう話を求めていたわけではないが、彼らの現状を消化(昇華ではない)することでSMAPサーガの新たな1ページが始まるのなら、それもいいかと思い直した。
慎吾の絵は鮮やかだが、映像が全体的に彩度を少し下げてある気がする。室内と夜の話なので、エピソード1での派手な映像に慣れた目に心地よいww
歌喰い役の女の子に透明感があって、どんなシーンもセリフもあっさりと夜に溶けていく。無愛想だがちょっと天然ちゃんなところも可愛らしく、保護欲がかきたてられるのがわかる。
慎吾の顔は仏陀像に似ている(特に東南アジア・アンコールワット的)と常々思っていたが、このショートフィルムでは特にそれを感じた。表情が静かだからだろうか。声もポツリポツリと雨だれが落ちてくるようで落ち着く。慎吾だけで完結した部屋に初めて入ってきた、歌喰いという生物は人間とは別の欲望を持つ。互いに性欲を持たず、食欲は異質で、ただ静かに睡眠欲だけを共有する。このシーンがとても好きだ。
家出少女をSNSで誘って泊める代わりに関係を求めることは社会問題になっているが、この作品を見ながらそこらへんの際どさを全く感じない(頭ではわかっているが)のは、慎吾くん(俳優名)のキャラクターによるものが大きい。彼は体がエロいと思うが、ベタつかないというか湿度が低い感じは以前からあって、その湿度の低さがありふれた男女のあれこれを想像させない。現実の前提すら観客に思いつかせない、という感じ。さすがパーフェクトアイドル。
香取慎吾(役名)は絶望している。というか、絶望を潜って諦念の末にこの世界で意味もわからず生きている、という目をしている。冒頭、歌喰いを誘う普通のサラリーマンおじさんとは間違いなく別の世界に慎吾は住んでいる。
『どうせ人間は(男は、女は、老人は、子供は、等々)そんなもんだろう』と分かったようにレッテルを貼る世間の雰囲気へのアンチテーゼ。慎吾ちゃんが発する「君は」という言葉は真っ直ぐに相手に向いている。
彼が聖なる存在だからではなく、期待と絶望を繰り返してきた人間だからこそ、エンタメを消費するだけの人外(歌喰い)とも対話できる。
歌喰いの、インプットとアウトプットのいびつな対称性も気になった。創造物を消費するだけ、自分では何も創造しない共生関係(いや、寄生か?)は、大きく見れば芸能界に付随する様々な組織や機関、ひいてはファンという消費者の存在まで行き着く。
顔の見えない集合体にどこまでもつき合うのがテレビの申し子としての宿命なのだとしたら、彼の本体は映像の中にこそあるのかもしれない。そんな人、今までいなかったのではないかな。後にも先にも、種として自分一人しかいないことを自覚している男。
それでも慎吾は日本の街で、大勢の人に囲まれながら生活する。
絵だけが彼をこの世界につなぎ止めているようだ。
あと、歌を喰われて自殺しようとする尾乃崎紀世彦(歌手)と死んでほしくなくて身もだえるマネージャーのシーンが凄かった。二人の感情がぶつかり合って笑いそうになった。悲壮すぎて面白い、見てる自分のツボが刺激されて、どうしろというんだ!という気持ちに。もみあげvsNOもみあげの真剣勝負だった。


Episode3「光へ、航る」(監督・脚本 太田光)
妻に美人局をさせている元ヤクザの男。夫婦は誰かに移植された息子の腕を探している。彼らはニュースで、その当事者らしき少女が誘拐されたことを知り、沖縄に向かう。
唯一、起承転結がはっきりした話。
短時間で結果を描こうとしているので、説明セリフが長くなりがち。しかも「文春砲」「オスプレイ」などの単語が話に関係ないのに飛び込んできて、どうしようもなく浮く。入れ込みたいなら小説か長編映画でやってほしかった。前半の暗い映像も相まって、引っかかるセリフが息苦しい。おまけに他の話と違って謎がないし、タイトルがオチのような部分もあるから、何度も見てると退屈してくる。脚本のシェイプアップはすべきだったと思う。
この作品を短編映画として成立させているのは、主演2人をはじめとする役者の力だ。表情、声、動き、長いセリフに感情を乗せられる演技の凄み。
冒頭、オサムが裕子に暴力的に接しようとすると彼女は底知れない悲しみと激情を爆発させる。それに触れた時の、オサムの怒りと当惑と意地、そこに鏡像のように彼女の悲しみが加わって表情を流れていくのはゾクッとするほど魅力的だ。この2人のガチ夫婦勝負はまた別の形でぜひ見てみたい。
映像はとにかく美しいので、かなりのこだわりを持つ監督なんだろう。2作目の長編映画に期待したい。


Episode4「新しい詩」(監督 児玉裕一)
ダンスホールに集まった登場人物たち。ゴローはピアノを弾き、慎吾ちゃんは歌い踊り、オサムはボールを追いかける。
なるほどこれは豪華で鮮やかな夢の世界。まさにエンターテインメントのショータイム。
途中でいくつかの謎が解き明かされ、ストップモーションの大団円。
……とはならない。

オサムが大門に依頼して誘拐犯の居場所が突き止められたのは分かったけど、オサムがジョーに電話したのはまさにフジコちゃんを追いかけてる最中なわけで、ゴローをとっつかまえて云々になってから沖縄に飛んでたとしたら大門の指に矛盾が生じる。何か見落としてるところがあるんだろうか。それはどこだ。2回目観賞の時には何を確認すればいいんだ。
謎が謎を呼んでるんだが、えっもう終わり!?
Episode4からすぐエンドロールになるので、1回目は自分の考えに没頭しすぎて更に新しい謎が含まれてることにも気づかなかった。
歌喰いの後ろで地球に近づいてくる隕石、右手で電話を持って歩いているゴローと映らない左手、一人煙草を吸うフジコ、など。隠喩だらけの(ように見える)エンドロールは何を示しているのか。
とはいうものの、宇多丸さんがラジオで苦言を呈したように、この映画はCM的な作りをした「新しい地図3人のPV」的な側面も確かにあるのだろうし、あまりそのあたりを深く考えなくてもいいのかもしれない。
彼らと周りのスタッフは間違いなく精力的に前に進んでいる。そのための1つのマイルストーンならば素晴らしいじゃないか。


「ワルプルギスの夜」と呼んだSMAP公開謝罪の夜、私はあの5人の姿がとてもショックで、その後に続いた真の解散報道や事務所退所報道よりも心に残っている。また揃ってSMAPとしての活動ができるなら嬉しいけれども、あの姿を再び見る可能性があるぐらいなら再結集などしなくてもいいと思っていたほどだ。
だから、3人それぞれの舞台や映画、CMや、ブログやYouTubeや展覧会などのアクションの告知が降り注ぐ日常が訪れるなんて、あの頃にはとても想像できなかった。とりあえず、今SMAP再結成は無いことなのだろうし、それはとりあえず心の隅に追いやっておこうと思う。
彼ら6人それぞれが光の当たる、高みに続く場所で活動していてくれればそれでいい。ただ、どうか心身共に健康で、心地よく過ごしていてほしいと祈っている。

とはいえ、タロット占いで「いつかはまた距離が近づく」カードが3回続けて出たのも事実。
心の準備だけは怠りなくしておくつもり。


クソ野郎と美しき世界

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2018.4.14 東京大衆歌謡楽団 at浅草カナリヤホール

母がYouTubeで見つけたという東京大衆歌謡楽団。見てみると、この平成も終わろうという時代、現実に存在しているのかも疑わしいクラシカルなスタイルの方々が映っていました。
あまりにも現実離れしているので、むしろ一周回って新鮮なほどです。
しかも若い。なぜ今この昭和初期の音楽を?
疑問だらけだったので、今年の1月に浅草神社の奉納演奏を拝見しに行きました。
御朱印帳を神社にお預けし、暖かい日なたでぼーっと待っている時に、すぐ目の前を大きな人影が左から右へ、すーっと横切って社務所に入っていきました。
東京大衆歌謡楽団の方々でした。
細く背が高い人、更に背が高い人、更にガタイがいい人。背が高いだけでも目立つのに加え、昭和のブロマイドから抜け出たようなスーツで七三分け?のスタイル、目立つ目立つ。
私も女性にしては背の高いほうなのですが、見上げるぐらい背が高かったです。
おお、これがYouTubeのあの人たちか。ときめくぞ。たぶん、ユーチューバーに憧れる小学生が実際にユーチューバーに会った時もこんな感じに違いない。

境内のライブ会場には赤い毛氈がひかれ、どこからか椅子も運び込まれ(ほんとにいつの間にか並んでた)、人生の大先輩の観客の皆さんがお待ちになっている。
2回のライブのうち1回目を観たのですが、すごい。声の張り、アコーディンの音色もすごいが、途切れなく帽子に入れられるおひねりの様子や観客の静かな熱気も感じてすごい。ボーカルの人はおひねりの度に腰を深く折ってお辞儀するのだけど歌声がいっさいブレない。細いけど実は体幹や肺活量すごいのだろうか。こんなの初めて見た。
あと、アコーディオンが美しくて、演奏する手ばかり見てたような記憶。


で、母もライブで観たいというので予約しましたカナリヤホール。せっかく上京するので昼の部夜の部共に。
昼の部は全体的に華やかで明るい歌、夜の部はそこに切なくロマンティックな歌が加わったような印象。知らない歌もありましたが楽しかったです。
昼夜どちらも2部構成でたっぷり聴けて、合間の休憩で昼はほうじ茶と生菓子、夜はアルコールとおかきなども食し、何ですかこの至れり尽くせり感は。
隣のお客様にも親しくお声をかけていただきました。なんだか皆さんいい方ばかりだ。素晴らしい。

以下、母のメモによるセットリスト(夜の部のみ・全部ではないそうです)
東京行進曲
東京娘
純情二重奏
上海の花売娘
夜来香
ラ・スパニョーラ
丘は花ざかり
憧れの郵便馬車
夢淡き東京
浅草の唄
なつかしの歌声
長崎の鐘
雨のオランダ坂
芸者ワルツ
丘を越えて
二人は若い
東京ラプソディー
東京の空、青い空
憧れのハワイ航路
憧れの住む町
私の青空
酒の中から
お富さん
南の花嫁さん
涙の三人旅
赤いランプの終列車
流れの旅路


メンバーは、
ボーカル・高島孝太郎氏(長男・蘊蓄)
アコーディオン・高島雄次郎氏(次男・くせ者)
ウッドベース・高島龍三郎氏(三男・重役クラス)
バンジョー・高島圭四郎氏(四男・大物の雰囲気を漂わせる新入社員)

個人の印象です。
MCで健康の話題から孝太郎氏はキラーT細胞がどうの、とか言ってたww
もともとSMAPの兄弟設定大好きなんですけど、こちらはなんといっても兄弟(本物)ですよ。すごい(何が)。
ちなみに母は雄次郎氏ファンです。私は、ライブで孝太郎氏の表情が時々おすまし顔から土砂崩れ笑顔一歩手前ぐらいになるのを見て、ちょっと気になる人になりました。(余談)

浅草神社、カナリヤホールと直接聴いてみて、この方々の真面目さと本気度を感じました。特に、カナリヤホールでの観客を巻き込む熱さは半端じゃなかった。
路上やイベントなど、様々な人が集まる中ではきっとあまり理解のない言葉や態度も投げられたであろうことを考えると、SMAP中居さんがコンサートで時々嬉しそうに言っていた「ここには(自分たちを)大好きな人しかいない」という状態がこの場所の生き生きとした熱さ、昭和歌謡を媒体にした純粋で伸びやかな空気を形作っているのだろうと思う。

思ってたよりずっとライブが良かったので、これから更に人気が出てもっと忙しくなると予想していますが、元気でご活躍されることをお祈りしております。
私も母も、また聴きに行きます。(断言)

東京大衆歌謡楽団 公式サイト

ラ・スパニョーラ

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熊本旅行記

11月2日(水)
仕事帰りに福岡に飛ぶため、仕事帰りに羽田空港へ。幸い仕事は早めに終わった。広い羽田空港の連休前、同行のEちゃんと出会えるかどうか少し不安だったが、人混みの中で向こうからやってくるのを見つけた。
夕食として3種のおこわおにぎりがセットになったものを買った。
ひとくちおこわ
空弁というのか、種類が多くて迷った。

久しぶりの飛行機にドキドキする。乗り物としては圧倒的に新幹線が好きだ。飛行機は着陸の時、耳がキーンとなってなかなか治らなくて。
熊本泊なのに何故福岡空港行きを選んだかといえば、九州新幹線に乗りたかったからだ。空港と博多駅は近いので、チャレンジしてみた。
時間的には割と余裕だったが、ここで九州新幹線の罠が。豪華で有名な「つばめ」に乗ろうとしたら、途中の駅をすっとばす「みずほ」が先に熊本に到着するらしい。速いのだから「つばめ」より豪華なのでは? 乗ってみて思った。
「普通……」
特に豪華じゃなかった。というよりいつも乗ってる新幹線と同じような雰囲気だった。惜しい。
熊本駅で隣のホームに止まっていた「つばめ」の外観を撮影して少し満足した。
ホテルまではタクシーを使おうとしたが、「東横イン」の滑舌が悪かったらしく降りてみてそこが「東急ホテル」であることに気づいた。「東横イン」の看板が見えたのでそちらに向かったが別支店だった。おっと。
そこにあった地図を頭に入れて、予約を入れたほうのホテルに向かった。初日からちょっと凹む。
とりあえず、缶ビールで乾杯して就寝。


11月3日(木)
ホエールウォッチングの日。JRから電車&フェリー往復の割引回数券が売られていて、予約してあったのを熊本駅のみどりの窓口で購入する。三角駅で降りてフェリーに乗って天草に向かう。三角駅は小さくて可愛らしい駅。
時間があったのでランチ。海鮮ワンプレートみたいな。これが当たりで美味しかった。お刺身やばいほど旨い。
シークルーズという会社で予約したんだけど、メールの問い合わせに丁寧に答えていただいて、前述のお得な回数券についても教えてもらった。
シークルーズ
2枚きっぷ
ホエールウォッチングのフェリーは香港からの団体客で混雑していた。ライフジャケットを装着すると、エンジンの音が次第に大きくなり速くなっていくが、ずっと島影があって凪いでいる。
ひときわ大きな島を通り過ぎる時、ガイドのお姉さんが「あれが長崎県の島原です」と説明してくれた。近い。天草って長崎じゃないの?と勘違いしてたのはこれだけ近いせいだったか。
1時間ほど走って目的のスポットに到着する。1年を通して98%の確率で野生のイルカが見られるそうだが、海は広い。ずっとそこにいるとは限らないのに大丈夫だろうか。イルカの気分次第でこの先会社が傾くことはないのだろうか。(余計なお世話)
そんな心配をよそに、海面を見ていた団体客がわっと歓声をあげた。ミナミバンドウイルカの背びれがいくつも見える。フェリーがそちらに向かう。
1頭の背びれが見えると次々と海面に姿を見せる。こんなに集団のイルカを見たのは初めてだ。
見つけるたびに団体客が大騒ぎするので助かった。あっちか!今度はそっちか!っていう具合に(笑)香港からのお客さんたちは感情を判りやすく表現する。静かになんてしない。驚きも笑いも隠したりしない。シャッター音と一緒にとても騒がしくていっそ清々しい。
イルカたちは何度も何度も姿を見せてくれた。ガイドのお姉さんによると100頭ぐらい見えたらしい。当日の1回目は数頭しか見つけられなかったが、今回はちょっと珍しいほど集まっていたそうだ。
私も友人も感激して熊本市街に帰ってきた。

夕食にと目星をつけていた店は残念ながら予約でいっぱい。ふらふら歩いて最初に目に入った「馬刺し」と書かれた店に入った。
ここが大当たりだった。
馬刺しも美味しいし、海鮮サラダもなかなかだし、焼酎も揃ってるし。
なんといっても驚いたのは辛子レンコンを頼んだら天ぷらが出てきたことだ。アツアツの天ぷらの中に詰められた辛子はちょっと辛みがマイルドになって旨みが凝縮されている。サクサクのレンコンだけでも美味しいのに、辛子が輪をかけて美味しいものだから、もうアメイジング!な食べ物になってる。
締めに頼んだあら汁も、こんなに魚の身が残ってますけどいいんですか!?な旨さで、まあ大変。
また熊本を訪れることになったら行きたいお店です。
魚粋


11月4日(金)
今日は山。阿蘇山方面へレンタカーでドライブ。
免許は持ってるけどペーパー歴10年以上の私なので、運転は全部Eちゃんにおまかせで。ありがとう、かたじけない。
ならば私が完璧なナビを、と思ったらナビついてた。2人してナビに不慣れなもので、いろいろ触ってたらハザードが出た。キャー!なんでだよー!壊れた?車壊れた?と路肩に停めたら、どうやらナビ画面のすぐ下にあるハザードランプボタンを私が押した模様。すまんかった。勝手に車のせいにしてすまんかった。

いまきん食堂には行きたかったものの時間がちょっと早すぎたので、ノートに名前だけ書いて阿蘇神社に向かう。
阿蘇神社
神社本殿ではなく、門とその横の建物が地震の影響で潰れてブルーシートがかけられていた。神社の近くにあるボロボロの掘っ建て小屋は平気なのに、そこだけ集中的に壊れている。共振の波長とか屋根が重いとかいろいろ理由はあるのだろうが、実際に目にするとそこが神社のせいもあって、被害を集中して受け止めてくれたようにしか見えない。不思議なことだ。
再建のため、少額ではあるが寄付してきた。
あと、水がとても美味しい。びっくりするほど美味しい。
いまきん食堂に戻ってみると、びっくりするほど列が伸びていた。2時間待ちだという。まあ仕方ないと思いつつ駄目もとで、ノートの先のほうで二重線で消されてない自分の名前を言ってみたら、すんなり入れていただけた。こっちがびっくりして一瞬動けなくなるぐらい普通に。本当にありがとうございます。
あか牛丼はローストビーフに温泉卵という最強の布陣。味が濃厚かつ牛肉が柔らかくてどんどん食べちゃう。たいへん美味しゅうございました。
いまきん食堂

いよいよ阿蘇山大観峰へ。
阿蘇山というのはあまり見たことのない山で、町が360度の平らな山脈に囲まれている感じ。上がギザギザでなく平ら。大きな誰かが刀で薙ぎ払ったようにスパッと平ら。下生えやススキはあるけど木はあまり生えておらず、岩が向きだしになっている。あまり堅くはないようで、あちこち大きな崩落の箇所が見える。
大観峰でその全貌を見渡すことができた。
つまり、ここはとんでもなく大きなカルデラ(噴火口)なのだった。はるか昔ドカンと山が噴火して吹き飛び、その後中岳(噴火中、白い噴煙が上がっている)が下から押されて盛り上がった。人々は噴火口の中に道や家を作って住んでいる。
阿蘇大観峰
雄大と言ってもまだ足りない。とにかく大きい。気が遠くなるほど広い。旅行前、中岳噴火で心配になってメールしたけど、熊本友人が「ああ、あそこはいつも煙出てるから」と意に介さない返事だった理由がわかった。
デカイからだ。
中岳の噴火はこのデカイ阿蘇のほんの一部にしかすぎない。あちこち通行止めで不便ではあるけれど、山自体はビクともしない。
パラセーリングっていうの?パラシュートで空中散歩を楽しんでいる人もいた。さぞかしいい眺めだろう。
売店のソフトクリームがズッシリとして美味しかった。

近くの観光地を写真で説明しているボードがあって、鍋ヶ滝という場所に行ってみることにした。水源地へ行こうとしたらみどりの窓口の人から通行止めマップを手渡されて諦めかけていたのだった。
鍋ヶ滝はもっと山の奥かと思ったらけっこう村落の近くだった。
急な階段を降りるとどんどん滝の音が大きくなって、寒くなってきた。
幅の広いその滝はせり出した岩から落ちているので、えぐれた滝の裏側を通って向こう側に行くことができる。裏側から見る滝はとても綺麗で感動した。
鍋ヶ滝
涼しいので、夏、滝を見ながらビール飲んだら気持ちいいだろうなと思ったり。さっきの大観峰もそうだけど、この滝も見ていて飽きない。いいぞ熊本。

寒くなったので温泉に寄って帰ることにする。杖立温泉という名前を見つけ、ガイドブックから適当な旅館名をナビに入れてみた。
なんかとんでもない山中に連れて行かれそうになった(笑)こんなカーブ曲がれない無理。ということで別な旅館名を入れると、今度はすんなり
「ようこそ杖立温泉へ」という文字のある温泉街に出た。
共同浴場らしききれいな建物があったのでそこに入ることにした。ここも当たり。整えられた日本庭園の中にいくつもの湯船があるようなスタイルで、気持ち良いことこの上ない。
湯上がりに飲む冷たい水も間違いなく美味しいやつ。今度はこの温泉街にも泊まってみたい。
吉祥の湯
行き当たりばったりながら充実した1日を過ごして、さあ帰りましょう。とレンタカー屋さんにナビをセット。
あれ?来たのとは別の道に行くの?あれれ?ちょっと待って「大分県」って書いてあったの何ですの?完全に紅葉がきれいな山の中コースなんですけど。いっぱいトンネル出てきたし薄暗いしタヌキとか飛び出してきそうですけど。こっちでいいとナビ様がおっしゃるのでそのままずんずん進むしかない。なんだか急カーブだけどこのまま進んで通行止めとかにならないよねまさかねあはは。でも最近の通行止め情報入ってるのかなこのナビ。(不安)
みどりの窓口でもらった地図は大ざっぱなので距離感さっぱりわからず。とりあえず、時々出てくる○号線の文字を頼りにどこらへんなのか予測しつつ進む。むしろ通行止め情報が入ってるからこの道になった可能性。
レンタカー屋さんが閉まるまでにはまだ時間があるからきっと大丈夫だねなんて言ってたら、熊本市街大渋滞。まさかの。
けっこう毎日夕方から通勤渋滞が起きてるらしいので、熊本旅行でレンタカーを利用する際はお気をつけて。見事にどこもかしこも渋滞です。
遅くなる旨を電話して、それでも15分後ぐらいには着いたから良かった。


11月5日(土)
今日は市街地を巡ることにする。
熊本城はまあとんでもなく大きな城で、加藤清正氏がんばった!敷地に入る前からお堀の石垣が崩れているのが見えた。
熊本城
中に入るとテレビで見た櫓の崩れた様子がそのままで痛々しい。広い場所に番号の付いた石が並べられていて、これを積んでいいくのかと思うと気が遠くなる作業だ。
偶然、熊本城まつりに当たり、ちょうど流鏑馬を見ることができた。両手を離して走る馬から矢を射るというのは超絶技巧だと実感した。流鏑馬愛好会?へのお誘い、みたいなアナウンスも流れた。
でかいゆるキャラもいたよ。
ひこまる
奥に進むにつれて崩れた天守閣が近くなってくる。屋根に雑草が生えているのまで見える。こんな立派な建物がやっと建っているのを見るのはつらい。
熊本の人らしきおじさんたちが「完成するまで生きていないと」みたいなことを笑いながらサラッと話しているのが聞こえてきた。心で「そうだそうだ!がんばれおじさんたち!」と応援する。
いくつかの神社で御朱印をいただいた。

市電で水前寺公園に移動する。駅を降りると、目の前の定食屋?みたいなところに急ぎ足で入っていく人たちを見た。
やけに気になったのでそのお店に入ってみた。
いろは(五郎八)
ちゃんぽんを頼んだらこれが絶品で。具の野菜がとにかく多いからヘルシーにお腹いっぱいになった。たぶん、馬刺しも美味しいはず。ああ、うちの近くにこんな店があればいいのに。
水前寺公園はそれほど大きくはないが、透明な水が湧き出た綺麗な場所。地震の後は枯れたということだけど、また湧き出して良かった。
水前寺公園
細川家の殿様が2人、銅像になってるんだけど、どちらもどことなく細川護煕さんに似てた。
猫さんが日なたぼっこしてて、触らせてくれた。
近くに夏目漱石が借りていた家があるというので行ってみた。ちょうど「夏目漱石の妻」観たし。
夏目漱石内坪井旧居
小じんまりとして気持ちよさげな日本家屋。ガイドのおじさんが多弁な方で、漱石は家にいたくないから何日も歩いて旅をしていた(散歩という距離じゃない)とか、ある写真の背景がこの建物の縁側なのを説明してくれたり、隣の完全に潰れてしまった洋館(ブルーシートで覆われている)で日本赤十字が生まれたことも教えてくれた。
それほど歩かないというので、くまもと文学・歴史館で「漱石と熊本」展も観た。こまごまとした堅苦しい仕事の手紙や、俳句の短冊、ざっくばらんな正岡子規への手紙など。意外に漱石尽くし。
くまもと文学・歴史館
水前寺公園かららしい川が近くに流れてるんだけど、それがまた清流で。市街地をこんなに澄んだ川゛流れてることに感激した。

夕食は熊本の慎吾ファン、慎吾ファンのお友達の中居ファンとともに中華で夕食。Eちゃんが木村ファンで私が吾郎ファンなのであと一人いれば完璧(笑)
ドラゴンキッチン本店
こことても美味しい。いろいろ食べて飲んだけどどれも美味しかった。
熊本、食に外れなし。
兵六餅
天草で買ったこれがあまりにも気に入ったのでスーパーに寄ってもらった。買い占めるいきおいで(笑)
ちょうどSMAPベストの曲が決定した時期だったので4人でカラオケに。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


11月6日(日)
東京に帰る日。
空港に向かう道すがら、益城町を通ると崩れそうになったままの家が多かった。洗濯物が干されていたから、住まざるをえないのだろう。事情は人それぞれあるのだろうが、無事で先に進めますようにと祈るしかない。
熊本空港で買った温かいいきなり団子が大きくてすこぶる美味しかった。プレーン、よもぎ、紫芋。プレーンとよもぎを買ったけど、どうして全種類買わなかった自分!
たぶん、熊本空港のものより美味しいいきなり団子にはもう出会えないかもしれない。それぐらい美味しかった。
いきなり団子

いきあたりばったり感が漂う今回の熊本旅行。何を食べても美味しかったし、いろんな方々にお世話になりました。ありがとうございました。
熊本はいいぞ。

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2016年2月 恋と音楽FINAL~時間劇場の奇跡~ atパルコ劇場

舞台の上にはもうひとつの舞台「グッドタイムシアター」ステージ。
北沢修司(稲垣吾郎)と峰麗子(真飛聖)のミュージカルが上演されている。と、そこに「やめろやめろ!」と客席から突っ込んでくる小倉久寛さん。誰?でも、舞台の2人は小倉さんに気づいていない様子。幽霊?
修司と麗子は表向き仲が悪いふうを装っているが、実は付き合っている。楽屋でラブラブな2人。修司は今夜、麗子にプロポーズしようとしている。
そこにスタッフが時計を探しにやってくる。この劇場のシンボルの壊れた古時計らしい。
スタッフがいなくなって幕の陰でまたイチャイチャしだす修司と麗子。すると、古時計が落っこちてきて動き出す。
そこへ一郎(小倉久寛)と花子(北村岳子)が現れる。不思議なことに一郎も花子も、それぞれが修司と麗子しか知りえない事実を知っている。実はそれぞれの未来の姿らしい。
だがなぜか、プロポーズを成立させまいとする一郎と花子。2人は、自分の不幸がすべてこの夜のプロポーズにあると思っていた。
自分の未来が失敗すると知っている者たちが反対しても、修司と麗子は結ばれるべきなのだろうか。


今回の舞台は3回観劇することができました。
正直、ミュージカルは苦手です。「えっ?歌うの?踊るの?」ってなるし、おおむねストーリーの詰めが甘く単純で、セリフの裏の裏を読んだり、一つのセリフで空気がガラッと変わるような複雑な会話劇が好きな私にはちょっと物足りない……という感じです。
ミュージカルの歌詞って「表」しかないじゃん。裏の気持ちはどこに?
ストーリーを歌で説明してどこが面白いんだろう、とか。(うるさくてすまない)
この「恋と音楽」シリーズも例外ではなく、特にシリーズ最初の舞台はあまり覚えてない。自分のブログを読み返して河原さんのとこ思い出した。
http://namaste56.blog.fc2.com/blog-entry-18.html
ちなみに「恋と音楽Ⅱ」はこちら
http://namaste56.blog.fc2.com/blog-entry-2.html

今回は、劇中劇が「歌うハムレット」ということで衣装が豪華!ウェストが狭くなった裾の広がったキラキラ衣装がよくお似合いすぎて。エナメルの靴も輝いて素敵です。
あー稲垣さんシェイクスピア演ってほしい。「痴人の愛」でも可。
登場の衣装はちょっとすっとこ王子っぽいけどww
手の振りが全体的に優雅で背がピンと伸びている、去年の「No.9」での身振りを思い出した。
で!
最初のほうの楽屋シーン、こっち向いてる鏡台が枠だけなんだけど、その中からシュウ♪の目線が!私に!!真っ直ぐ!目と目が!!シュウ♪の目は明らかに焦点合ってませんけど!!www私の目はロックオン!!
真っ直ぐこっちを向いていらっしゃるシュウ♪と、横から聞こえてくる真飛さんのささやき声が刺激的でですね!真飛さんってささやき声なのによく通るんですよ。なにゆえ?
ここで吾郎さんが片足ターンするんですけど、まったく軸がぶれない。横の小倉さんが逆にぶれぶれで面白かったー。
長椅子に座る姿は「ヴィーナス・イン・ファー」を思い出すね。脚ほっそ!なっが!!

歌はどれもラブ・ソング。甘ーーーい!(古)
そうね、恋愛っていつも自分のがオリジナルだものね。第三者が見てどれだけ陳腐であったとしても、自分の恋愛が一番輝いてるし、自分の失恋で誰よりも傷ついたと思うもの。
そんなどこにでもありそうな、男女のすれ違いの物語に、小倉さんと北村さんが大人の経験でスパイスを添える。
疑い、誤解、説明不足。
それでも歌う!だからこそ踊る!
「トラブルの種は自らの中にある」
「心をこめて願えば未来は変えられる」
「どんな未来が待っていたって、僕は恐れない」
おぅ、ストレートすぎますYo!

そして未来。
貴族の黒い服(金のふちどり付)がまあよくお似合いで!
その前にピンクの貴族服もあったけど、そっちは「ゴローちゃんの服」。
黒い衣装は「稲垣様の御衣裳」といった面持ちで、出てきた瞬間客席が「ほぅ」っていうため息でさざめいた。(まじ)
夢の世界なのか現実の夢なのか、混乱しそうになりつつカーテンコール。

吾郎さんになって出てきた!
ゴローちゃんでも稲垣様でもシュウ♪でもなく、まさしく吾郎さん。
薄絹をハラッと脱いだような、吾郎さんの顔なんだけど吾郎さんじゃない、いつものSMAP吾郎さんがいました。
毎回不思議だ。
目撃した人なら同意してもらえると思うけど、終わると速やかにSMAPの吾郎さんに戻る。
ふわっ、と。

吾郎さんの好きなところを、いつもパルコ・プロデュースの舞台で気づかされる。
顔やスタイルではない、性格でもない。
いや、それらも好きだが、吾郎さんを意識するようになってから徐々に好きになってきた感じだ。
では最初に見つけたのは何か。
それは……
ふうわりとして邪魔にならない、自然で綺麗な、LOVE。
いつのまにかそこにいて、けれど決して近づきすぎないし優しすぎもしない、居心地のいい、LOVE。
雰囲気、と呼ぶには理想的すぎ、気のせい、と呼ぶには具体的にすぎる。
LOVE、を形作ったその存在。

ポエムか!
私はなるべく冷静に、批評家のように、稲垣吾郎という舞台俳優を見て痛い。違う。見ていたい。
ダメなところはダメだときちんと書きたい。
でも無理。
舞台の度にまた新しく好きになる。
キュートと男らしさは矛盾しない。強引なほどの牽引力を、彼の存在に感じる。
感受性が鈍くなっていない全ての人(男性・女性問わず)の憧れを具現化したらきっと吾郎さんになる。
ずっと観ていたいものが、この場所には存在している。

人間が炎の中に精霊を見たり、
岩に絵を描いたり、
揺れる心を詩にしたり、
そんな根源的な衝動と、
恋と、
音楽と、

稲垣吾郎さんと。


カーテンコールで、
「30年後の未来が歪んだものにならないようにがんばります」
「未来は変えられる」
そんなことをサラッと、当たり前のように、疑いもなく語る、稲垣吾郎さん。
はーーーーーー!
現実かなーーーーーーーー!?

ぜひ、ぜひ、未来の末席に座らせていただきたい。
こちとらあんまり未来の時間ありませんけど、なるべく、がんばりますから!
いつか、また!
舞台の上の吾郎さんに、恋させてください。

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