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熊本旅行記

11月2日(水)
仕事帰りに福岡に飛ぶため、仕事帰りに羽田空港へ。幸い仕事は早めに終わった。広い羽田空港の連休前、同行のEちゃんと出会えるかどうか少し不安だったが、人混みの中で向こうからやってくるのを見つけた。
夕食として3種のおこわおにぎりがセットになったものを買った。
ひとくちおこわ
空弁というのか、種類が多くて迷った。

久しぶりの飛行機にドキドキする。乗り物としては圧倒的に新幹線が好きだ。飛行機は着陸の時、耳がキーンとなってなかなか治らなくて。
熊本泊なのに何故福岡空港行きを選んだかといえば、九州新幹線に乗りたかったからだ。空港と博多駅は近いので、チャレンジしてみた。
時間的には割と余裕だったが、ここで九州新幹線の罠が。豪華で有名な「つばめ」に乗ろうとしたら、途中の駅をすっとばす「みずほ」が先に熊本に到着するらしい。速いのだから「つばめ」より豪華なのでは? 乗ってみて思った。
「普通……」
特に豪華じゃなかった。というよりいつも乗ってる新幹線と同じような雰囲気だった。惜しい。
熊本駅で隣のホームに止まっていた「つばめ」の外観を撮影して少し満足した。
ホテルまではタクシーを使おうとしたが、「東横イン」の滑舌が悪かったらしく降りてみてそこが「東急ホテル」であることに気づいた。「東横イン」の看板が見えたのでそちらに向かったが別支店だった。おっと。
そこにあった地図を頭に入れて、予約を入れたほうのホテルに向かった。初日からちょっと凹む。
とりあえず、缶ビールで乾杯して就寝。


11月3日(木)
ホエールウォッチングの日。JRから電車&フェリー往復の割引回数券が売られていて、予約してあったのを熊本駅のみどりの窓口で購入する。三角駅で降りてフェリーに乗って天草に向かう。三角駅は小さくて可愛らしい駅。
時間があったのでランチ。海鮮ワンプレートみたいな。これが当たりで美味しかった。お刺身やばいほど旨い。
シークルーズという会社で予約したんだけど、メールの問い合わせに丁寧に答えていただいて、前述のお得な回数券についても教えてもらった。
シークルーズ
2枚きっぷ
ホエールウォッチングのフェリーは香港からの団体客で混雑していた。ライフジャケットを装着すると、エンジンの音が次第に大きくなり速くなっていくが、ずっと島影があって凪いでいる。
ひときわ大きな島を通り過ぎる時、ガイドのお姉さんが「あれが長崎県の島原です」と説明してくれた。近い。天草って長崎じゃないの?と勘違いしてたのはこれだけ近いせいだったか。
1時間ほど走って目的のスポットに到着する。1年を通して98%の確率で野生のイルカが見られるそうだが、海は広い。ずっとそこにいるとは限らないのに大丈夫だろうか。イルカの気分次第でこの先会社が傾くことはないのだろうか。(余計なお世話)
そんな心配をよそに、海面を見ていた団体客がわっと歓声をあげた。ミナミバンドウイルカの背びれがいくつも見える。フェリーがそちらに向かう。
1頭の背びれが見えると次々と海面に姿を見せる。こんなに集団のイルカを見たのは初めてだ。
見つけるたびに団体客が大騒ぎするので助かった。あっちか!今度はそっちか!っていう具合に(笑)香港からのお客さんたちは感情を判りやすく表現する。静かになんてしない。驚きも笑いも隠したりしない。シャッター音と一緒にとても騒がしくていっそ清々しい。
イルカたちは何度も何度も姿を見せてくれた。ガイドのお姉さんによると100頭ぐらい見えたらしい。当日の1回目は数頭しか見つけられなかったが、今回はちょっと珍しいほど集まっていたそうだ。
私も友人も感激して熊本市街に帰ってきた。

夕食にと目星をつけていた店は残念ながら予約でいっぱい。ふらふら歩いて最初に目に入った「馬刺し」と書かれた店に入った。
ここが大当たりだった。
馬刺しも美味しいし、海鮮サラダもなかなかだし、焼酎も揃ってるし。
なんといっても驚いたのは辛子レンコンを頼んだら天ぷらが出てきたことだ。アツアツの天ぷらの中に詰められた辛子はちょっと辛みがマイルドになって旨みが凝縮されている。サクサクのレンコンだけでも美味しいのに、辛子が輪をかけて美味しいものだから、もうアメイジング!な食べ物になってる。
締めに頼んだあら汁も、こんなに魚の身が残ってますけどいいんですか!?な旨さで、まあ大変。
また熊本を訪れることになったら行きたいお店です。
魚粋


11月4日(金)
今日は山。阿蘇山方面へレンタカーでドライブ。
免許は持ってるけどペーパー歴10年以上の私なので、運転は全部Eちゃんにおまかせで。ありがとう、かたじけない。
ならば私が完璧なナビを、と思ったらナビついてた。2人してナビに不慣れなもので、いろいろ触ってたらハザードが出た。キャー!なんでだよー!壊れた?車壊れた?と路肩に停めたら、どうやらナビ画面のすぐ下にあるハザードランプボタンを私が押した模様。すまんかった。勝手に車のせいにしてすまんかった。

いまきん食堂には行きたかったものの時間がちょっと早すぎたので、ノートに名前だけ書いて阿蘇神社に向かう。
阿蘇神社
神社本殿ではなく、門とその横の建物が地震の影響で潰れてブルーシートがかけられていた。神社の近くにあるボロボロの掘っ建て小屋は平気なのに、そこだけ集中的に壊れている。共振の波長とか屋根が重いとかいろいろ理由はあるのだろうが、実際に目にするとそこが神社のせいもあって、被害を集中して受け止めてくれたようにしか見えない。不思議なことだ。
再建のため、少額ではあるが寄付してきた。
あと、水がとても美味しい。びっくりするほど美味しい。
いまきん食堂に戻ってみると、びっくりするほど列が伸びていた。2時間待ちだという。まあ仕方ないと思いつつ駄目もとで、ノートの先のほうで二重線で消されてない自分の名前を言ってみたら、すんなり入れていただけた。こっちがびっくりして一瞬動けなくなるぐらい普通に。本当にありがとうございます。
あか牛丼はローストビーフに温泉卵という最強の布陣。味が濃厚かつ牛肉が柔らかくてどんどん食べちゃう。たいへん美味しゅうございました。
いまきん食堂

いよいよ阿蘇山大観峰へ。
阿蘇山というのはあまり見たことのない山で、町が360度の平らな山脈に囲まれている感じ。上がギザギザでなく平ら。大きな誰かが刀で薙ぎ払ったようにスパッと平ら。下生えやススキはあるけど木はあまり生えておらず、岩が向きだしになっている。あまり堅くはないようで、あちこち大きな崩落の箇所が見える。
大観峰でその全貌を見渡すことができた。
つまり、ここはとんでもなく大きなカルデラ(噴火口)なのだった。はるか昔ドカンと山が噴火して吹き飛び、その後中岳(噴火中、白い噴煙が上がっている)が下から押されて盛り上がった。人々は噴火口の中に道や家を作って住んでいる。
阿蘇大観峰
雄大と言ってもまだ足りない。とにかく大きい。気が遠くなるほど広い。旅行前、中岳噴火で心配になってメールしたけど、熊本友人が「ああ、あそこはいつも煙出てるから」と意に介さない返事だった理由がわかった。
デカイからだ。
中岳の噴火はこのデカイ阿蘇のほんの一部にしかすぎない。あちこち通行止めで不便ではあるけれど、山自体はビクともしない。
パラセーリングっていうの?パラシュートで空中散歩を楽しんでいる人もいた。さぞかしいい眺めだろう。
売店のソフトクリームがズッシリとして美味しかった。

近くの観光地を写真で説明しているボードがあって、鍋ヶ滝という場所に行ってみることにした。水源地へ行こうとしたらみどりの窓口の人から通行止めマップを手渡されて諦めかけていたのだった。
鍋ヶ滝はもっと山の奥かと思ったらけっこう村落の近くだった。
急な階段を降りるとどんどん滝の音が大きくなって、寒くなってきた。
幅の広いその滝はせり出した岩から落ちているので、えぐれた滝の裏側を通って向こう側に行くことができる。裏側から見る滝はとても綺麗で感動した。
鍋ヶ滝
涼しいので、夏、滝を見ながらビール飲んだら気持ちいいだろうなと思ったり。さっきの大観峰もそうだけど、この滝も見ていて飽きない。いいぞ熊本。

寒くなったので温泉に寄って帰ることにする。杖立温泉という名前を見つけ、ガイドブックから適当な旅館名をナビに入れてみた。
なんかとんでもない山中に連れて行かれそうになった(笑)こんなカーブ曲がれない無理。ということで別な旅館名を入れると、今度はすんなり
「ようこそ杖立温泉へ」という文字のある温泉街に出た。
共同浴場らしききれいな建物があったのでそこに入ることにした。ここも当たり。整えられた日本庭園の中にいくつもの湯船があるようなスタイルで、気持ち良いことこの上ない。
湯上がりに飲む冷たい水も間違いなく美味しいやつ。今度はこの温泉街にも泊まってみたい。
吉祥の湯
行き当たりばったりながら充実した1日を過ごして、さあ帰りましょう。とレンタカー屋さんにナビをセット。
あれ?来たのとは別の道に行くの?あれれ?ちょっと待って「大分県」って書いてあったの何ですの?完全に紅葉がきれいな山の中コースなんですけど。いっぱいトンネル出てきたし薄暗いしタヌキとか飛び出してきそうですけど。こっちでいいとナビ様がおっしゃるのでそのままずんずん進むしかない。なんだか急カーブだけどこのまま進んで通行止めとかにならないよねまさかねあはは。でも最近の通行止め情報入ってるのかなこのナビ。(不安)
みどりの窓口でもらった地図は大ざっぱなので距離感さっぱりわからず。とりあえず、時々出てくる○号線の文字を頼りにどこらへんなのか予測しつつ進む。むしろ通行止め情報が入ってるからこの道になった可能性。
レンタカー屋さんが閉まるまでにはまだ時間があるからきっと大丈夫だねなんて言ってたら、熊本市街大渋滞。まさかの。
けっこう毎日夕方から通勤渋滞が起きてるらしいので、熊本旅行でレンタカーを利用する際はお気をつけて。見事にどこもかしこも渋滞です。
遅くなる旨を電話して、それでも15分後ぐらいには着いたから良かった。


11月5日(土)
今日は市街地を巡ることにする。
熊本城はまあとんでもなく大きな城で、加藤清正氏がんばった!敷地に入る前からお堀の石垣が崩れているのが見えた。
熊本城
中に入るとテレビで見た櫓の崩れた様子がそのままで痛々しい。広い場所に番号の付いた石が並べられていて、これを積んでいいくのかと思うと気が遠くなる作業だ。
偶然、熊本城まつりに当たり、ちょうど流鏑馬を見ることができた。両手を離して走る馬から矢を射るというのは超絶技巧だと実感した。流鏑馬愛好会?へのお誘い、みたいなアナウンスも流れた。
でかいゆるキャラもいたよ。
ひこまる
奥に進むにつれて崩れた天守閣が近くなってくる。屋根に雑草が生えているのまで見える。こんな立派な建物がやっと建っているのを見るのはつらい。
熊本の人らしきおじさんたちが「完成するまで生きていないと」みたいなことを笑いながらサラッと話しているのが聞こえてきた。心で「そうだそうだ!がんばれおじさんたち!」と応援する。
いくつかの神社で御朱印をいただいた。

市電で水前寺公園に移動する。駅を降りると、目の前の定食屋?みたいなところに急ぎ足で入っていく人たちを見た。
やけに気になったのでそのお店に入ってみた。
いろは(五郎八)
ちゃんぽんを頼んだらこれが絶品で。具の野菜がとにかく多いからヘルシーにお腹いっぱいになった。たぶん、馬刺しも美味しいはず。ああ、うちの近くにこんな店があればいいのに。
水前寺公園はそれほど大きくはないが、透明な水が湧き出た綺麗な場所。地震の後は枯れたということだけど、また湧き出して良かった。
水前寺公園
細川家の殿様が2人、銅像になってるんだけど、どちらもどことなく細川護煕さんに似てた。
猫さんが日なたぼっこしてて、触らせてくれた。
近くに夏目漱石が借りていた家があるというので行ってみた。ちょうど「夏目漱石の妻」観たし。
夏目漱石内坪井旧居
小じんまりとして気持ちよさげな日本家屋。ガイドのおじさんが多弁な方で、漱石は家にいたくないから何日も歩いて旅をしていた(散歩という距離じゃない)とか、ある写真の背景がこの建物の縁側なのを説明してくれたり、隣の完全に潰れてしまった洋館(ブルーシートで覆われている)で日本赤十字が生まれたことも教えてくれた。
それほど歩かないというので、くまもと文学・歴史館で「漱石と熊本」展も観た。こまごまとした堅苦しい仕事の手紙や、俳句の短冊、ざっくばらんな正岡子規への手紙など。意外に漱石尽くし。
くまもと文学・歴史館
水前寺公園かららしい川が近くに流れてるんだけど、それがまた清流で。市街地をこんなに澄んだ川゛流れてることに感激した。

夕食は熊本の慎吾ファン、慎吾ファンのお友達の中居ファンとともに中華で夕食。Eちゃんが木村ファンで私が吾郎ファンなのであと一人いれば完璧(笑)
ドラゴンキッチン本店
こことても美味しい。いろいろ食べて飲んだけどどれも美味しかった。
熊本、食に外れなし。
兵六餅
天草で買ったこれがあまりにも気に入ったのでスーパーに寄ってもらった。買い占めるいきおいで(笑)
ちょうどSMAPベストの曲が決定した時期だったので4人でカラオケに。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。


11月6日(日)
東京に帰る日。
空港に向かう道すがら、益城町を通ると崩れそうになったままの家が多かった。洗濯物が干されていたから、住まざるをえないのだろう。事情は人それぞれあるのだろうが、無事で先に進めますようにと祈るしかない。
熊本空港で買った温かいいきなり団子が大きくてすこぶる美味しかった。プレーン、よもぎ、紫芋。プレーンとよもぎを買ったけど、どうして全種類買わなかった自分!
たぶん、熊本空港のものより美味しいいきなり団子にはもう出会えないかもしれない。それぐらい美味しかった。
いきなり団子

いきあたりばったり感が漂う今回の熊本旅行。何を食べても美味しかったし、いろんな方々にお世話になりました。ありがとうございました。
熊本はいいぞ。

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ボランティア日記 #3

2013年12月28日~29日 福島県・双葉郡川内村
岩手県陸前高田市、宮城県七ヶ浜町に続き、時間は空いてしまいましたが川内村でのボランティアです。
岩手・宮城・福島だけでなく、市町村コンプリートですがな。
震災から時間が経っているので、人数は以前のように大型バス1台分とかではなく、ワゴンで2台。27日の朝から出発する別動隊と現地で合流です。
冬だし、とりあえず防寒具と、入れないかもしれないけどとりあえず入浴セット、自前の長靴を入れるとけっこう大きな荷物になった。



朝6時に起きて(スマショでもないのにw)集合場所に向かう。朝晩は東京といえどもなかなかの寒さよ。
年末年始の連休初日だから、高速道路がもう少し混むかと思ってたけどスイスイ。予定時間の前に集合場所のファミリーマートに到着しました。
そのファミマはJヴィレッジ(もともとJリーグの施設で震災後は福島原発のための事務所に使われている)の近くにあって、辺りにはそこしかコンビニがないため作業員たちが多く利用しているらしい。
Jヴィレッジの周りは工業団地にしたかったのかな?工場が少しあるぐらいで食べ物屋は少なく、いくつかの大きな家が広い敷地に建っていても人影がなかった。長期に留守にする家って、カーテンがひかれて洗濯物もなくどこか寂しいものだけど、そんな家しかない。記憶の中にこういう風景を探したが、今まで見たことはなかった。
行き交う車も少ないが、パトカー数台とすれ違う。北海道警のパトカーもあった。お疲れさまです。



ファミリーマートで昼食、夕食、次の日の朝食を買って、ホッカイロを腰とお腹に貼る。昼食はコンビニの駐車場で立ったまま食べた。
寒い。うーん雪国の寒さって感じ。
作業する諏訪神社はここより標高10メートルほど上がった場所らしい。
「駐車場に食べ物忘れてるの誰ですかー?」
あ た し だwwwwwww



1時間ほど走って最初の作業場所に着いた。コンビニのあった場所よりも明らかに寒い。通ってきた道路に設置されていた温度計は1℃を指していた。雪もちらついている。
長靴に履きかえて、神社の境内の落ち葉拾いをする。手は普通の軍手の上にゴム付きの軍手2枚履き。
それほど大きな境内でもないが、瞬く間にゴミの袋が減っていく。風があまり無いので動いていると温かくなってくる。気持ちがいい。
男性2人はご本尊の安置されている奥まったお堂周りの掃除。女人禁制だそうだ。ちょっと羨ましい。
片づいたところで中に招かれ、ストーブの上で熱くなった缶コーヒーをいただいた。缶しるこもあったので漆原教授を思い出す。
お堂の中には奉納された大きな絵馬や小ぶりの剣などが飾られていた。
ひときわ大きな絵馬があり、蛇が描かれているようなので由来を訊いてみると、片目の蛇は製鉄を示していて、ここ一帯は昔、製鉄が盛んだったらしい。こういう話は興味深い。
御神矢(破魔矢というのは日本最古の登録商標らしい)をいただいた。来年はいい年になりそうだ。



少し早いが、宿泊させていただく長福寺に入る。
大きな入浴施設は現在工事中なのでお風呂はなし。まあそれもいいよね。
長福寺は大きなお寺で、小さな山ひとつぶんぐらいはある。次の日はここの落ち葉を拾うのか(汗)今日割と楽だったから明日がんばろう、うむ。
大きなお堂の2階に2間の部屋があり、そこを使わせていただくことになった。石油ストーブや電気ポットも置いていただけてありがたい。が、申し訳ない。
実はこの部屋は昔、隠し部屋として使われていて、幕末の混乱期、つくばの殿様を匿ったそうだ。なんか由緒ありありなんですけども。そう思って見回すと、古いレコードとか書の入った額縁の近くに骨董品みたいな木の箱がいくつもある。たぶんこの信頼は、以前ボランティアで訪れた先人あってのものだろう。
ここで夕食の差し入れでお寿司が! そして大きなお鍋に豚汁も!
お寿司の差し入れは次の日の諏訪神社(今日行ったとことは別)のある地域の地区長さんから。豚汁はお寺さんから。他におこわとレンコンの煮物も。
お寿司が美味しくてしかも温かいものも食べられるなんて本当にありがたいですしおすし。
食事が終わると、テーブルには当然のように日本酒・焼酎・赤ワイン・ビールが並ぶ。
地酒うまーーーー!!
今日の諏訪神社の宮司さんとこのお寺の僧侶さんも加わって酒盛りなど。
僧侶さんは若くてあまり口数が多くないが、どことなく切れ者な風情。
宮司さんは豪快な親分肌で、若い頃はさぞブイブイだったろうと思われる。赤ワインをぐいぐいいってた。
宮司さんと、こちらのボランティアの中心になっているYさんが心から信頼を寄せあっている感じがとても良かった。
震災から時が経って、ボランティア精神も風化しがちな中、いろんな人のいろんな気持ちがあってこのボランティアが成立しているんだと感じた。
宮司さんがワインを飲みながら言った。
「テレビで絆、絆って盛んに言ってたでしょ。あんなの嘘っぱちですよ。政治家とマスコミが言ってるだけだ。福島はね、あちこちで心が分断されちまってるんですよ。だからね、東京からボランティアが来るっていってもどうかなあと思ってましたよ。ここらへんでは空き巣やなんかが増えていて、逮捕されるのは皆県外から来た奴だ。背中に入れ墨入れてるやつも多い。下心ばっかりだ。Yさんを紹介された時も正直、どうかなと。でもね、話してるうちに判った。この人いい人なんだ。皆さんも、私の話を聞いてくれてるし下心がない。だから、私らはまだまだ頑張らなきゃならないな」
私は宮司さんの隣にいてワインを注いだりしてたから見えたんだけど、最後のほうは涙ぐんでいらした。



夜、数人で外に出てみると、頭上には満天の星。
田んぼの真ん中を通るアスファルトの農道から見上げると、遠くの山にかかる星まで360度星空。
オリオン座や北斗七星はもちろん、天の川に浮かぶはくちょう座やすばるもクッキリと。
タブレット端末を持った人が星座を調べながら、皆で星空を楽しんだ。
首が痛くなったので農道に寝ころんでみたりして。夜中に車なんて通らないもんねー。
オリオン座のベテルギウスはもう爆発してるかもしれないんだよー、とか話しながら帰る。
人間から「綺麗だねー」とか言われたいわけじゃないのに、決定的に綺麗だよね満天の星空って。



次の日は朝早いので、皆早々に横になった。
がっ、
ささささむいいぃぃぃぃ~~~><。
下が何もないお寺の本堂だからしんしんと冷える。割と厚めの寝袋を貸してもらったんだけどそれでも寒い!おまけにさっきまで飲んでた日本酒のせいで?トイレに行くこと2回。出入り口近くにいた人、申し訳ない。
たまらずにダウンを着たら上半身はほんのり温かくなったものの足先が凍りそう!うつらうつらしながら朝を迎えた感じ。起きて訊いてみると、けっこう皆そんな感じだったけど、冬山用寝袋を持参してきた人は「夜中に熱くなって1枚脱いだ」とか。冬山用すげーーーー!
ふと気づくと、私だけ寝袋の頭方向と足方向を逆に使っており(普通足下はジッパーで閉じてる)、そりゃあ寒いよ。酔っぱらってたんだな、うん。



朝6時起床、買っておいた朝食を食べて部屋の清掃。
なんと!窓の障子を開けるとガラス窓とかなくて外だったよ!なんて風流!じゃなくて、寒いのも納得だよ!
下に荷物を下ろして7時過ぎから落ち葉清掃。
人が上ってくる階段付きの参道と、車が上ってくる幅広の参道と、けっこうな面積。
働かせていただきますよ、ええ。一宿一飯の恩義でもありますしおすし。
竹ぼうきも貸していただいて、昨日の神社より更に多くのゴミ袋が消えていく。しばらくすると二の腕と太股がじんわり痛くなってきた。
ここの僧侶さんが昨夜言っていた。
前は檀家さんのほうから「させてください」と言ってやっていただいてた落ち葉清掃が、最近ではこちらからお願いしていた。本来の寺と檀家の関係が変わってしまったのは、こちらが既存の関係に甘えて、関係を深めることを怠っていたせいではないか。そんなことを考えていた時に東京からのボランティアの話があって、やはりこちらからも繋がる努力をするべきだと思った。というようなことを。
下心がないって昨夜宮司さんが言ってたけど、私にはちょっぴりある。申し訳ないけど。どんなにGJだったとしても日常で感謝されることが私にはないから、感謝されたくてボランティアしている。お金も物もいらないんだけど、温かい気持ちがほしい。
たぶん、ボランティアする側も受け入れる側も、基本は気持ちなんだと思う。Win-Winの関係。



午前中に終わって、僧侶さんご家族にお礼を言って次の神社へ。昨日の諏訪神社と同じ系列?らしい。
更に山の中に入っていくので、ここより寒いとか。どんだけですか(がくぶる)。
車を走らせていくと、車道脇に雪が溶けないで残っている地域に来た。
蛇行した道を上っていくと神社の境内に達したけど、地面凍ってるとこありますよぅ><
ここの境内はそんなに広くないし、落ち葉は脇の崖に落とせばいいということなので寒さ以外はどうにでもなりそう。
車内で昼食をとって作業にとりかかったけど、なんということでしょう、高所恐怖症なため崖が怖くてやっとの思いです(笑)。すごいへっぴり腰で作業してました。
氷をなんとか割って下の落ち葉も撤去し、途中で管理されてる近所の方たちがいらして、年始の準備を兼ねて神社の中に入れていただきました。
中は綺麗な天井があり、木の床はほんのり温かくて気持ちいい。外の日ざしがあたっている場所は更に温かい。そこで一緒にボランティア参加している女性たちと話していたら、地元の人が白い液体を入れたペットボトルを持ってきてくれた。
それは地酒のどぶろくで、まだ米のつぶつぶが残り、麹の甘みもほのかに感じるものでした。本当に美味しい。アルコール度数が高いので、喉から胸にかけてカッと熱くなりました。



作業が終わると、その地区の公民館で一休みさせていただけました。
新しくてまだ木の匂いがするその建物は完全にバリアフリー。何本もの太い松の梁が見事で、天窓からの光が明るく、広い炊事場もありました。一つの部屋に「検査室」という張り紙のある以外は、心地いい公民館です。
食べ物の放射線量を計る機械がその部屋にあり、この土地で穫れた作物はここで調べられるそうです。他と何も変わらない山の風景のように見えて、ここは福島なのだと思いました。
昨夜お寿司を差し入れてくださった地区長さんが、温かい飲み物を差し入れてくださいました。
柔和で口調も柔らかいおじいさんでしたが、現状についての話の内容は生々しいものでした。
震災の日、ここはあまり被害がなかったが、一週間ほどすると避難区域になった場所から多くのやせ細った犬や猫が出てきて、ずっと道の向こうからふらふらと歩いてくる。全部は保護できないから道にキャットフードやおにぎりなんかを置いていたんだが、その犬や猫の様子を思い出すと今でも涙が出てくる。
ずっと淡々と静かに話す地区長さんだったが、一度だけ、口調が強くなった時があった。
若い人たちが遠くに避難したまま帰ってこないという話にも、ボランティアの1人が「働き口もなかなかないでしょうしね」というようなことを言った時だ。
違う。それは絶対違う。それはただの口実だ。我々はずっと昔から自然と一緒に暮らしてきた。自然を守って守られながら一緒に何代も何代も暮らしてきた。今回の原発災害は、我々が自然を裏切り、自然が我々を裏切ったということだ。周りの豊かな自然に育まれて生活してきた我々には、この同じ景色に傷つけられるなんて可能性は全く考えられないことだった。だから、信じられなくなった若者たちはなかなか帰ってこない。帰ってこれないんだと思う。
そんなような内容を地区長さんが語る後ろで、村の男たちがその分厚い掌で注連縄飾りを編んでいた。
ここまでの地方ではないけれど、東北で生まれ育った私にはその感覚が判る気がする。
山の冬は厳しいが、春には豊かな恵みを約束されている。緑は萌えて花が開く。その春に向かうさまは毎日濃くなる空気の匂いでも感じられ、圧倒的な理(ことわり)がこの世にあると思い知らされる。
その理が壊れた時、人間に何ができるのか。
線量が下がり、いち早く帰村宣言をした川内村でさえ、暗中模索しているのだと感じた。それでも、住んで生きている人たちは黙々と除洗作業に携わり、作物を作り、放射線量を調べながら暮らしていくのだろう。そこには東京に住んでいる私たちのようなせっかちさはない。
このよく判らない敵と、死ぬまでせいいっぱい闘おうと覚悟している。



お礼を言って帰路についた。
途中、何度か話題にのぼった富岡町を通ってみることになった。
徐々に空が薄暗くなっていく中、そこは完全にゴーストタウンだった。夕焼けをバックに、暗い窓と無人の町がずっと続く。そこには生活が無くなっていた。廃墟になろうとする時間と闘っている町に見えた。
地震で壊れたのか空き巣に入られたのか、ガラスが壊れている家、傾いたままのブロック塀、破壊された自動販売機などが過ぎていく。信号機だけが愚直に点灯している。途中、パトカーと消防車の見回りとすれ違った。
道の突き当たりに富岡駅の跡があった。柱と屋根だけになった駅も、津波に揉まれて壊れた車も、あの日のままで放置されていた。駅の向こうに凪いだ海が青く広がって、海上保安庁のだろうか白い船が浮かんでいた。
ここは、地震と津波と放射能に襲われた町だ。
立入禁止のロープの下にプランターが置いてあり、小さな花が咲いていた。傍にジョウロがあった。
『プランターの表面が乾いたら、花にお水を与えてください。このお水は汚染されていない安全な水です。ありがとうございました。(その下に英語で同じ文面)』
プランターの土は、しっとりしていた。
少し歩くと黒く小さな慰霊碑があり、たくさんの花が供えられていた。
その横に柵に囲まれた空間線量計が建っていた。0.413マイクロシーベルト。
なんか疲れがどっと出た。
東京に戻っても、あの場所とこの場所は続いているのだということを忘れないでいようと思った。



帰り道、若田さんが乗った国際宇宙ステーションが山並みに沈んでいくのが見えた。



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名古屋どたばた道中記



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東海も関東も梅雨に入ってすぐの金曜日、会社帰りに名古屋へ。
次の日(5月28日)の高橋優さんのソロツアー初日のために♪
富士山が見えないのが残念だけど、たいめいけんのチキンライス弁当とプレミアムモルツで「一人お疲れ様夜ご飯」。ああやっぱり新幹線大好きだ。
チキンライスはいまひとつ。JR東日本のお弁当を買いたかったけど、その売り場ではほとんどが売り切れてて。やはり駅弁の旨さはJR東日本が一番だと思う。

以前、佐野さんのコンサートで遠征していた時より10年以上経っている名古屋駅。もう何がなんだか分からない。あの時は名古屋人が案内してくれたし。
ちょいちょい人に道を聞きながら、宿泊するホテルに到着。エスカレーターは東京と同じ右側先行だった。
優さんのライブが楽しみすぎてあまり寝てないし(笑)。愛知のテレビは東京よりも原発に対して鋭い意見を出しているコメンテーターが多かった。辛坊さんの番組だったからか?

次の日の午前中は、昨年亡くなった友人の墓参りしようかと思ってたんだけど、外は生憎の雨なので中止。ですよね、梅雨ですものね。
チェックアウトしてからしばらく時間があったので、名古屋駅高島屋上にある化石屋さん?と本屋をチェック。
「世界で一番美しい元素図鑑」なるものを見つけてしまい、最初から見てたら1時間があっという間に経ってしまった。
このセオドア・グレイという人、元素に対する愛情が半端じゃない。元素の特徴や周期表の見方だけでなく、とても元素のことを言っているとは思えない形容詞のオンパレード。
科学者たちはこの元素を何の価値もないと言っているが、○○(職業、何だったか忘れた)は猛然と反対するだろう。とか、非のうちどころのない神秘的な元素だが人間を静かに病気にする。とか、この元素で熱を伝えるタイプの原子力発電所があるが、私はそれをあまりいい考えだとは思わない。とかもろもろ。
付けられている写真がまたとっても美しい。しまいには「幼い頃ぼくが作ったオブジェ」なんてのもある(笑)。
同位元素しか見つかっていない元素があるの知ってた?
自然界にあると言われてて、間違いなく元素表にも載ってるのに「○○が○○グラムあったらこの中に元素が1つか2つあるかもしれないし、ないかもしれない」元素ってどうやって見つけたんだ?
ああ楽しすぎる。欲しいかもしれない。

昼間から、優さんのライブに同行するパルピーさん、名古屋のフォロワーさん(吾郎ファン)kanataさんとふじみやさん2名とランチ。


2人とも若い!そして元気だ!姐さんも頑張る!
矢場とんの味噌カツは、甘くて味の濃い味噌ダレで。初めて食べました。名古屋の味噌文化GJ!かなり味が濃いので苦手な人は苦手だと思います。私は割りと好き。


ただ、ソースとどっちか選べと言われたらソース取っちゃうかも。慣れた味なのと、カラシをたっぷり付けたい派なので、カラシにはソースの方が合うのかなと。
その後、お二人に案内してもらってゆるキャラショーに行く。

泉谷しげるさん呼びかけの被災地支援イベント「みんなの祭り 無礼講」。
http://bureikou.jp/
やななのスケジュールを確認したら、ちょうど名古屋出張だって言うじゃないの!←頑張って柳ヶ瀬まで行こうかと思ってた。
しとしと雨の降る中、フェルト地のゆるキャラさんたちはちょっと大変そうだなと思っていたら、ビニール地の「ごうちゃん」(江ちゃん)に一番最初に会えました。
でかっ!
ゆるキャラさんたちは、ショー以外ではあちこち移動して愛想振りまいてるらしい。
やななをちょっと探してみましたが、その時は見つかりませんでした。どっかにブースも出てたらしい。もっと探せばよかった。
お猿のくぅちゃんとか、いが☆グリオくんとか、ひあゆ丸くんとか、のぶさまとか、その他もろもろいっぱい次から次へと現れるお馴染みの姿に一人で感激。全部やななのブログからの知識なわけだが。
http://yanana87.blog49.fc2.com/blog-entry-465.html
ステージ前のやなな、ちょ、ビニール被ってる!段ボールだからねwww

ゆるキャライベントは、かなーり面白かったです。
こんなに楽しいと知らなかった。
やなな、やっぱりいちいち動きが変だしwww
狭いステージにでかいゆるキャラたちがひしめきあっていて、シロモチくんなどはいつも前に出すぎていて周りのキャラたちに止められてたりとか(笑)。
一人一人を紹介しつつ、紹介されないキャラなどもいたりして、くぅちゃんなんて呼ばれてないのに来ちゃったとかで、ステージにも上がらず女子たち限定で声かけてました(くぅちゃんはワル男キャラ)。とはいっても声を出せないのでスマホ(あいぽん?)で文字を打ち込んで説明してくれたよ。

私は他の3人に、一生懸命やななとゆるキャラについて説明しているというおかしな展開に。
私は超楽しんだけど、他の方々にも喜んでいただけたようで嬉しいわー。
ゆるキャラステージに、なんとかいう名古屋出身のバンド?さんたちが出て、彼らはなかなか男前さんだったんですけど、周りゆるキャラばっかだから超絶違和感www
最後に動けるゆるキャラだけが音楽に合わせてダンス。やななは呼ばれてないのに手を挙げて無理矢理参加wwwくるんと回ったりするシロモチくんが愛おしい♪
私はやっぱりやななが好きだ。変だからwww

その後、ホテルにチェックインし、パルコに移動。
吾郎ファン2人にすべて案内していただきました。本当にありがとう♪
少し時間があったので4人でお茶して、やななの次に来ると私が期待している「長万部のまんべくん」を教えました。←やななもいまだに来てはいないが。
検索して画像が出てきた後の「…うわ…可愛くない」がツボりましたwww
http://manbe.jp/
いろんな話ができて嬉しかったです。またどこかでお会いしましよう。

(優さんのライブはツアー終わってからまた別立てで日記にします。どんだけ長くなるかわからないので)

次の日も雨。昨日よりかなりすごい。土砂降り一歩手前ぐらい。ですよね、台風ですもんね。
チェックアウトして、目の前のコメダ珈琲へ。大きなシロノワールをパルピーさんと2人で食べる。シロノワールは、温めたデニッシュにソフトクリームがドーンと乗ってるもの。あったつめたい?感じが旨いのう♪
このなんでもない喫茶店、居心地がよくてつい長居をしてしまう。
タクシーで名古屋駅に直行し、森くんファンのマイミク、よこっちょさんにお会いする。
とても笑顔が優しい、言葉の端々に頭の良さを感じる、素敵な方でした。
パスタなど食べながら、よこっちょさんのお友達が遭遇した、中居さんと木村さんのエピソードなども教えていただいて、楽しかったー。
東京に長く住んでても道でSMAPに会ったことなんてないんだが。会いそうになったら私は前向いたまま後ろに逃げそうだけどwww
すごいなあ、皆さん。
そして、昨日今日と木村さんの素晴らしい人格を示すエピソードばかりで不満げなパルピーさん。
「あんなにかっこいいのに性格もいいなんてきいい!」みたいなことになってますwww
怒りながらもそれ絶賛ですがな。やっぱりファンでしょ(笑)。
足元の悪い中、名古屋駅まで来ていただいて、しかもお土産物コーナーまで案内していただいて、お世話になりました。本当にありがとうございました、よこっちょさん。またぜひお会いしましょう。

楽しかったぜ名古屋!11月に優さんのライブがあるらしいのでまた来たいぜ名古屋!
その時こそ風来坊の手羽先にゴーだ!








世界で一番美しい元素図鑑世界で一番美しい元素図鑑
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2010-10-22



高橋優「誰がために鐘は鳴る」(ショート)


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「バンブーハウスの岩おじさん」('94 中国・雲南省)

カンランパは何もない田舎だった。多少暑いぐらいの日差しと、柔らかな風が吹いている、夜になると星がきれいな、普通の村だった。
一ヶ月間の中国旅行の途中だった。憧れの内モンゴルで自分のルーツ(頭デカイ、寸胴、足太い)を確認したわたしは、今度はずっと南、ミャンマーとの国境付近にいた。その辺りの中心地である西双版納(シーサンパンナ、景洪とも呼ぶ)では道を歩く少数民族を見るつもりでいた。小さな空港からバイクタクシー(ヘルメットを被らないのはやっぱり気持ちいい)に乗って到着した町は、町と呼ぶには小さくて、半日も歩き回れば充分だった。
宿はけっこう立派なホテルで、シングルベットは広く、安っぽいパステルカラーのピンクと緑で縁取られていた。夜になると(昼間もだが)蟻が這いずり回って身体中を噛むので、最初の一日二日は安眠出来なかった。それでも噛まれるチクッとした痛みにはすぐ慣れてしまったが、困ったのは奴等がわたしの楽しみに取っておいた月餅ゴマ味にも手を出すことだ。この月餅は包装が二重になっていて、中身は大丈夫なのだが、外側の包装ビニールからは簡単に入られてしまう。朝起きて見たら、まるでゴマがこぼれ出したかのように蟻がたかっていた。
月餅と地元名産の雲南茶で朝食を取りながら、ガイドブックを開くとそこにカンランパの文字があった。乗合バスで約1時間、ここより更にのんびりしてそうだが、朝市で賑わうと書いてある。もう既に朝ではない気もするが、名残ぐらいはあるだろう。
だが、甘かった。外に出ていたであろう露店はあらかた取り込まれ、しょうがないので(?)おこわを買って食べた。これが日本のおこわと同じ味だ。ただ、ここの場合は赤いもち米を使うので材料そのままの色なのだった。白く大きなインゲン豆みたいなのも入っていて、モチモチっと美味しい。このおこわを売っている少女に「これ、ちょうだい」と日本語と中国語で言ってみたのだが、彼女は「プードン(判りません)」と2回言って、恥ずかしそうに隣のおばさんの背に隠れてしまった。
そういえば、前日、道端でシシカバブを売っていたおばさんに同じようにしたら、おばさんは笑って「あたしゃ駄目だよー」というように自分の顔を両手で隠し、「待っていろ」のしぐさをして近くの家に入っていった。しばらくすると娘さんらしい少女(小学生だろう)が出てきて、おばさんの代わりに被写体になってくれた。そこのシシカバブも辛くて美味しかったなぁ。
ふと気づくとフィルムの在庫が無くなっていた。あと1本残っていると思い込んでいたので、安心していたのが失敗だった。この村ではどうみてもフィルムを売っている気配はない。小屋のような唯一のマーケットのショーケースの中身は、鉛筆数本、ほこりの被ったカセットテープ、錆びたネジ、形の不揃いなスプーンとフォーク等、何でこんなものを御大層に陳列しておくの?といった物ばかりだ。
それにしても朝市も見たいし、ここの人や風景も撮りたい、でもフィルムは無い。ということで一旦西双版納に戻り、明日また来ることにした。
次の日、やはり朝市が見れる時間には起きれなかったわたしは、またもそもそと月餅を食べながら、ガイドブックを覗くと、バンブーハウスという名の宿が紹介されていて、ゴーセイな昼食が安く食べられるとある。期待に胸膨らませてそこを訪ねると、バカボンのパパ似(ジェームス・ブラウンにも似てる)のおじさんが応対してくれた。言葉が通じないので、宿泊していた日本人が通訳してくれたところによると、ここでは昼食はやっていない、宿泊するならば1泊2食つきで○○元(はっきり覚えてないけど西双版納で素泊まりしているとこの約1/8の値段)だ。かばん1個の軽装だったが、その日本人の「スッゲー旨いモン、食わしてくれますよ」の一言に、1も2もなく宿泊を決めた。
さっきのバカボンのパパおじさんが籠を持ってきた。これから夕食のおかずにする魚や野菜を取りに行き、午後2時か3時くらいから調理を始めるのだそうだ。おじさんはニコニコと嬉しそうに、わたしとわたしのショルダーバックを指差して何か言った。「昨日、そこの道を歩いてたでしょう?って言ってる」その通りだ。「見てたんですか?」と言ったらニコニコ顔をもっとくしゃくしゃにしてうなづいた。それがバンブーハウスの主人、岩光(アイゴン)おじさんだった。

バンブーハウスはその名の通り、竹でできた高床式のホテルで、床下にはニワトリが住んでいる。日本の基準でいえば小屋に近い。電気は通っていないので、夜になるとランプが灯される。もちろん、テレビ、電話、冷蔵庫なんて無い。共同トイレは外にあり、シャワーは水(1泊だけだったので使用せず)、3畳ほどの部屋にはちょっと湿っぽい布団(ベッドではない)が二組と蚊帳があった。
とりあえず、何もすることが無いので本を読むことにした。そこいらにある色褪せ凹んだソファに腰を下ろす。何しろ四方も床も天井も風通しが良いので、なかなか気持ちがいい。青竹踏みの効果もありそうだ。
あんまし気持ちがいいのでついウトウトしていたら、岩光おじさんが戻ってきた。何やら籠が山盛りになっている。おじさんは魚をさばき、パイナップルをくりぬき、野菜を刻み始めた。とてもマイペースでリズムがあって楽しそうだ。辺りに白い湯気が立ち込める。ウトウトしながら半分夢のような気分で「エプロン、汚れてるなぁ」などと思っていた。おじさんとエプロンは微妙にミスマッチだった。
バンブーハウスの夕食を日記にはこう書いている。
『パイナップル入りの、例の赤いモチ米(パイナップルをくりぬいて作った器入り)、魚(おじさんが川で採ってきた)の蒸したもの、豆腐の辛いの(でも白味噌に似てる)、にんにくの芽の辛いの、白菜の辛いの、ちまきの形をしたつみれ(辛い)、スープ(辛い)、結局全部辛いんだけど、おいしい』
そして、当然のように40度もあるらしい強いお酒が出される。飲み干さないと怒られるし、飲むとまた注がれる。こういった酒はさっさと飲まないと喉を通るものじゃないので、お茶と交互に飲むことにする。内モンゴルのお酒も強かったが、ここのは文字通り喉が焼ける強さだ。次々と杯は重ねられ、2本目が出てきた頃に宿泊客の一人がつぶれた。誰かが持ってきた日本酒が水に感じる。まだ夜の8時なのに寝転がる者続出。連泊している日本人によれば、これが毎晩続くらしい。下戸にとっては地獄だろうと思う。
一休み・・・岩おじさんがデザートのパイナップルを切ってくれる。が、また酒盛り。食事(つまみ?)もあらかた無くなったところで出てきたのは、ただの葉っぱ?と思いきや魚のたたき(辛い)を包んで食べるのだという。酸味のある葉だ。たぶん消毒の意味とかもあるんだろう。
ここに来て、岩おじさんは奥さんに酒を取り上げられ、めっちゃ怒られている。わたしたちは笑い転げた。酒盛りも毎晩なら、奥さんの怒鳴り声も毎晩で、それでやっとお開きになるのだそうだ。
すっかり酔っ払ってしまったので、つぶれていない日本人の4人と外に星を見に行くことにした。それほど涼しくはないが、暑いというほどでもない丁度いい風が、酒でほてった頬に気持ちいい。カンランパの人たちは外に椅子を持ち出して夕涼みをしている。わたしたちは近くの川まで歩き、船着場のコンクリートに直に寝転んだ。昼間の太陽の温もりがまだ残っていて、背中がぽうっと暖かくなった。
誰からともなく、旅の出来事や出会った人の話が始まる。友人のこと、大学のこと、将来の不安、とにかく何を話しても良かった。答えも出ない代わりに、何でも聞いてくれる人たちがいる。日本では知り合う筈がなかった人たちと、この土地で同じ時間の中にいる。それはとても不思議なことのようでいて、実は何でもないことなのかもしれなかった。川は静かで、星はただ美しく、背中はぽかぽかで額は冷たい。ここでは普通のことなのに、わたしはスペシャルなことだと感じている。少し、寂しいような気がした。

コケコッコー!
まだ真っ暗な中、オタケビで目が覚めた。しばらくすると柱時計が3回打った。たとえニワトリがうるさかろうが眠いものは眠い。攻撃の合間をぬって負けずに眠ることにする。高度な技だが、休みの日にすぐ前の道路で工事が始まった時でも意地で寝ていたわたしだ。寝ることにかけてはちょっと自信がある。
二日酔いでへばっている一人を除いて、7時頃には皆ぞろぞろと起きてきた。朝食は米で作ったきしめんのようなもの(スープは少なく、やっぱり辛い)。昨夜死ぬ程食べたはずなのに、美味しくて2杯も平らげてしまった。
さて、今日は飛行機で西双版納を離れなければならない。少し早いが清算を済ませると、おじさんがとても寂しそうな顔をした。「また来るから」とわたしは本気で言った。
日記にはこう書いている。
『竹でできたスプーンをもらい、玄関でも悲しそうだった。わたしがこんなに悲しい顔をさせたのは、岩おじさんと母ぐらいかもしれない。おじさん、いろいろどうもありがとう。わたしは一生バンブーハウスとおじさんの悲しそうな顔を忘れられないだろう。また中国に来たら、絶対泊まるからね。新しい真っ白なエプロンをお土産に持って、1週間でも2週間でも泊まるからね。』

けれど、おじさんはもういない。一昨年の8月1日、ガンのため50歳で亡くなったことを知った。底抜けの笑顔も、少し照れたようなおせっかいも、もうこの世から無くなってしまった。再びわたしが訪れて、エプロンをプレゼントした時の顔を見たかったけれど。
目の前には、おじさんから貰った竹のスプーンがある。少しほこりを被って、いびつな形をしている。
岩おじさんはあの酒盛りの夜、ソファでへばってるふり(本当に酔っ払ってはいたが、実はまだイケた)をしていたわたしに、「一人でいるのは良くない。皆と話をしよう」と言った。「酔っ払ってるから」と誤魔化して言いながら、本当はドキッとした。わたしには一人でいたがる癖がある。それを見透かされたようで、このバカボンのパパに似たおじさんは侮れない、とちょっと思った。
けれど、もうそんなことどうでもいい。カンランパはわたしにとって、いろんなことをひっくるめて安らかな土地だった。
本当に、また、会いたかったよ。

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「バクシーシ」('93 インド・カルカッタ)

宿の前には乞食がうろうろしていた。けれど、以前来た時もそうだったし、それをインドの風景の一部だと考えていた。普通の日本人の旅行者だったから金はある程度持っていたけれど、それを出す気は全くなく、僅かな金を与えることが彼らにとって悪い結果を招くような気がしていた。
実際に、安宿が多く集まっているサダル・ストリートの乞食が、外国からの旅行者から金を貰うのを度々目にしていたから、路上の乞食たちはけっこういい暮らしをしているようにさえ思えた。食事の時間になると路上のあちこちから湯気が立ち上がり、ほんのりとカレーの匂いが漂い始めるのだった。
わたしはだいたいゴールデンウィークに旅行に出かけていたが、その時期はインドの真夏、生水は(夏でなくても)飲めないのでミネラル・ウォーターのボトルをいつも持って外出しなければならない。ある日、5、6歳ぐらいの一人の乞食の男の子がわたしの水を指さして何か言った。水が欲しいのかと思って差し出すと、口をつけずに一口飲み(大人も子供もこれが上手。その姿がとてもかっこいいとわたしは思う)、そうじゃないんだという風に先に立って歩き始めた。おいおい、と水に手をかけるとすんなりこちらに渡す。どうやら水を持ってあげるから幾らかのお金をくれ、との意思表示らしい。だが、いくら何も出来ない日本人でも水ぐらい持てるので、笑ってやり過ごした。
インドの子供たちは、わたしの見た限りではとても聡明ではしっこいと思う。
水といえば、こんなこともあった。
カルカッタにある植物園(ただの公園にもみえる)の中には世界最大のバニヤンの樹とかそういった植物の他に、管理人というでもない人たちが普通に生活している。入園料を払ったのがバカみたいに思えるほどだ。
まぁ、とりあえずそこは風も吹いていて過ごしやすかったし、すんばらしくでっかい(大きい、とかじゃなくとにかくでっかい)バニヤンの樹を見ていると何か頭がぼーっとしてきて気持ちよかったから、ベンチに長いこと座っていた。すると、隣に粗末な服を着た女の子とその子の弟らしい子が座って、女の子がわたしの水を指差した。差し出すと、やはり口を付けないで美味しそうに流し込む。その姿は、かわいい、ではなく、かっこいいと思ってしまったぐらい颯爽としていた。ちらっと、うなじの部分が垢でひび割れたようになっているのが見えた。弟にもやっていい?という感じで彼を指差したので、わたしは首をちょっと傾けて「アッチャー(いいよ)」と言った。数少ないヒンドゥー語で名前を聞いたが、あとに言葉が続かない。彼女も笑顔で何か話しかけてくるのだが、さっぱり通じない。しまいには二人して(彼女の弟は既に飽きて、虫をつっついていた)バニヤンの樹の方を向いてぼーっとしていた。何だか不思議とけだるくて気持ちのいい時間だった。

ある日、豪華絢爛なインド映画を観に行こうと思って道を歩いていたインド人に聞くと、あるちょっと離れた映画館を教えてくれた。そこはサタジット・レイ監督の映画を上映するところで、どうもわたしは社会派映画を観たいように思われたらしかった。英語の字幕が流れるのだが、さっぱり判らなくてつまらないのでほとんど寝ていた。タクシー・ドライバーと借金がどうの、の話だったような気がする。
すっかり夜になってしまい映画館近くの屋台で軽い食事をとった。満員のバスに乗って宿近くのバス停で降りると、何となくぐったりとしてしまっていてただひたすら身体を休めたかった。メイン・ストリートを入ってすぐの宿だったのだが、その夜は何だか少し遠いな、と感じていた。
突然、右腕に生暖かいものが触れた。子供がわたしの右腕に掴まってぶら下がるようにしているのだ。真っ暗な中、道で寝ている人たちを踏まないように注意して歩いていたので、本当にびっくりした。驚いて腕を抜こうとするとますます強く握ってくる。いったいこいつは何なのだ。
「チョロ!」
行け、という意味のヒンドゥー語を叫んだ。寝ていた数人の大人たちが少し頭を動かしてこちらを見たようだ。わたしは少しイライラしてきた。こいつはこれで金をせびっているつもりなんだ。
「チョロ!」
さっきよりももっと大きな声で叫んだが、子供はいっこうに手を離そうとしない。ぶら下がるようにしているので右腕が肩から抜けそうに痛い。あまりに重いのと、ただ通り過ぎていくだけの通行人に腹が立ち、頭が混乱してきた。いつもならポケットには小銭が入っているのだが、今夜に限ってさっきのバスに全て払ってしまっていた。今ポケットに入っているのは何かのお釣りでもらった1ルピー札と10ルピー札だ。だが、この暗さではそれが1ルピーか10ルピーかなんて判らない。ふざけやがって、何でこんなに重いんだ。ガリガリのくせにこんな疲れている夜にたかるなんて卑怯じゃないか、ちくしょうめ、てめぇらなんて大嫌いだ、どっか行っちまえ。
わたしはポケットを探って最初に触れた札を子供に押し付けて、情けない気分でホテルに駆け込んだ。
自分の部屋に戻って少しだけ落ち着くと、ポケットから残りの札を出した。残っているのが10ルピーだったらいいな、と思いながら。
出てきたのは1ルピーだった。
外ではオートバイが空ぶかしを始めていて、窓から排気ガスが入ってきた。窓を閉じても既に室内に入ってしまったガスは、天井に付いた大きな扇風機の羽根で攪拌されるだけでどこに出て行くでもない。わたしは敗残者になって疲れと怒りと排気ガスにまみれながら、眠った。
だが、次の日から自分の気持ちに奇妙な変化が訪れた。バクシーシが気にならなくなったのだ。

「バクシーシ」日本語に訳せば「喜捨」という。パソコンに入っている辞書によれば、「自分の財物をすすんで寺社・貧者などに与えること。類義語:寄進・施与」とある。これに何の抵抗も恥ずかしさもなくなったのが不思議だった。誰彼かまわず喜捨するのではなく、誰にも喜捨しない、でもなく、「小銭があってその気になったら喜捨する」という態度になった。子供たちに囲まれて「バクシーシ」の大合唱になっても、足のない男が道端で寝ていても、女がやせ衰えた腕を伸ばしていても、気がむいた時気がむいた奴に喜捨すればいいのだ。小銭が無ければそのまま通り過ぎていいのだ。誰も強制なんてしていない。
もしかしたら、「喜捨」は与えるだけでなく、与えられるものかもしれない。その証拠に、腕にしがみついてきた子供に喜捨したら、その後の旅行に対する自分の気持ちが以前よりも楽なものになった。あの時は気づかなかったが、「小さないいこと」をしたことで心に安らぎや余裕が生まれたのかもしれない。
それから何年かして、自動車の免許を取った。軽自動車を購入し、実際に道を運転してみるとあちこちの小道や店の駐車場から車が出てくる。スピードが落ちていて気がむいた時は前に入れるし、急いでいたりムカついている時にはそのまま通り過ぎる。そして、今度は自分が道路に出ようとしている時にすんなり入れてくれる車があったら軽く会釈し、3秒ぐらいの間「ありがとう」と思う。
驚いたことに、わたしにとって、それはバクシーシにとても良く似ている。
運転しながら、時々あの夜の手の感触を思い出している。冷たく湿った小さな手が、あの時確かにわたしに触れ、檄辛の香辛料のようなインドに麻痺しかかっていた心を開放させてくれたのだと。

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