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ボランティア日記 #2

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(写真は木を輪切りにして作ったペンダント。描いてあるのは「ぼっけ」という七ヶ浜町名物の魚だそうです。胸びれでグーってしてます。現地でいただいてきました)

去年に引き続き、2度目のボランティア。
GW初日の前日(4月27日金曜日)夜に出発し、宮城県の七ヶ浜町に向かう。道路の混雑状況が読めないので早めの出発だったが、スムーズに夜明け前には現地のボランティアセンターに到着した。バス泊ではほとんど眠れなかったけれど、あまり眠くはない。ついでにあまり食欲もない。
まぶしい朝日が登り、個人ボランティアの車やツアーの大型バスが到着し始める。思っていたよりも人数が多い。ボラセン内での朝ミーティングは大混雑となった。
各団体名と人数がホワイトボードに書かれていたが、300人近くいるらしい。企業からのボランティアも数組あり、個人ボランティアもかなりいた。「四川大地震の時に日本にお世話になったので」と言う中国人と日本人の混合チームもあったり。
七ヶ浜町では農地の小さな瓦礫を撤去するために、「農地復興大作戦」と題して4月1日から多数のボランティアを受け入れている。
大きな瓦礫は撤去されたが、小さな瓦礫は地面に埋まっていて、人力でなければ取り除けない。表面の瓦礫を取り除き、また重機で掘り返して瓦礫を取り除く。もう既に5ヘクタールほどが利用可能となり、大豆畑に転用されるらしい。
ちなみに大きな瓦礫はボラセンの隣の敷地に高く積まれていて、木々の間から小山のようなそれらが覗く光景はかなり印象的だった。

バスで割り当てられた地区近くまで移動し、歩いて向かう。段々になった水田が今日の作業場所。日ざしはうららかで、ちょうど桜も咲いていて、うぐいすなんか鳴いちゃって、とても気持ちがいい。空気の爽やかさが東京ともうぜんぜん違う。やっぱり東北が好きだなあとしみじみ思う。
燃えないもの(金属、瓦、ガラスなど)と燃えるもの(その他)に分けて土嚢袋に積める作業。
早々に写真を見つけた。ただの紙のゴミだと思って最初捨てようとしたけど、外側のビニールをちょっと外してみたら、判別できないけど子供の顔っぽい写真が何枚もあったので、ボラセンに持ち帰ることになった。前回も写真見つけたんだよね。縁のようなものを感じる。写真の主に戻るといいなあ。

昼食を挟んで午前と午後、同じ作業をした。その後多賀城市の大型銭湯に移動してお風呂。
多賀城といえばアラバキ(ライブイベント)第1回目の地。SMAPのMIJツアーオーラス後、ほとんど寝ないで次の日に参加したなあ、夏(秋口?)なのに寒い日で震えながら参加したなあ。最後の佐野元春さんの熱くカッコイイ演奏途中で友達に引きずられるようにして帰りの新幹線に乗ったなあ。…とかいろいろ思い出した。
その大型銭湯でチョコミックスのソフトクリームを食べたんだけど、とても美味しくて。機械にアイスクリームカップみたいなのをセットして、中で攪拌してからソフトクリームになって出てくるらしく、ちょっと堅いソフトというか、柔らかいアイスの感覚。この方式は初めて見た。もっと広まってくれたらいいのに。

塩釜市に移動して今夜の宿をお願いしたカトリック教会に向かう。七ヶ浜、多賀城、塩釜ってびっくりするぐらい近いのね。
女性は礼拝所、男性はその隣の集会所を使わせていただく。小柄な二人のシスターから、お湯だけでなくコーヒーセットや大型ストーブまで貸していただきました。ありがとうございます。
夕食は少し歩いてお寿司屋さん。ちょっと奮発してみました。大きな赤貝、甘エビプリプリ、アワビコリコリ、ウニトロトロ、イクラプチプチ、んで浦霞(地酒)。信じられないほどうっっっまーーーーーい!!
近くの席の方々と「ボランティア参加者さんたちがもしも学校の先生だったら」というもしもシリーズで盛り上がりました。私は金八先生における吉行和子さんのポジションということでしたが、金八見たことなくてごめんなさい(笑)。様々な世代が一緒になった合宿みたいで楽しかったー。
ボランティア1回目の時に感じた、やるせない複雑な感情が全く無くなったわけじゃないし、瓦礫の大きな山を見るとやはり心が痛むのだけど、もっと日常の、私が今生活している地とこの地が間違いなく繋がっているという感覚が強くなってきた。
教会に戻って、昏倒するように就寝。

が、真夜中に目が覚めた。寒いよっっ!
ストーブ前の位置の人が熱いので、寝る前にストーブ消してた。春とはいえ、東北の夜なめてました。毛布を借りて寝袋の上にかけるべきでした><。
それでも明け方にトロッと眠ると、割とシャッキリ。風邪もひかなかったので良かった。
使わせていただいた場所を掃除して、礼拝堂の長椅子などを戻す。この後、礼拝の方々がいらっしゃるらしい。教会の前でシスターたちと集合写真を撮って、笑顔でお別れした。
ボランティアセンターに向かうと、昨日一日ボランティアの団体が帰り、代わりに個人ボランティアが増えていた。昨日ほどではないものの、それでもかなりの人数。今朝は、昨日できなかった「おらほのラジオ体操」をする。
メロディも動きも普通のラジオ体操第一なんだけど、説明が訛っている(笑)「いづ、ぬー、さん、すー」になってる。初めて聞いて、笑ってしまった。石巻弁だそうだが、ところどころ何いってるかわからない(笑)。あちこちで笑いが起きてました。朝が笑いで始まるのっていいね。

今日の作業場所は昨日よりも広い田んぼ。他グループと一緒に向かう。
ここでちょっとしたトラブル。依頼した男性が、他の手つかずの場所をやってほしいと言い出して、ボラセンの人から怒られてた。打ち合わせになかった分時間をロスするので気持ちはわかるし、変更を希望した方も素朴な好意なんだろうからこちらの気持ちもわかる。
もしかしたら、ボラセンはその土地の縮図なのかもしれないな、とも思う。無償だから尚更。以前行った陸前高田のボラセンはてきぱきと要領よく、作業に出発する前にボラセンの人が一人バスに乗ってきて、短時間で説明や注意事項などを伝えて降りていった。
時期的なこともあるかもしれないけど、ここはもっとアットホームで、近所の方の手作りらしいパンやお菓子などの差し入れがあったり、可愛い波乗りウサギのキャラクターグッズがあったりしてほのぼのしていた。
その分「(好意だから)このぐらいはいいか」という雰囲気もあるのかも。どちらがいい悪いというのではなく、どちらのやり方も、長く続けるには意志のパワーと地域の協力が不可欠なんだろうなと思う。被災した多くの市町村の中には、いろいろな理由で機能しなくなっているボラセンもあるというし。…とか、待ちながら考えてた。

依頼した方の希望通りの場所で作業するということに話がついて、田んぼのあぜ道を移動。作業内容は昨日と同じく小さな瓦礫の撤去。ただ、昨日よりかなり広く、まだ手つかずなのでやりがいのありそうな地面だった。燃えますね!
昨日よりも地面が乾いていて歩きやすいし、天気もよくて気持ちいいんだけど、やっぱり疲れが残っていて微妙に腰と肩がつらい。時々伸びをしながら拾う。歩いてしゃがんでゴミを拾って引きずり出して、立ってまたしゃがんで…の繰り返し。時間が過ぎるのが速い。
休んで水分補給をしていると、七ヶ浜町のボラセンの方から「テレビ見でっけど、東京の地震大丈夫がい?津波だったら高いどさ逃げればいいげども、火事だったら逃げらんねど思って、気ぃつけでけろよ」って、逆に心配されとりますがなー!(笑)
それはもうね、水や食料を備蓄したりライトやホイッスルを持ち歩いたり、とりあえずやれることはやってますけども、いくら備えてもどうしようもない部分もあるのよねえ。うーん。…まあ、生きてるうちに目の前のことをやるだけです。

2日目の作業を終え、七ヶ浜町ボラセンの方々から見送られた後(曲がって見えなくなるまでずーっと手を振っててくれた。そういえば、通りすがりに手を振ってくれる地元の方々もいて、外観は普通の観光バスなのにどうしてボラバスだって分かるんだろう?ボランティアオーラがバスから出てるんだろうか笑)、ボランティアを乗せたバスは海岸そばの道を走った。
平地が広がる中、ま新しい公団住宅(3階建てだったかな?)が2棟、取り壊されている途中だった。一緒にバスに乗っている方のご友人が高台から、この建物が屋上まですっぽりと波に飲み込まれるところを見たそうだ。
海岸沿いの道と平地の境目にはずーっと水仙が植えられていて、ちょうど満開の花を咲かせていた。
昨日と同じお風呂にあわただしく入って、体全体に疲れが残っているのを意識しながら帰路に付く。体は疲れているけど気持ちはとてもよくて、この感覚がやみつきになりそう。
夕食は、個数と時間を予約しておくとお弁当屋さんが高速PAまで持ってきてくれるサービスを使った。飲み物(アルコール類も)頼めるらしい。こんなすごいサービスあるの知らなかった。
けっこう豪華版のお弁当だったけど、私は頼まなかった。通常ならビールも付けちゃうよ、なんだけど、どうもバスの椅子の角度で胃を圧迫されるらしく、帰りはあまりお腹がすかないの分かってたから。惜しい。私の夕食は玉こんにゃくとレモン牛乳アイス(食べ合わせwww)。
高速道路の混雑が心配だったけど、ちょっとの渋滞に巻き込まれただけで予定時間通りに東京着。すばらしい。
たぶんまた時間を見つけて行っちゃうな。今度は別の団体に参加してみようかな、とかちょっぴりボラ熱が上がっているわたくしです。

あと、瓦礫を拾っている間、記憶していたSMAPの「さかさまの空」がずっと頭を流れてました。爽やかで優しくてポジティブで、気持ちよく作業ができました。
帰りのバスが高速から降りた傍らのビルに、さかさまになったSMAPの大きな広告ポスターが2枚飾られていました。「おかえりー」って迎えてくれたみたいに思えて、とても嬉しくなりましたよ♪







さかさまの空(初回限定盤)(DVD付)さかさまの空(初回限定盤)(DVD付)
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2012-04-25



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藤原新也の現在「書行無常展」

藤原新也の現在「書行無常展」



http://www.fujiwarashinya.com/shogyomujo/



2011年11月5日から11月27日
3331 Arts Chiyodaにて
http://www.3331.jp/



11月12日13日、フォロワーさんで上京される方も多いと思いますので、その際にお時間がありましたらぜひ!



今回の藤原氏の展示会は、都心の廃校で開催された。全体がアート美術館のようになっているらしい。
1階のほぼ全部を使っているのかな?
最寄りの駅からではなく、ちょっと遠い新お茶の水駅から向かったのですが、校舎というのは分かりやすくて有り難い。
四角いコンクリートに無機質な窓が開いていて、小さな校庭があって、どれも同じようなのになんだか懐かしい。
枯れたゴーヤカーテンの被っている建物に入るとまずカフェがあり、その奥が会場になっている。



最新写真集の「書行無常」は既に購入済。書が掲げられた周りの光景、人の顔、空気の冷たさ(あるいは熱さ)…次のページの写真に何が写っているかがわからないワクワク感(と恐怖感も少し)がとても面白い。



変。
というか、酔狂。
おまけに、パワフル。



この展示会では、その写真をとてつもなくデカく引き延ばし、映像や生花や服(?)とコラボしている。
いちいち意表をつかれる。それはもう、面白い、というより、すさまじい。



中国、インド、会津、被災地、渋谷…。



書籍の大きさでも、各地の温度や臭いや湿気まで充分感じられる写真がここまで大きくなると、また別の、例えばその場所に自分が立っているような気がする。
写真と書の合間に白い無機質な壁に目をやってみたりすると、視覚に裏切られてでもいるような頼りない感覚になったりもした。



中でも、女性の髪の毛で書いた「男」の文字と、傍らに横たわる女性の写真はビックリした。度肝を抜かれるというか、ぽかんとしてしまった。
書籍の小ささで見ている時は「まったく酔狂な人だなあ」ぐらいに思っていたのに。すみません。



まるで、写真の上から大量の花びらを散らしたように華麗で猥雑で残酷で。
傍らの女性の髪がそのまま伸びて「男」という字を形作っているようにも見える。
そこに本物の花びらがくっつけてあるんじゃないかと思って、顔を寄せてしまった。
確かに写真だった。なのに、少し離れると生々しく、今にも風で動きそうなほどリアルなのにどこか異世界じみている。
こんな鮮やかさはこの世ではありえない。



瑞々しくエロティックなパワーに圧倒されて、しばらく立ち尽くしていた。
お時間あればぜひ現地で、自分の目で確かめてほしい。
すごいから。



以前、銀座の画廊で拝見した、壁一面の「死ぬな生きろ」の書は、この場所では少し小さめなので、これも引き延ばして飾ったらよかったんじゃないか、なんて余計なことも思ったけど、近づくとやはり原書ならではの渦が感じられる。
近づいて、視界がいっぱいになるようにしてガン見するのがオススメ。



あんまり細かく書かないほうがいいよね。
また必ず訪れるけど、何度行ったら満足するのか…。
自分の心が癒されるとかそんな甘ったるいものじゃなくて、深く掘られて攪拌されて、落ち着かなくなっているのに静かな涙も流れるという。
わけがわかりません。自分でも。



今回はサイン入り限定ポスターが欲しかったので、開催2日後に訪れてみた。雨模様だったので取り置きしていただいて。もうかなり売れている様子。さすがです。
老人の手と小さな炎のアップ。
その写真の手は皺だらけで力強く、炎を抱いて生きている。
部屋でいつも座る場所の、正面ではなくて背の壁に貼る予定。ずーっと見ているようなものではないので。



背中から、命の炎を感じたいので。



書行無常書行無常
価格:¥ 3,570(税込)
発売日:2011-10-05

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ボランティア日記

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2011年9月16日(金)夜~18日(日)



友人に情報をいただき、NPOに参加して陸前高田市のボランティアに行くことにした。
説明会の日から必要な道具を揃え、ボランティア保険に入り、出発日当日まではバタバタな一週間を過ごした。
家のすぐ近くにあるDIYの店で必要なものが全て手に入ったのはラッキーだったな。プロテクトインソール(長靴の下に入れる、薄い鉄板の入ったインソール。釘を踏み抜かないようにするためのもの。必須)の女性用もあった。お客さんで女性は私だけだったけど、作業の格好をした男性のお客さんたちと勝手に一体感ww



総勢38人で金曜日夜に出発。車内での自己紹介で、看護師、医師免許のある方、現役の海上自衛隊など、心強い面々。母娘で参加されている方とか、もう何度もボランティアに参加している方などもいらして、割とのんびりした雰囲気。
高速道路に入ると消灯の時間になったけど、私はなかなか眠れない。眠りが浅いまま、夜明けを迎えた。
まだ日常を引きずっていて、この先に被災地があることもなかなか想像できない。
岩手のコンビニで、朝食を買うための列に並んでいる時に地震があった。そういえばさっきも止まっているバスが揺れていた。震度3ぐらいだろうか、東京よりも遙かに余震の回数が多いのかも。
こんな不安を抱えながら6ヶ月。
少しだけ、被災地寄りになる気持ち。



見慣れた東北の山道を走る。ヨークベニマルやコメリは、東北ではメジャーどこ。色褪せた看板すらも懐かしい。
山の中に突然、1階のガラスが全て真新しくなっている一軒家が見えた。何件かそういう家が続く。背後の杉の一部が赤茶けて枯れている。
そこからが津波の被災地だった。
何事でもなかった地域、1階のガラスが抜けていたり新しくなっている地域、家が潰れていたり更地になっている地域の差が、だんだんと、ではなく、土地の高さによってスッパリと切れている。
その差で、隣家との仲がこじれてしまった話も聞く。



視界が開けた。
何もない、埋め立て地のような風景が広がっていた。そこが陸前高田市の平野部だった。
ぽつりぽつりと立っているコンクリートの建物と、真っ黒い沼のような場所、少なくとも100台は並べられているだろう車の残骸、そしてビルの4階ほどまで積み上げられたガレキの山が、ここに人が生活していたことを示している。
360度広がるその風景に圧倒されそうになりながら、あえてそこには意識を向けないようにした。これからひと仕事あるってことだけを考えようとした。



バスは再び山の中に入り、陸前高田市のボランティアセンターに向かった。この連休は全国からのボランティアバスが集中しているらしく、近くの道の駅で9時半の受付を待ちながらグループごとの打ち合わせなど。
私のG長さんはどこか飄々としている。とにかく怪我と熱中症には注意、無理は絶対にしない、以上。みたいな。何度もボランティアに参加している方らしい。
道の駅は地元の野菜やお菓子などを売っていて、どれも美味しそう。ふきのとう味噌とかもめの玉子を購入。もう初手からお土産ですかとwww
あと、支援ステッカー(写真)を買ったよ。
一本だけ残った「希望の一本松」は平野のどこからでもよく見える。復興のシンボルとしてとてもふさわしいと思った。
やっとボランティアセンターでの受付が始まった。
ここで陸前高田市に住むYさんとお会いすることができた。あわただしい中、会ってくださってありがとうございます。



ボランティアバスは作業地に進む。
下部の部分だけ赤茶けた杉を横目に見ながら、ただただ今日の作業のことだけ考えようと思う。そうでなければやりきれない。基本いくじなしなので。
Yさんに対しても被災者という目では見たくなかったから、笑顔で挨拶して握手してお土産を渡して。
現実というその場所を真正面から見るのが怖くてしょうがなかったから。



まさに自分がその中心地にいるのだから、近いうちに凝視しなければならなくなるのは分かっていたけれど、とりあえず先送りしたくて。



作業をするのは小友町、海沿いの集落(のあった場所)だ。小さな湾には新旧二つの堤防があったが、津波はそれを乗り越えた。旧いほうの堤防は一部崩れていた。
海側からゆるやかな段々のあちこちに家は建っているが、斜面の石垣が崩れていて、大きな土嚢でとりあえず支えている高台の家もあった。
家があった痕跡が何もない、一番低い土地のガレキ分別が私たちの作業だった。



学校のグラウンドほどの土地だが、そのうち1/3は水が引いていない泥地なので手がつけられない。残り2/3も背丈ほどの雑草が生い茂っているので草刈りから始める。
草刈りの後にその土地を何かするというものでもないので、地面ギリギリから刈り取るのではなく、少し上から刈るのでもいいと言われた。
久しぶりに持ったカマは最初のうちは慣れなかったが、徐々にペースが上がってくる。根本から刈らなくともいいので腰も楽だ。そのうちに、刈るのではなく抜いたほうが速いものと、根が深くて刈るしかないものが分かってきた。
雑草の部分には虫がたくさんいた。でも、地面にはいない。いくら草を引っこ抜いてもミミズ一匹出てこない。砂地になってしまっているからだが、そんな地面は初めてで違和感がある。



20分経つと10分休み。休憩が早すぎるのではないかと思っていたが、実際作業をすると意外に疲れている。じりじりとした夏の暑さではないが、じわじわと汗をかいて消耗していく感じ。
水と一緒に熱中症予防のアメを舐める。酸っぱいような甘いような塩辛いような。これが甘いと感じたら、もう熱中症の入り口なんだそうだ。危ない危ない。
ちなみに首に巻いていたのはSMAP AIDのファンミ限定タオル。細長いので非常に具合がいい。1日目は黄色、2日目は赤を使おうと思って両方持ってきた。気持ちも勢いづくし、ラスタカラーで派手だから他の人からも認識してもらいやすい。



草刈り途中で写真を見つけた。
砂にまみれて顔の識別は難しそうだったが、真ん中に白いウェディングドレスを着た人がいるので結婚式の写真だと分かる。
このあたりで亡くなった人は少ないということだったので、修復されたら持ち主に戻るといいなあ。



お昼は仕出し弁当を食べる。魚、肉、漬け物など、味が少し濃いのが疲れた体に沁みる。そして何といってもご飯が最高に美味しい。東京のお弁当とは段違いだ。
納屋か何かだったらしい板張りの場所に腰をおろしていたが、目の前には家のコンクリート土台と見事に整備されていただろう小さな庭があった。
ここがどなたかの土地なのだと再認識し、食事場所を提供していただいたことを心で感謝する。



何度目かの休憩の時、この作業を依頼したばさまがやって来た。比較的海に近かったが高台にあったので流れなかったらしい。
全員が作業の手を止めてばさまの話に聞き入る。
1回目の津波の時はまだ避難しなかった。今まで何度か津波が来たことはあるけど家は高いところにあるから大丈夫だと思っていた。窓から海を見ているとどんどん黒い水が上がってきて、2度目の津波が来る前に逃げなければならないと思った。
1度目の津波が来る少し前、橙色の車が海の方へ走っていくのが見えた。車はそのまま巻き込まれたが、海のほうからも陸からもぐるっと回りこんだ水であっという間にぐるぐると流された。中の人が助けてくれと叫んでいたようだったが、自分ではどうすることもできずにそのまま逃げた。今でもその光景は忘れられない。橙色の車がどうなったかは分からない。
海沿いのここいらには30件ほどの家があったが、自分の家を除いて全て流された。あれだけのものがどこに行ったのか、海に流れたのか地面に埋まっているのか、さっぱり想像もつかない。
仲良くしていた人たちはみんな別の場所に行ってしまって、自分は今、孫と一緒に住んでいる。
せめてガレキだけでも何とかしたいと思って依頼したが、短時間でここまでしてくれるなんて本当に有り難い。仮設トイレもあるが、自宅のトイレを使ってくれてもいい。外にあるトイレだから靴はそのままで。



訛りがきついので、他の人たちは後から「あちこちよく分からなかった」と言っていたけれとも、私には全部通じた。イントネーションは多少違うが、東北ネイティブの山形人なので。
頭に入れてしまうとドライではいられない。
何度も何度も泣きそうになりながら、一生懸命いろんなことを考えて気を逸らそうとした。
でも無理だった。
聞くことでほんのちょっびり背中が重くなった気がした。でも、さっきみたいに逃げることはしない。一生覚えておく。
私が重くなった分だけでも、ばさまの曲がった背中が軽くなってるといいなと思いながら。



作業再開。
ガレキはいろんなものがある。それを、木、金属、ガラス類、その他に分別する。
子供の名前のついた文房具や、アニメのDVD、ムード歌謡のCDとか、壊れることなく埋もれていた瀬戸物、何かのエンブレム、ぼろぼろになったシャツ、折れたゴルフクラブ、変形したアルミ枠、魚とりの網、長靴、水を含んでとんでもない重さになった毛布、お店があったらしく、醤油やソースや水のでかい未開栓ペットボトルとか缶コーヒー未開栓とかゴロゴロ、農家しか使わないらしい高級肥料の袋とか、……動かせないからどうしようもないけど、小さな漁船とか。
今日一日だけでけっこうな山になった。
続きはまた明日。



気仙沼の高台にあるホテルで、お風呂を使わせていただく。
流された地域ではないけど、密集したほとんどの家の1階が使いものにならなくなっていて、夕暮れが近づいているというのに明かりが灯っているところは少なかった。
港の水面と道路の高さにほんの数センチしか差がなくて、満潮や台風の時は住宅地に海水が溢れるだろう。地盤沈下が海沿いのあらゆるところに広がっていることが想像できた。
ホテルのお風呂は見晴らしがよく、お湯はしょっぱかった。ミネラル?肌がツルツルになった…ような気がする。
夕食は港のそばの「おさかな市場」。以前ニュースなどで何もなくなったこの場所を映していたが、今は震災前ほどではないもののお土産の品が揃い、食事もできるようになっている。
海鮮丼に乗っていたのは、マグロ赤身、中落ち、イクラ。ふのりのお味噌汁も美味しい。
東北って旨いものしかないから好きさ♪



宿泊場所は「住田基地」、ボランティアの基地になっている廃校。
山奥にぽつんとあるその場所に、多くのボランティアが寝起きしている。かつて校庭だった場所に、テントやトレーラーハウスで生活している長期ボランティアの方々が泊まり、短期の私たちは体育館をお借りする。
真っ暗な中、小さな明かりが灯ったそこは、なんだか象徴的だなと思った。
この宿泊地とボランティアセンターの処理能力があって、全国からボランティアが集まってくるんだろう。
歯を磨いている流しの上にある網戸には、茶色い大きな蛾が模様のように張り付いている。都会で見るほどには気持ち悪くないのが不思議だ。
口を濯ぐ水の冷たさと美味しさに驚いて、ゴクゴク飲んじゃった。そうだよ水って本来こういう味なんだよと思いながら。
杉を薄く削って作ったウチワがあるというので事務室に行ってみると、そこではボランティア事務の人たちがホルモン焼を食べていた。
「嫌いじゃなければどうぞ」ホルモン焼キターーー!
白くて柔らかくて、まじ美味しかったっす。
気さくに応対していただいて、ありがとうございました。
そしてまた歯を磨くことにwww



22時には消灯になる。非常口の明かりが思ったより明るくて、もし夜中にトイレに行きたくなっても足下に不安のない感じ。
寝袋にくるまって寝ようとしたけど、黒くて細長い虫とガガンボみたいな足の長い虫に邪魔されたらもう眠気が飛んでしまった。
あちこちのイビキを聞きながら、今日あったことを一つ一つ思い出してみる。
作業の合間に、G長にことわって入り江に降りてみた。波が長靴越しに冷たくて、遠くまで凪いでいて、でもすぐ側には私の背丈より大きな堤防の一部が転がっていて。
あれこれ混乱する。それが現実ということに更に混乱する。
普通に暮らすというそれだけのことが、どれだけの要因で支えられているんだろう。
小さな余震が一度あった。311以降、実際に揺れる前の超微動?のようなものも感じるようになった。この時も「来る」と予感してから揺れた。
結局、深夜1時前後にやっと就寝。



朝は周りのザワザワした様子で6時ぐらいに起きた。
コンビニで買っておいた朝食を食べて、2日目の作業に出かける。
ボランティアセンターの人が注意伝達のためにバスに乗ってくる。
女性が実家の両親を救おうと車で向かっていて全員巻き込まれた話。逆に、嫁さんが婆ちゃんをおぶって逃げていたものの津波に追いつかれそうになって婆ちゃんを置いて一人で逃げて生き残った話。
「悔いは残ります。絶対に残ります。でももし津波が来たらそうしてください。"津波てんでんこ"です」
緊急時において、正しい判断はかく難しい。置いていった者と置いていかれた者の視界や気持ちを想像し、その厳しさに涙する。簡単に涙してしまう自分がどうしようもなく悔しい。



前日と同じ場所で同じ作業。もうひとがんばり。
昨日の作業で左膝がちょっと痛かったけど、一晩寝たら治ってた。足場が泥だからひねりやすいのかも。
昨日よりも今日のほうが油断というか、気持ちが緩くなっているのを感じる。熱中症にも怪我にも本当に気をつけないと。
誰かがトロフィーを見つけてた。本人に渡るといいな。



今日は正午で作業終了。グラウンドぐらいの土地が昨日とは大違い。上から見下ろすと、気持ちがいいぐらい。カメラでビフォーアフターを撮ってる人がいた。
まだまだ人の手の必要な部分が無数に残っていると感じる。



ばさまが家から降りてきて、またお礼を言ってくれた。
こちらこそ、ありがとうございます。日常の仕事でお礼なんて言われることないからなんだかくすぐったいです。お礼を言われたくてやってる訳でもないけど、充実した二日間でした。
ばさまは麦わら帽子と口元で留める日焼け止めカバー、厚手の割烹着に長靴という畑仕事最強仕様。私なんかよりずっとカクシャクとしている。
どうぞいつまでもお元気で。



バスの中で仕出し弁当のお昼を食べる。
ちょうど、陸前高田市の平野を走る時分で、景色を見ながら食べるような格好になり、どうも食欲が出ない。
寝不足とバスの揺れで胃が少しおかしくなっていることもあり、あまり食べられなかった。申し訳ない。
8月にもボランティアで訪れた人が見たところ、一ヶ月でガレキの量が半分ほどになっている印象らしい。撤去は急ピッチで行われているようだが、これで半分?
あちこちで動いているブルドーザーやトラックが、ガレキの量と比べると圧倒的に小さすぎて力が抜ける。
しかも、メディアにも載らない小さな町や村などはガレキの撤去もずっと遅れているんだろうなと思う。
もうすぐ冬が来る。その前にもう一度ぐらいはボランティアに参加したい。



昨日とは別の気仙沼のホテルで入浴させていただく。高台から見下ろす海がキラキラ光ってた。あの黒い舌のような海はいったいどこから来たんだろう。何もかもが分からない。少しでも理解したくてここに来たのに、分からないことが更に増えた気さえする。
あとは、バスに揺られながらうつらうつらしていた。途中で寄った道の駅では安くて美味しそうな野菜や果物が並んでたけど、眠気と疲れで頭がぼーっとしていて何を買ったらいいのかわからなくなってた。
夜になり、福島のPAでソフトクリームを買った。バニラと巨峰のミックス。カップは大きめのワッフルで、中身みっしり。ずしっとくる重さ。美味しくて、ちょっと目が覚めた。



落ち着いた気持ちで、Yさんからいただいた袋を開けてみる。
陸前高田市の風景が写ったポストカード集があった。海辺の白い波、夕暮れの街、花火、動く七夕祭り、海水浴場などの後、一番最後に「希望の一本松」の写真があった。
そこで初めて、このポストカード集が震災後にセットされたものだと気づいた。
どれだけの空虚と絶望と強い希望がこの中にあるのか。
この半年、復興のための何がどれだけ進んでいるのかははっきり見えてこないけど、きっとほんの少しずつ前に歩んでいると信じる。
消防署のポスターだったか「人間を救えるのは、人間だけだ」というコピーがとても好きだ。
「希望の一本松」の立っている土壌は決して良くはない。塩や油や地盤沈下、松自身も海水にまみれて瀕死の状態だと聞いた。
たとえこの松が倒れたとしても、物心両面で支えられるのは周りの人の力だ。希望を形作れるのも、人の力だ。
人の立場になって考える、なんてとてもできない。そんなのおこがましすぎる。
でも、助けて感謝されることによってこちらも助けられている、そんなシンプルな親切心が、人との繋がりや信頼する力を強くするんだと思う。



自宅に戻ってきた次の日の月曜日、左手首に激しい痒みを伴うただれができた。無意識に爪をたてて掻いていて気づいた。その次の火曜日にはただれはほとんどひいていたが、今度は右手首が同じようになった。
長袖にゴム軍手だったので、作業をしている時の隙間はなかったのだが、どうやら休憩の軍手着脱時に泥が少し手首についたらしい。それしか思い当たる原因がない。
あの土地は、強い肥料や塩などが一体となって、死んだ泥になってるのかもしれない。虫やミミズも住めないような。ゴミを掘り出すにつれて泥の臭いがキツくなっていったのを思い出す。ヘドロだらけのドブ川のような臭いだった。
これからは見えるところの修復よりも、見えないところの修復が大変になってくるかもしれない。
陸前高田市という土地が、新しい故郷になったような気がほんの少し、しているので、ボランティアに行く前より真剣に復興を祈るようになっている。
そんな土地が、都会の人たちみんなにできたらいいなと思う。



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武相荘(ぶあいそう)

「武相荘」は、白洲次郎さん・正子さんの自宅を改装して、資料館のようになっている茅葺の家です。

http://www.buaiso.com/

行ってまいりました。

天気がよくて、駅から15分ほど歩くのも楽しかったですよ。
13時30分からの回のお弁当を予約していきました。写真撮影禁止なのですが、サイトに載っているお弁当です。
お重を開けると、様々なお料理が宝石のように並んでいて、どれもたいへん美味しゅうございました。パセリのバターライスがまた最高で。
テーブルも椅子も、節だらけの木目が美しく、箸置きと箸には「武相荘」と名前が入っていて可愛いらしく、窓の外には緑がいっぱいだし、給仕をしていただける方々の感じもとても良く、ゆったりとした気分になりました。
ああ…これに昨夜飲んだ白ワイン(辛口のリースリング)があれば最高、などとバチ当たりなことを言いながら(笑)

食後は、竹林の音に耳を澄ませながら庭を散策などしてみました。
隅々まで整ったお庭、というわけではないのですが、幹がいい具合に苔むしていたり、頭上には様々な広葉樹がさわさわと揺れていたり、足元にはどんぐりと枯葉がいっぱい落ちていたりして、どこか調和がありました。
鶴の置物(オブジェ?)や狛犬?や石塔やお地蔵さまとかが、一見ぽつんと意味なく置かれていたりするのも、なんかユーモラスに楽しい感じで。

旧白洲邸の中は、やはり撮影禁止なので写真はありません。
和室には、実際に使われていた食器や日用品や着物などが陳列されていました。品の良いものを普段使いにしていた様子が偲ばれます。
窓が昔ながらのネジ式の錠だったり、やはり木の木目を生かした壁だったり、縁側が畳敷きだったり、タイル貼りの部屋はなんと床暖房でした。
わたしが子供の頃住んでいた家にも少し似ていて、懐かしくなりましたよ。
中でも気に入ったのは白洲正子氏の書斎で、L字形の先には掘りごたつ式の机が、庭に面した窓の手前にあり、とても過ごしやすそうな心地よさを感じました。
壁は一面の本棚で、志賀直哉や南方熊楠、小林秀雄全集などがぎっしりと。本の重みで本棚が歪曲しているのもまたいい感じ。
大切な、魯山人作の器などはガラスケースの中に陳列されているのですが、中には骨董品の箱の裏側に白洲次郎氏本人が直接文字を書いたりしていて、なんて大胆な人だろうと驚きました(笑)
その反面、竹製のライトを手作りしていたり、マッカーサーに自作の椅子を送ったり(レプリカが展示されている)、マメな人だなあと。
しかも、よく見るとこの椅子、腰をかける部分の木目と背もたれの木目がきっちりと続くように計算されています。
大胆さと繊細さを併せ持つ人だったのかもしれません。

ぐるりと邸内を見た後は、お土産ショップへ。
着物のハギレを使った巾着とか、陶器やガラス器、絵ハガキや関連書籍などが売ってます。
わたしは、例の書斎と、次郎氏の愛車ベントレーの絵ハガキを買いました。かなりの飛ばし屋だったみたいです。
ショップの2階は映像が見られるホールになっていて、「その時歴史が動いた」がエンドレスで流れています。
一度見た番組ですが、結局また全部見てしまいました。
ドラマの伊勢谷くんは良かったけど、晩年の「風の男」と呼ばれた"よく分からない人"感はあまり感じられなかったかなあと思ったり。顔がハッキリしすぎてるので(笑)


帰りは近くのコメダ珈琲店でシロノワールを。
わたし、コメダ珈琲もシロノワールも初めてです!!
大きい、大きいぞーーー。
コーヒーも1.5倍のジャンボサイズを頼んでしまったので、どちらもちょっと感動するぐらいの大きさでした。
今回は二人で1個を頼みましたが、デニッシュもソフトクリームもあっさりした味なので、もしかしたら一人でもいけるかもしれません。
知覚過敏の歯に「シミルーーー!!」と叫びながらも美味しかったです。

気持ちのいい旧白洲邸も、シロノワールも、オススメですよ。








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HEROよりも

職場にて、ランチの時間に映画「HERO」の話題になった。観に行った人は誰もいなかったんだけど、6人中(ほぼ)3人がアンチ木村だったり…。あとはあまり興味ないらしい2人と、決して嫌いではない(でも嫌いな意味も分かる)わたくし。



昨夜の「がんばった大賞」(だっけ?)っていう番組で、剛くんよりも前に出ていたとか、ウザかったとか、いちいち煩かったとか、眉間にシワで話されてるし。不評なことこの上ない。



しまいには、「あの"ハニカミ"はワザとなの?」と聞かれ、わたしが答えるより早く、「違うと思う」「絶対ワザとだよね」「いちいち考えて演じてるよね」「それぐらいやるよね」とマシンガンのような連射。



「いやー、手先は器用だけど、ああいう場合、表情まで器用に演じてられるタイプじゃないと思うから、ワザとじゃないんじゃないかなー」



ここでタイムアウト。



過去の話によればパーティで5人固まってたとか、コンサートスタッフを頑固に変えないとか、けっこう人見知りなんじゃね?おぬしら。与えられた役割を(スタッフの意図よりも)少しだけ過剰に演出しようとするのはSMAPさん5人ともなんじゃないかと思うが。



あたしは「HERO」より「ヱヴァンゲリヲン」が観たいよ。

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