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2011.5.3北海道テレビ 夢チカ18(高橋優出演)

(ようつべにアップする技術がないので、テレビ番組から文字起こししてみましたww)



【札幌・狸小路出身】
すごい長い付き合いの友達みたいな。もうあんまり会えないけど、自分の中では親しい関係だと思ってる人っているじゃないですか、なんかそんな間柄だと思ってます。札幌っていう街と僕っていう人が。



僕の父が演歌とか民謡を歌う人間なんですけど、今でも歌ってるんですけど。なんかそれをずっと聴いていたので、生まれた時から父の歌をずっと聴いていたところからたぶん音楽には出逢ってたんじゃないかな、というふうに思ってますね。



【秋田での少年時代】
毎日もう好きで好きで歌ってて、歌わなきゃ一日が終われないと思ってて、もう本当に一日声が枯れるまで歌うんですよね、学校から帰ってきたら。
で、学校に行ってる時はあまりしゃべんないでおいて回復させて、また家に帰って声が枯れるまで歌うみたいなことを繰り返してて、そこで気持ちよさとはまた違う何か、そこに自分のアイデンティティみたいなものまで見いだしてきてるというか。
これで自分がいる、歌ありきで俺いるかも、みたいな気持ちになってたんですよね。だから歌わないとそこに自分がいないような気持ちになってくぐらい、高校時代はずっと家で歌ってたし、その歌うための方法としてアコースティックギターを手に持つようになってたというか。
一番最初に買ったのはエレキギターだったんですけど、アコギのほうが自分がでっかい声を出した時に同じぐらいでっかい音が鳴ってくれるんで。そういう感じだったと思いますけどね。



【大学進学で札幌へ】
たぶん何をしたかったまでは僕も考えてなかったと思うんですけど、毎日歌うことが日課になってて、大きい声を出すことでちょっとでも自信になるのか、あぁここに自分がいてもいいんだみたいな安心感に繋がる習慣だったのに、北海道に来て一気に実家の秋田の雰囲気とは違うアパート暮らしになって、隣の人たちのしゃべり声とかが聞こえる感じで。
木造アパートだったんですけど、そこでギター弾いてたらやっぱり迷惑じゃないですか、周りの方々に、ていうことをなんとなく察して、全く声を出さなかったんですよ初日。そしたらストレスで、ここで自分は4年間こんな生活を送らなきゃいけないのかとか、少なくとも友達ができてバンドを組んだり、同じ音楽性の人たちを見つけて自由に音楽ができるようになるまでどれぐらいかかるんだろうと思ったら途方もないような気がしたんですね、人見知りだし。
それで、もうダメだと思って、北海道来て、大学の入学式があるよりも全然前に、来て次の日の夜ぐらいには狸小路を見つけて歌ってましたね。



(狸小路を歩いている)
インタビュアー「狸小路は、札幌に来たら今でも来る?」



そうですね、ライブとかじゃなくて個人的に来る時でも必ず夜に、シャッター全部降りて、路上ミュージシャンたちが集う場所になるんですよね。それを必ず見に来ますね。



「ミュージシャンとしては、この界隈が原点?」



そうですね、狸小路から始めたんで、路上ライブを。



「人に聴いてもらいたくて路上に出てきた?」



微妙なとこなんですけど、友達いなかったですから友達できたらいいなあとか、誰か自分の歌を聴いてくれる人がいたらいいなあっていうのは多少あったと思うんですけど、一番最初はやっぱり普通に歌いたかったなと思って、大きい声出して。
で、高校では秋田であんまりオリジナルの曲を披露してなかったんですよ、コピーバンドとかのほうをやってたんで。
だからオリジナルの曲を披露する場所も欲しかったみたいな。だから最初からオリジナルの曲メインでずっとやってました。



「最初は何人くらいお客さん来ました?」



一人もいなかったです。



「そういう時ってどんな気持ちですか?」



どんな気持ちだったんだろうな、でも歌いたいっていう衝動があったからやれたんじゃないですかね。お客さんが欲しいっていうことばっかりあると、もうくじけそうになりそうなこといっぱいあるんですよ、むしろ反対されることのほうが多かったんで。なんでここで歌ってんだよ、みたいなこと言われたりとか、うるせえんだよって言われたりとか、唾吐きかけられたこともあるし、ギター蹴られたこともあるし。
なんかそういうことをやられてもやめなかったのは、そういう中でたまにある、たまに一人黙って聴いてくれる方がいたりとか、それと同じだけただただ歌っていることも楽しかったというか、それをやってないと自分のメインがなくなってしまうような気持ちだったんですよね。
だから、聴いてくれる人がいることと、自分が歌って気持ちいいことの相乗効果が発生するときがたまにあるんですよ、わー聴いてくれる人がいる、歌ってても楽しいみたいな。時々あるその快感がやめられなくて。



【路上からのステップアップ】
出会いなんですけど、最初にどこまで見通して路上ライブを始めたかわかんないにせよ、路上ライブを始めて、注意されたらやめようと思ってたんだけど、一番最初にうまいこと「えーオリジナルの曲歌ってるんですか」なんてお客さん的な感じの素敵な方が立ち止まってくれて、素敵な感想をくださったんです。それにまた味をしめて、もう一回やってやろうかなみたいな。
その後何回も注意されるけど、やっぱりその出逢いが欲しくてまたやったりするんですよね。そういうのをやっていく中で、路上ばっかりじゃなくてライブハウスでやってみたらって言ってくれる人が現れた。



(ミュージックショップ 音楽処にて)
高橋優コーナーを作っていただいてね。



石川店長「意志の固い、とにかく声がでかい、そのインパクトが強かったですね。だけどやっぱり、自分が伝えたいことが明確に伝わってくる。性格のまんまですね」



今でも、曲作る時とかって、何万人ものステージでこの曲を歌いたいとかいうイメージを持ちつつも、音楽処で例えば30人限定でマイクなしで目の前で座って聴いてくれてるお客さんがいるっていうことを念頭に置いて曲を作るんですよね。あそこで届かなければたぶんどれだけ大きな会場で歌っても届かない。
路上だと言い訳きくんですよ、ある程度。だって人いっぱいいるしとか、別の音いっぱい聞こえるし、で、お客さんが集まらない理由を自分で探せるみたいな。
だけどここで、本当に静かにしてもらって場所を作ってもらって、もうどうぞ歌ってくださいっていう場所をわざわざ作ってもらって歌って、届かなければもう言い訳しようがないじゃないですか。
逆に30人に届けられるんだとか、その目の前のお客さんには何か届けられる力があるんだとか、自信にもなるし。何か足りないって自分で思えばそこに何か課題を見つけるっていうか。すごくシンプルな場所なだけに、シンプルに反省点が浮き彫りになります。
だから曲を作る時でも、スタジオで練習する時とかでも、ここでの絵っていうか見た景色みたいなものはずっとあるんですよね。



インタビュアー「シンガーソングライター高橋優は、札幌で育ち、やがて全国に羽ばたいた」



曲にするかどうかわかんないけど、何かを僕が妬んだとするじゃないですか、「ちくしょうなんだよ」と思った気持ちとかは、書いててなんか面白いんですよね。後々自分で読めるし。
忘れるじゃないですか、どんだけ自分が悔しくたって嬉しくたって。感情なんてのは流れていって忘れてくんですよね。それを忘れないようにできるだけ絵で書いたりなにかして残しておいて、後で見ると面白くって。
それが曲になることが、そればっかりの曲を作るわけじゃないですけど、メモ帳みたいなのは四六時中持ってますね。今も持ってます。



【リアルタイム・シンガーソングライター】
けっこういつも思ってるのに忘れちゃってる感情とか、モヤっとさせておくに留めることって逆に大事だっりするじゃないですか。モヤっとさせとくだけで終わらせようってことも。でも歌で歌うことでもって、例えば歌を聴く前よりもその人が気持ちよくなってほしかったりとか、歌でもって役目があるとしたら、そういうところに振れる、振り幅があるっていうそこに何か大事なヒントが隠れてる気がするんですよね。
漠然としたことを歌うよりは、すごく自分が身にしみて経験したことだったりとか、いつもいつも頭の中でリピートされてる言葉だったりとか、子供の頃から持っている感情みたいなのを曲にして歌うと、割と「私も思ったことあります」とか、「僕もそれなんか分かる気がします」っていう感想をいただけて、その通じ合える感じが嬉しかったりとか。
割とそういう経験をした後にできた曲たちが多いと思うんで、そういう言葉がもしかしたら多く盛り込まれてるかもしれれないですね。



【札幌への思い】
札幌の方々が自分のことをどういうふうに思ってくれてるかっていうのは分からないし、ある種不安な面もあるし、秋田出身なのに札幌出身みたいな言い方しやがって、って言われてたらやっぱ「すんません」て感じなんですけど、自分の中では、自分の人生の中でも切っても切り離せない場所だし、一番音楽を培った場所は札幌なので。
だから札幌無しに自分の人生は語れない。でも今札幌に住んでない、みたいな。
大事な友達みたいな感じですよね。



【初の全国ツアーへ向けて】
今回、全国ライブツアーをやらせてもらうのは、僕は生まれて初めてだし、ずっとやれたらいいなあって夢に見ていたことでもあるので、やっぱり気合いが入ると思うし、気合いが入ると緊張すると思うんですよ。
だから何か失敗するかもしれないし、予期せぬハプニングだったり奇跡だったり、何かが起こるとは思うんですけど、それよりももっとすごく根本的に、あんまりツアーと思わないようにしようと思うんですよね。
ずーっと回っていって札幌にも行きますよみたいな感覚でライブしたくないなと思ってるんですよね。ワンマンライブ8本やらせてもらうと。名古屋でやります、大阪でやります、東京でやります。
内容も、やる曲一緒か違うかわかんないけど、心持ちとして札幌って場所は僕にとって特別なので。6年住んだし、友達もいっぱいいるし、もしかしたらデビューする前から僕のことを応援してくださった方もいるし、今出逢ってくださった方もいっぱいいらっしゃいますけど、そういう意味も込めてそこに集まってくださった方、お一人お一人が出す空気とか雰囲気ってあると思うんです。同じ曲一曲歌うにしても全然違うと思うんですよそれって。そこにいる人たち一人一人が違えば。
だから、ライブツアーとはいえ、7月2日に札幌キューブガーデンで高橋優ワンマンライブやります、みたいな気持ちでやろうと思ってます。



【夢】
例えば、キャパシティーがどれだけのライブハウスでもいいんです。すごい大きい会場でも小っちゃい会場でもどこでもいいんですけど、どういうシチュエーションで遊びに来た人か分からない、集まった人たち全員が、うわー楽しかったーって思えるライブをやってみたい。
だから会場に来るまで、えー?高橋優?よく分かんないしなあ、とか、一人弾き語りとかちょっとあんまり…って来て、帰る頃には「うははー」って、なんかいい気持ちになってもらってるっていう。それが夢ですね。
会場中の人たちが楽しんでくれてるライブ。もちろんそれ僕もなんだけど、僕自身がすごく楽しんでいて、全員が楽しかったと言えるライブっていうのをまずはやりたいなと。すぐできるようでものすごく困難な気がしてて。

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高橋優初の全国ライブツアー~唄う門にも福来たる2011

「高橋優初の全国ライブツアー~唄う門にも福来たる2011」
初日・名古屋クラブクァトロ、追加公演・恵比寿リキッドルーム


私よりも少し年上の友人が、私があまりにも優さん優さんうるさいので、音楽に注目して聞いていたらしい、スペシャとかラジオとかネットで。
その感想。
「最初(デビュー当時)の頃は、自分と自分の目の前にある暗い部分をかき集めてかき集めて表現している感じ。本当の暗さを彼は知らない。若くて健康でやりたいことがあって、将来があるんだもん。大きめのライブハウスレベル。最近の曲は明るくてメジャーっぽくいろんな人に通じると思うから、武道館ぐらいにまでいけるんじゃないか。でも、初期の彼を好きだった人にはつまらないんじゃないかなあ」
彼女の見方は、クールでとてもシビアなところがある。
「リアルタイム・シンガーソングライター」の特徴の一つは、自分の環境(求められるもの)と立ち位置、気持ちによって音楽が変わっていくことだと思う。リアルタイムってなかなか難しいと思うよ。

友人の高い目線からの評価は分からないでもない、っていうか理解できる。
でも、ライブに行くと、心の底からむくむくと「違う!そういうことじゃないんだ!」という叫びのようなものが立ち上ってくるのを感じる。
高橋優さんは、実は全部承知の上なんじゃないかとも思うのだ。
プロになったから、100%自分の歌いたい曲だけを作っていくわけにはいかない。でも、要求されるものをただ作り続けていくだけでは音楽工場のようになってしまう。
その狭間で、クライアントの要求に添いながら、自分の個性という糸を入れ混み、自分だけの編み方を表現していっているような気がする。
で、それがまた妙にハマってたりする。
ナイーブなんだかしたたかなんだか。彼は彼のままに曲を作って唄っているだけなんだろうけど。
そこがとっても魅力的。

そんなこんなで、とうとう名古屋遠征!
どうしたんだ自分!
次週の「ぼっちゃま」大阪公演に誘われたのに断って、名古屋の高橋優さんをとるとは!
ここ最近の気持ちの盛り上がりときたら、自分でもちょっと変www
もちろん、「リアルタイム・シンガーソングライター」というアルバムの濃さも一役買っているのですが、高橋優個人を知れば知るほどなんだか楽しくなってきちゃったのも確か。
お父さん秋田民謡の歌手なのかー、喉の強さは遺伝なのかな。お姉さん2人いる長男なのかー。札幌の大学に進学したのは東京が怖かったせいもあるのかー。路上で唄っていて嫌なことがあってもひたすら唄い続けるとは、スルー能力高いじゃないかー。有名になればなるほど、鍵なしアカウントのツイッターでは悪口リプだってたぶん飛ばされてると思うんだけど、熱くならずにちょっと離れてるその感じがいいぞー。とかもろもろ。

何度かイベントで彼の歌を聴く度にその時間の短さにイラッとしていたので、デビュー後初のソロライブしかも初日への期待がものすごく膨らんでしまったというのもあり、名古屋の地を踏んでしまいました。
じらすのが上手いなアミューズさんwww

CDと同じ音質で完璧な演奏を聴かせるライブというのもすごいとは思うけど、私にとってはあまり価値を感じない(クラシック以外)。
その点、優さんのライブはかなり価値あり!
彼の表情とか目つきとか、PVを観ているだけでも感じるけど、ライブでは特になんかもう色気ただ漏れで。こっち見ないで、ぐらいのwww
男の色気…なんだろううか?
ちょっと違うような気もするんだよね。ステレオタイプな男らしさではなく、人見知り特有のハニカミや、あからさまでない優しさや、隠しようのない情熱なんかが一体となってこちらに迫ってくる。
こっちにぐいぐい近づいて来る人よりも、ちょっと離れたところにいる孤高の人のほうが気になったりするじゃないですか。
そんな色気。

初日の名古屋がなあ、特にこのアンビバレンツな色気ムンムン(?)で。
たぶん、ものすごい緊張だったんだと思う。
MCがグダグダでカミカミで前のめりで(笑)。
言いたいオチが途中でわかってしまうというwまさに残念なww
でも、何度か彼のライブを見てみると、緊張とエロさは比例するのだなと思った。そして、エロさとMCの巧さは反比例するというのも、恵比寿の追加公演を見て感じたのだった。
本人は全くの無意識だと思うので、たぶん自分ではどうすることもできないんだろうけど、不器用で成長しないほうが彼はエロい。
だからといって、ものすごい勢いで成長していく彼のしゃべりも魅力がないわけじゃなく、むしろ面白くなってて吸引力がある。
なんだろうなあ、やっぱり一筋縄ではいかない。
それもまた魅力。

今回の名古屋のMCは、「初めての全国ツアーで緊張してるから、あえていつもと同じことをしようと思った。住んでる部屋の下にコンビニがあって、毎日何かしら買ってるから、同じように名古屋のコンビニでも焼きタラコのおにぎりを…(ここらへんから観客がザワつきだすw)買おうと思ったらなかったから、サンドイッチを…買おうとしたんだけど売り切れだった」というもの。
これだけなのに何度噛みました?(笑)

対して恵比寿のMC。
一人のお姉さんには娘ばかり3人。その真ん中の姪っ子の卒園式が先日あった。卒園式では先生が「将来やりたいこと」を一人一人に訊いていく。姪っ子はなんと「リアルタイム・シンガーソングライターになりたいです」と答えた。先生聞き取れなくてもう一度訊くが、やはり同じ答え。「それは何をするお仕事なの?」と重ねて訊く先生。「げんじつというなのかいぶつとたたかうしごとです」先生スルーして次の子にいった。
この話には続きがあって、秋田のライブでコンビニおにぎりの話をしたら、先日母親と姉が栄養の偏りを心配して上京してきた。
母親がお弁当を作ってくれたんだけど、フタを開けたら焼き海苔で「リアルタイム・シンガーソングライター」の文字が。それはまだいいとして、添えられていたのはなんとからあげくん。栄養の偏りとかどこいった?でも母親によれば「からあげくんはいいんだ」とのこと。

ね、上達してるでしょ。
でももっともっと緊張してもいいから(笑)。

優さんが持っている、箭内さんからプレゼントされたギブソンのギター、恵比寿のライブの私の位置が中央5列目ぐらいだったこともあってよく見えた。
今までなんということもなく見ていたけど、よく見るとあちこちに螺鈿が貼られている。なんだかとっても美しい。
中でもボディー正面に象られている螺鈿の鳥と、繊細にデザイン化された植物の模様が、まるで芸術品のように素敵だ。
この綺麗なギターに「こどものうた」のPVで血を散らしちゃったのかい?
カナリアのトリル。昔、炭坑夫は必ずカナリアを持って炭坑に入ったそうだ。カナリアが鳴かなくなったら有毒ガスが出ていることが分かるから。
そんなことを思い出す。
優さんは果たして炭坑のカナリアなんだろうか。
誰もが炭坑のカナリアであり、同時にその様子を見守る炭坑夫なのかもしれないが。

私には、いまだに大好なアーティストが一握り、いる。
簡単に言うと、30年とか20年とか、彼らに飽きたことがない。
音楽性が変わったり、ちょっぴり事件を起こしたり、理解不能だったり…。
彼らは私の「分からない引き出し」に入っているから、飽きない。

対して、私が情熱的にハマりまくったくせに、今は全く興味のないアーティストもけっこういる。
詳しくは書かないけど、湯沸かし器のようにあっと言う間に好きになってアルバムを購入し、ライブに行って熱烈に声援を送った過去の記憶。
なのにある日、突然やってくる予感めいたもの。
今までと同じようにアルバムを聴いたりライブに行ったりしているのに。
「了解。理解した」
この認識が気持ちに現れるともうダメ。もう無理。もう飽きた。
ひどい時になると、たった1回のライブでそれがやってくる時もある。

でも、ただ一人、「分からない引き出し」にも入っていないし、ビッグスターで何度も何度も同じ曲を聴いているのにずーーっといまだに好き、という歌手が存在する。
美空ひばり。
知らない者がないその名前と歌と声。
その存在は死してなおますます神格化され、東京ドームのラストコンサートの華麗さ、壮絶さは永遠に語り継がれる。
ちなみに「悲しき口笛」は私の十八番。

どうしていきなり美空ひばり御大の名前を出したかというと、高橋優の声と歌は、私の心の「ひばりゾーン」を刺激するからだ。
名古屋の初日でも、追加公演の恵比寿でも、彼の声と歌によって私の心がジンジン反応する部分は、美空ひばりでジンジンする部分とかなり似通っていて、けっこう重なっている。
自分でもかなり不思議。

声質かなあ、音域広くてなかなか裏声出さないとこかなあ、他人のペースに乗らずに孤高なとこかなあ、歌の第一印象で好き嫌い分かれるとこかなあ…。

…もしかしたら、自分の声で曲を一度構成し直すところかもしれない。
それで、曲をガッチリと自分のものにする。
独特の声は、歌を聴く側の心まで共震させる。そして強く伝わる。

NHKかな、昔の美空ひばりの歌の映像を流している番組があって、そこで見た「悲しい酒」を歌っている彼女が凄かった。
歌いながら、ポロポロ、ポロポロ泣いてるのね。
なのに、声は普通に歌いあげてる。
それだけ泣いたら号泣の域なので、普通の人間ならしゃくりあげたり喉が無意識に震えたりして歌えなくなるはずなのに。どうなってるのかさっぱりわからない。
でも彼女は、大粒の涙だけを流しながらまるっと一曲歌い終え、静かに笑顔さえ見せながら最後におじぎをした。
わかってるのはテレビのこっち側で私が大号泣だったってことだww

すごい声、すごい喉、すごい精神力。
すごい伝える力。

この歌唱を高橋優さんができるかどうかはわからないけど、再構成して伝える力についてはイイ線いってると思う。

名古屋初日の後、私はツイッターでこうつぶやいた。
「とんでもないアルバムを作ったと思ったら、ライブはそれ以上にとんでもなかった!高橋優という存在と音楽が組み立てられ、超えてゆく課程に心臓鷲掴みにされ興奮した。普通じゃない。ものすごくスリリングだこの男」

スリリング。
名古屋ではそうだった。
眼鏡のせいか、緊張のゆえか、キラリ、キラリと輝く瞳は包容のようにも拒絶のようにも見えた。君たち(観客)のペースには乗らないよ、と精一杯一人で立とうとしているようにも見えた。
その態度がやけにエロかったんだと思う。

恵比寿ではもうかなりの部分をバンドに委ね、観客のほうだけ向いて、自分でその場の空気を支配するまでに成長していた。
MCの流暢なことったら(笑)。
「え?」とか「ぼく、しゃべってもいいですか?」とか「ちょっと待って、後で言うから」とか、彼がはっきりと客席の呼吸を掴んでいるのが分かる。

まるで大御所の噺家さんのようだ。
噺家さんは、落語がしゃべれる人ってだけじゃない。大爆笑をとる人は、観客に呼吸を合わせることを知っている。
五感で観客を感じ、観客に合わせながら、自分の呼吸にその場の空気をもっていく。いつの間にか、見ているこっちも気づかないうちに。
それが個性であり、真打の噺家さんのすごさだ。

話が逸れた。
優さんはこのツアーで、初日から追加公演までの間に、それだけの成長をしたんだと思う。
計り知れないなあ、本当に。

彼のライブ中、少し寂しいなと思うこともある。
彼の音楽は、やはり彼より若い人たちのもので、私の世代にはちょっと何か物足りない。
私の世代の上に佐野元春さんの音楽が存在して幸いだったように、今を生きる中高大学生に高橋優さんの音楽があって良かったと、心から思う。

佐野元春さんといえば、彼の初期にバンドメンバー&アレンジャーだった伊藤銀次さんが「佐野元春は、僕の夢です」という名言を残している。
高橋優さんに対するギター&音楽プロデューサーの浅田信一さんもかなりそんな感じだ。
初日の名古屋では全体を見回して調整するステージディレクター的な落ち着きだったのに、恵比寿ではギターソロでボーカルに近づいていくどころか優さんの腕もってちょっと方向変えて背中合わせになっちゃったりとか、しかも、もたれすぎて優さんよろめいてますけどもwww
いいなあ、お茶目で大人な浅田兄さんがいてよかったなあ。
「高橋優は、僕の夢です」なんでしょ?そうなんでしょ浅田さん?←勝手に納得

「希望の歌」から始まって、「素晴らしき日常」でやっぱり名曲だと感動し、「靴紐」で涙腺緩んでやっぱり涙。
恵比寿の「ほんとのきもち」で一番最初の<君が好き♪>の視線をゲットしたのは私だと思うの。妄想GJ!
「メロディ」「少年であれ」「花のように」の構成の美しさったらない。
「終焉のディープキス」「頭ん中そればっかり」「現実という名の怪物と戦う者たち」からの「こどものうた」、その起爆力といったらメガトン級。
んで、「福笑い」で締める幸せ。

名古屋では「福笑い」大合唱で驚いた。しかも半分が男性だったので、ちょうどいい感じで。
恵比寿は歌っている途中には合唱しなかったけど、アンコールのクラッピングと共に誰からともなく合唱になってた。ステージ向かって左側最前列あたりから広がっていったような気がする。

恵比寿のアンコールで「駱駝」きた!
この歌とても好き。
「お前だって大人じゃん」という突っ込みはなしで。いやあってもいいけど。私も含めて大人ってバカだもんね。子どもから見える単純な真実を見落としたり忘れたりすることもある。
ただ、単純な真実を知っている大人の中には、利己や損得や苦手意識などを乗り越えて動いたり発言したりしている人もいる。それが大人ってもんだと思う。
やっぱり優さんの曲は私にとってちょっと物足りないし、私の世代が必要としている曲ではないけれど、聴いた時に心が「まろやか」になる。
優さんの歌の向こうに、今この現実の中で生きている誰かの姿がかいま見える。
それは少し私と似ている。



「シーユーアゲイン」
ラストの曲。
もう絶対に会えない、「シーユーアゲイン」すら言えなくなってしまった、自分の知り合いの姿や声をどうしても思い出す。
別れても、何の疑いもなく「シーユーアゲイン」「またね」と言える幸せ。
場所の遠近は問題じゃなく、心の遠近でもなく、ある日突然、その知らせはやってくる。必ずやってくる。
それでも、「シーユーアゲイン」と今、周りにいる親しい人たちに言いたい。
変わらずにまた会えると、いつまでも信じ続けたい。

アンコールでバンドの皆さんがハケた後、一人残ったステージ上の優さんに向けて観客の皆さんが歌う「福笑い」は感動しました。
優さんも途中からマイク通さずアカペラで歌う。やっぱりすごい声量。
最後に、ステージ左右ギリギリに立って、見え難そうな人たちにも「ありがとうございました」と挨拶。
こちらこそ、いいものを見せていただきました。
ありがとうございます。また11月に、シーユーアゲイン。

「駱駝」が入った分、なんか一曲足りないんですけど…「虹と記念日」か!
聴きたかったなあ。

私の次の願い(野望?)は、高橋優さんと岡林信康さんのセッションです。
想像しただけでなんかもうドキドキ♪

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「ぼっちゃま」渋谷・パルコ劇場(2011年5~6月)

http://www.parco-play.com/web/page/information/bocchama/



開演まで、会場には生ピアノの音が響いている。
佐山さんのピアノは軽やかで、明るくて、これから始まる時間を想像するのが更に楽しくなる。
ロビーにあった色とりどりの華たち(中の一つは私もちょびっと参加)を思い出すと、またウキウキしたりして。
日常という「外」を、お芝居という「内」に切り替える手段として、生演奏はいいかもしれない。徐々に、気持ちがステージに向いていく感じ。
今回は3回、観劇できました。
9列目、8列目、4列目。それぞれ、ステージ向かって左端、やや左側、やや右側と、ほぼベストな位置をキープ。
最前列とか無理。会場の雰囲気をいつも確認しときたいヘタレなので。(なったことないけど)



太平洋戦争後の東京が舞台。
主人公の幸一郎はばあやの千代と共に、父親から受け継いだ一軒家に住んでいる。
全員腹違いの姉、弟、妹がお盆にやってくるが、顔を見せれば揃いも揃って兄への無心ばかり。しかも姉と妹は幸一郎に一言の相談もなく、フィアンセを連れてやってきた。
育ちが良くて理想主義、女好きで短気で楽天的、論理はあくまで自分にだけ都合いい屁理屈で、兄弟たちには親切だがあくまでもマイペース。
そんなぼっちゃまが繰り広げるホームコメディ…でいいのかな。



会場が暗くなり舞台に吾郎さんが現れると、観客全体が息を呑むのを感じる。もちろん私も。
着流し姿で文机前に正座して、万年筆で何かを書いている姿、しかも利き手でなく右手で。左手でも微妙な不器用さがほの見えるのに、右手で!?と思った瞬間負け。
「飛鳥へ~」を思い出して、本気なのですね吾郎さんっっ!とちょっとテンションまた上がるから。
「飛鳥へ~」と違って原作なしだから、どうして右利きの設定にしたかは謎だけど。クラシカルな感じに似合うからかな?



1回目を見た時には髪型微妙にもずくじゃなくなってて、あら、今度はこっちでいくのね、なかなかいい感じ。と思っていたのに東京千秋楽ではしっかりともずくん(額は全開)に戻っており。戦後その髪はないのでは。別にいいんですけど。



以前の「謎の下宿人」の時も思ったけど、裸足が超絶美しいのね、吾郎さんてば。
厚みがしっかりして、土踏まずは深く、血管も筋もピンと張っていて、足指が長い。
縁側や和室によく似合う♪
和服の裾の柔らかな動きと一緒に、その足がスッスッと動くのを見ていると、どうしてこういう人が生きているんだろうと不思議な気持ちになる。



この和服がなあ、胡座かいたり寝ころんだりした時もなかなか脚が見えないんだよっっっ!←
エロ嫌いなぼっちゃまだから、自身がエロスの塊になるわけにはいかないのかしら。
その割に「うっふーん、あっはーん」がどや顔だったりしますけどもwww
最後のほうでチューチューアイスを渡す時の腕のスジとかたまりませんけどもwww



自由自在だなぼっちゃま、てか吾郎さん。



エロ嫌いな割に、やることはきっちりやってるぼっちゃま、女性に手を出しまくり、あちこちでトラブルも起こします。
「一度寝た女は愛してる。それが僕の誠実」
脇が甘すぎるだろそれ(笑)。
こんな男、結婚したら大変だろうし、人間としてどうかとも思うけど、結局ほだされてしまう。
自分の正論と感情に素直というか、なすがままというか、他人から言われることをけっこう気にするくせに、泣いたり愚痴ったり自己正当化したり酔っぱらったり感情的にあたりちらしたり…。
本当にしょうがない男。まさにぼっちゃま。



怒っても迫力ないから怖くないし、うっとうしいほど言いたいことは言うけど、姉弟妹たちを見捨てない。見捨てるなんていう発想は最初からない。
自分の言うことなんて全くきかないし、金だけを目当てにしてしまいには自分を変人呼ばわりする兄弟たちなのにね。
父親の骨董品コレクションなんて次々に売っぱらう。それは「金儲けに使っちゃいけない。艶のない金になっちまう」からだ。
でも、三島由紀夫などの描いた退廃感たっぷりの華族のそれではなく、いい加減に見栄っぱり。ぼっちゃまなりに苦悩しているものの、いつもどこかピントがずれて論理破綻してるし。
自分に甘く、ストレートに正直で、へらず口のくせにどこまでも優しい。
「人は心が一番大事」「僕の道楽(浮気)は心のやりとりを楽しむ大人の遊び」その信念は正しいが、ちょっと解釈が間違ってる気がしないでもない(笑)。



時に周りをバカにし、時に千代さんに甘え、時に憎たらしいほど口達者で、時にとっても可愛らしくて憎めない。
まさにぼっちゃま、まさに稲垣吾郎の真骨頂。



「本当はみんな、僕が好きですよ」とか言ってるし。
なんか悔しい(笑)。



脇役の人たちの存在感もすごかった。
梶原善さんの似合いすぎるステテコとか、ピアニスト役の佐山さんの素人っぷりとか逆にすごい(本物のピアニストの方なので素人なんですけど)、高田聖子さんのドスも冴えまくる!
ぼっちゃまの弟役の俳優さんは特に、どんどん良くなってた。3回観劇して、コメディのプロの皆さんと合ってきて、呼吸をちょっとずらすとか、オーバーな表情を一瞬だけ見せるとか、すごい成長っぷり。こういうのが舞台を観る醍醐味なんだよなあ。
柳家喬太郎師匠は、私が好きな噺家さんの一人。俳優業をされてる喬太郎兄さんは初めて見たけど、すごくいい。
もともと幇間とかおかみさん系のちょっとナヨッとした人物描写が巧いので、元幇間の骨董商役がハマってる。アドリブシーンなんてもう目が離せないぐらい派手。
見事です。



そんな中、うちの吾郎さんはというと…。
「気づいたらいつの間にか中心にいるんだよねー」とは、舞台の吾郎さんのことを評した友人の弁。
今回の舞台でもその才能(?)は発揮されています。
個性の強すぎる脇役たちに対して、ひけをとらないどころか二歩か三歩、涼しい顔をして先を進んでいく感じだ。
ただし、ばあや・千代役の白石加代子さんを除いては。



白石加代子さんという女優のお名前は、怪談の語り部のような印象で知っていた。でも、どんな女優さんかは知らなかった。
最初に「ぼっちゃま」と呼びかける台詞、それだけで度肝を抜かれた。ぐにゃりと会場に響く声。出てきた瞬間、何かそこだけ空気の厚みが変わるような存在感。
こんな声聞いたことがない。
誰?ていうか何者?
パンフレットに載っている稽古風景での彼女は普通の綺麗なおばあさんのようなのに、舞台の上ではなんだか得体がしれない。
感情が伝わってこないというのではなくて、時々表情と感情が比例していない気がして、心の奥がわからない。
基本的には笑顔だし、優しくて気がきいて、とってもいいばあやなんだけど、うっすらとした怖さがある。千代さんはきっと、語りきれない重い記憶をいくつも持っている人なんだろうと思う。
でも推測することなんておそれ多い。そんな感じ。



浮き世離れしたぼっちゃまと、奥底知れないばあやの会話は、そのままコメディになる。
二人のやり取りの場面になると、他の脇役たちが本当の“脇”になる。二人の間に入り込めない空気が漂う。
パンフレットでは、演出の河原雅彦さんがそれを「結界」と呼んでいた。なるほど。
二人の間は、揺るがない信頼と愛が結んでいるように見える。
ぼっちゃまは千代さんのことを全て知ってるわけではないけど、「僕と千代さんは僕と千代さんだ」と無条件に言えるだけの確信がある。
千代さんのほうはといえば、ぼっちゃまに激甘というか、全肯定。しかも認め具合が強いのでうっかり納得しちゃう(笑)。
「嘘は言ってない。ああいう人なの」
「お強いのよ。普段は新しい荷物一つ背負ったら古いの一つ捨てますわよ」
「清濁あわせ呑み、聖俗あわせ持つ。それこそが人間の面白さなのかもしれない」
もう、オールOK。



そんな激甘で優しい千代さんが、激情を露わにします。
たった一カ所。
ぼっちゃまが、自らの不摂生のために病に伏せ、命をあきらめて心肺停止になります。
幽霊となって現れたぼっちゃまは、千代さんを憑代として千代さんの声を使って淡々と想いを語ります。←ここの演出がちょいと面白い。河原まちゃぴこさん天才。
「僕は世の中の役にはたたなかったなあ」「役に立つということは、世の中の動くほうに動かないといけない」「なんだかなあ」
我に返った千代さんは絶叫します。
「優しい気持ちもずるい気持ちも、希望も絶望もなんでも入るほど広いのよ!人の心は!」
「生きるのよ!生きなさい!」



千代さんの大きくて切実な声が、会場の全てを包み込む。温かいというより、ピリッとした空気を感じた。
祖父や祖母の世代にある、凜とした意志。
チリチリと突き刺さる。



いつの間にか、涙が止まらなくなってた。



以前、同じ脚本家の「魔法の万年筆」を観た時は、最後に主人公が生き返るのがどうにも納得できなくて、アンケートに文句を書いた。あまりにも唐突すぎて必然性が感じられず、それまでのいい流れをぶった斬って終わるような気がしたので。
3回も観劇すると、それもまあありかなとは思ったんだけど、やっぱりモヤモヤしたので感想は書いていない。



今回の「ぼっちゃま」では全く違和感なく、主人公が生き返ることで「生き抜く」というメッセージがストレートに伝わってくた。
脚本もいいし演出も際だってるし、何より白石さんと吾郎さんの組み合わせがしっくり噛み合って、こちらに迫ってくる。
「魔法の万年筆」の時に文句言ってごめんなさい。
見事なリベンジでした。



言いたいこと言って、やりたいことやって、時には人に迷惑かけたり怒ったり文句言ったり、ユーモアを忘れるかもしれないけど、恨み続けたり萎縮したり後悔したりしないでいられたらいいなと思う。
自分の鼓動が止まるその日まで、難しいかもしれないけど、あがき続けることが生きること…なのかな?なるべくやってみる。



この舞台で初めて、千秋楽のチケットがとれました。奇跡です。ありがとう、友達。
舞台の出来としては前日の回のほうが良かったんですけど、東京千秋楽はとにかく楽しかった!
声も動きもアドリブも5割増し。ちょっといつもと違うけど笑っちゃえ的なテンションの高さ。
もちろんぼっちゃまはいささかも変わらず通常営業ですけど何か?(笑)



アンコールで一本締めじゃないの初めて観たかも。
「三本締めで…」って言ったの間違いじゃないの?本当にやるの吾郎さん?と思ってたら白石さんが周りの方々に「三本締めって何?どうやるの?」と小さく訊いてて可愛ゆす♪
ですよね、珍しいですよね。



しかもトリプルアンコールで2回の三本締め、だったかな。
ぼっちゃまの顔から稲垣吾郎にあっさり戻って、気持ちよさげに充実した笑顔で会場をさらーっと見渡します。もしや知った顔を探してる?今日はSMAPさん来てませんけどwww
最前列の賑やか女子にちょっと話しかけてみたりして、まあ吾郎ぼっちゃまご機嫌さん♪
緊張が解けて満ち足りた表情を観られる回なんですね、千秋楽って。それだけで感激&こちらも満足。



「吾郎!」「吾郎ちゃーん!」の呼び声にまぎれて「きょん師匠!」と叫びたかったのですが無理でした。でも、ちらちら視線は投げてたんですよ、ぼっちゃま差し置いて(笑)。



秋の吾郎ぼっちゃまは石川啄木に変わります。
http://www.siscompany.com/03produce/34takuboku/index.htm
そちらも今から楽しみ♪



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