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2011年10月「泣き虫なまいき石川啄木」

2011年10月13日夜、27日夜、29日昼 at紀伊国屋サザンシアター
「泣き虫なまいき石川啄木」
http://www.siscompany.com/03produce/34takuboku/index.htm


波音が聞こえてくる。左側に家、遠くまで広がる海、かもめが鳴いている。
お腹の大きな和服姿の女性と、カタコト日本語の洋装夫妻、荷物を持った書生らしき男性。啄木はいない。
舞台を見ていると、どうしても稲垣がいつ出てくるのかが気になる。待ち受けるだけでなく探してしまう。
そのせいもあって、何かが足りない。
日だまりの中、主役が欠けた第一幕。寂しいような、すっきりしたような空気が流れ、文机の上には山になった日記。出演者の台詞のやりとりで、もう啄木はこの世にいないのだと分かる。

場面が転換し、生前の石川家のシーンになる。
いよいよ啄木役の稲垣が出てきても、どうしてだろう、あんまりドキドキしない。今年2回目のお芝居だからかな、トキメキよりも期待感というか。アイドルじゃなくて舞台役者を観に来てる心境。
それにしても、和服を着替える背中がたくましくて広いことといったら。触りたい…いや背中だけじゃないけどww
友達の金田一京助とのやりとりがかなり面白い。(小学生の頃この人の国語辞書持ってたかも。いや子息の春彦氏のほうだったか?)
テンション高く真面目な金田一(鈴木浩介)と、世慣れたふうでちゃっかりした啄木。
タバコやお金をさりげなく無心して、しれっとしている様子がなんとも似合う。
これは、教科書に載っているはかなく夭折した短歌の天才のイメージとはかなり違う。
どういう人なんだこの人は。
そんな疑問符が頭に浮かんでいるうちに、今度は小さな嵐のような二人がやってくる。
母と嫁。
足音も荒々しく階段を昇ってくると、ホコリが舞いそうな勢いで動き、空気が裂ける勢いで津軽弁をしゃべる。
なかなかにすさまじい。渡辺えりさんはともかく(?)貫地谷しほりちゃんまで。あまりにすごすぎて初見では驚くばかりだったが、家庭で本音をあまり口に出さずに育った私としては羨ましくも感じる。
いいぞもっとやれ(笑)。
絵に描いたような嫁姑の争いには口を出さない、世間の夫程度にはずる賢い男、啄木ったらやられっぱなしかと思ったら、堰をきったように始まる母子喧嘩。
何この家族(&金田一京助さん)。面白い。
石川啄木というか石川一(はじめ)がちゃんと生活してる。いや、見ようによってはちゃんとじゃないけど、生きて躍動して喜怒哀楽と共に呼吸してる。

喧嘩しつつも皆が一くんを頼りにしてるし大好きなんだってことをひしひしと感じる。
一くんは一くんで、自分なりにいろんなことを気にして考えて、モラトリアムぶったり社会派ぶったりしちゃうんだけども実はそんなに深みにはまらない。いくら怒っていても、自分の中に心底暗い感情を持っていない人っていうのは可愛らしい。周りの皆(観客含む)は彼のそんな本質を知っていて、大好きなもんだから母も妻も過保護なぐらいに大事にしてる。
一くん、とっても悩んでぐるぐるしているように自分では思いこんでるけど、周りがぐるぐるしてるだけじゃないか。
本人はその独特の軽さとあまり重くならない本音で、そんな周りを優しく包み込む。
ま、適当男なんですけども(笑)。
落ち込んで死ぬつもりになったりなんかして、心配させるくせに本気で怒る気を起こさせない、そこが可愛らしいけど憎らしい。
ちょっと一くんに惚れそうになったところで、颯爽と出てくるまたしょーもないお父ちゃん(段田安則)。
その達者な口でのらりくらりと本質から逃げ、話を逸らし、トラブルには目をつぶる。
一見立派な哲学めいたことだけをペラペラしゃべる父と、黙って自分を閉ざし、その場から耳をふさいで逃げる息子。
おまいら同じだ、DNA完全に一致だ。
凄みがまるでないくせに、時々真理に鋭く到達してるとこまで一致だ。

個人と個人の闘いのように見えて、屁理屈ばかりな父子とどこまでもストレートな女性陣の闘い、また、家族と貧乏との闘い、愛と不信の闘い、思想と生活との闘い、病気との闘いなど、その争いの様式を一幕に一つずつ盛り込みながら、石川家の時間は進んでいく。
稲垣だけを中心に観るのではなく、あえて自分をニュートラルにして、興味が赴くままに視線を自由に動かしていたい、そんな気になる。

井上ひさしさんの書く台詞の量は半端ない。
例えば、同じ粘土の彫像を作るのでも、一から粘土をくっつけていくやり方と、大きな粘土の固まりを削っていくのとでは最初の粘土の量が違う。井上ひさしさんの場合は、状況や性格や感情や社会的な人間関係や最大限必要な言葉を集めた後で、一気に削っていくような形なんじゃないかと思う。
しかも、本質そのものを作り上げるのではなくて、あまり関係のない物事や台詞を周りに配置して本質を浮き彫りにするような。国芳の「みかけはこわいがとんだいいひとだ」みたいな仕上がり。そんな感じ。(どんな感じだw)
例えば、妻の不貞を疑う啄木と金田一。自分が一番情けなく不幸な夫だと感じていた啄木のところに、同じ悩みを持った金田一がオーバーアクション気味にやってくる。
話を聞きながら「つらかったろうねえ」と同情口調で言う啄木の心情の一部は、まさしく「俺より不幸で情けない輩がここにいる、可愛そうになあ、(とりあえず)しめしめ」。台詞にはなくても聞こえてきたよ!
井上ひさしさんの洞察力と言語センス、すごいわ。今まで観劇したことなくてごめんなさいいぃぃぃ…とひれ伏したくなるほどに。

その丁々発止な台詞回しを優しくくるむ段田安則さんの演出もまた素敵だ。
大量の台詞をぶちこんだ口喧嘩のシーンなど、やりようによっては昼ドラ的にもできるだろう。
が、この舞台での口喧嘩は、キツい性格同士の闘いというよりも、相手への不満な点と自分の理不尽さを天秤にかけて折り合いをつけるために、互いに感情を爆発させているように見える。
で、結局相手と生活していくしかないと諦め、同情し、時にその同情が愛に近いものに変わっていく人間の不思議さ、可愛らしさ、やるせなさ。
シーンごとに食べ物が出てくるのも優しさ(と季節)の表現に一役かっている。
氷水、焼き芋、きしめん、うなぎ、天ぷらそば、牛肉入りスープ。
舞台で食べ物の名詞が出てくると、どうしてこんなに優しい気持ちになるんだろうね。
それと、小さな娘の存在。舞台には姿を現さないが、外に出ている娘を思いながらの台詞や、屏風の陰で寝入りそうな娘をあやす様子など、彼女の存在が家族を充実させているのがわかる。
この舞台では、見えないものが密かな求心力になっているのかもしれない。不思議だけど。

井上ひさしさんの脚本と、段田安則さんの演出という2つの車輪の上に乗って、伸び伸びと演技をする役者たちもまた輝いている。
ちょうどよく噛み合う、というのか、それぞれ個性的で主張しているのだが、台詞も演技も空気もうまーく噛み合って、観ているこちらも気持ちがいい。

啄木役の稲垣は、今回いくつかのパターンをあちこちに用意して舞台に臨んでいるようだった。
啄木と金田一、啄木と母、啄木と妻、その他もろもろの声音や間が、観る度に間違いなく進化していた。
例えば、下宿の2階から父親を呼ぶ際の「お父さん、上がってらっしゃい」の言い方が、少し照れたようにぶっきらぼうな時と、切なく呼びかける時があった。選択の基準はよくわからないが、演者にしかわからない理由(直感?)があるのだろう。
一くんが無防備にそんな声音で言うから、何かあげたくなっちゃうよね。お金とか、物とか、真心とか。
あら、すっかりやられてるし(笑)。
前回の「ぼっちゃま」の時もそうだったが、彼はまたすんなり一くんとなってそこにいて、石川家の濃密な日常の中に生きていた。
短歌の天才・石川啄木と、人生自転車操業中の一くんとの間をいったりきたりしながら生きる主人公は、「ぼっちゃま」の時と違って、家族の要としての強烈な自負心などさらさらない。ただひたすら家族や社会に振り回されてうまくいかない自分を感じている。なのに、風に吹き寄せられるように集まっては離れてを繰り返し、石川家の不完全な一員として、見事に大黒柱となっている。
家族と一緒に困窮しつつ生活するのと、歌人の才能と理想を両立させることって、実はすごいことなんだよ一くん。
本人も気づいてませんけども。
いくら喧嘩しても離れられない家族と、いくら仲良しでもいつか離れてゆく友達と。
みんなが主役、的な舞台なんだな。

石川家の起承転結、または序破急は、啄木がいない冒頭と終わりの風景でゆるやかに結ばれる。
すったもんだしながら暮らす普通の石川家が普通でないのは、むしろこの冒頭と終わりに凝縮している。
啄木の日記に出てくる人物たちは、天才ならではの彼の視点によって動きだし、完結する。
啄木でなければ見えてこなかった光景や人、考えもしなかった思想が、啄木だけの研ぎすまされた言葉で表現される。
生きている限り巻き込まれる、面倒で底知れないものが通り過ぎるのを我慢して待つ、あるいはすり抜けて逃げる、さまざまな手段を弄してなんとかしようとあくせくしたその先にしか、見えてこないものがある。
荒波を通り過ぎた人たちは、穏やかに輝き始めた海を、砂浜で遊んでいる少女を、高台から見つめて舞台は終わる。

自分たちの道のりを思い、日記を書いた者を思い、子供の健やかな成長を願って。
大人としての切なさと喜び、家族としてのせいいっぱいの愛情と覚悟。
人間関係の矛盾、世間の無情、社会の理不尽、そんなもろもろが思い通りにならなくても、お先真っ暗に感じていても、なんとかなりそうじゃない?
そんな余韻の残る、本当にいいお芝居でした。
ありがとう。

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