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「ヴィーナス・イン・ファー」atシアターコクーン(2013年6月)

「ヴィーナス・イン・ファー」atシアターコクーン(2013年6月)



主演:稲垣吾郎・中越典子



事前の情報をなるべく入れずに初日を迎えた。
今回は一週間毎に3回の観劇。3列目→4列目→6列目。座席運がこんなに良かったためしはないよ。舞台の神は私に何を見せようとしているのか、ドキドキ。
特に1回目始まる前の客席の緊張は鋭かった。ピーンと張りつめて、誰もしゃべれない。息も浅くなり、自分の鼓動だけが聞こえるような静寂が会場を包んでいた。
パルコの舞台とか、音楽から入る緩やかな空気感に慣れていただけに、期待と不安だけでなく、これだけ鋭い緊張が支配する舞台というのは見たことなかったかもしれない。



マゾッホ作「毛皮を着たヴィーナス」の上演のため、トーマス(稲垣)は女優のオーディションをしているが、気に入る女優が見つからない。
そこに売れない女優ヴァンダ(中越)が遅れてやってくる。ひたすら言い訳を述べる現代っ子のヴァンダだが、脚本の読み合わせでは非凡な才能を示す。
トーマスは、饒舌で奔放で、時に知的な顔を見せる謎の女ヴァンダに次第に魅了されていく。



大きな雷の音が轟き、幕が開く。
舞台には電話で女優が見つからないと愚痴っている稲垣。アメリカ人の設定なので、いささかオーバーアクション気味。
ここから私が口を開けっ放しの90分余りが始まるわけだが、いつ、どこからそんなに自分の頭が入り込んだか、終わってもよくわからない。
最初、大きな音にドキッとした時にはもう待ったなしでこの舞台に魅入られていたのかもしれない。
まるで、ヴィーナスのように。
主演の2人がまあ美しいこと、魅力的なこと、生き生きしていること。
はあぁ、いったいなにごとですかあぁっ!(どうした)



落ち着きましょう。(ぜえぜえ)
トーマス/クジエムスキー:知性、説明、分析、現実、自尊心、野心、劣等感、差別…
ヴァンダ/ドゥナーエフ:情熱、気まぐれ、感応、嘘、自信、平等、知識、混沌…
(きっともっといろいろある)
彼ら二つのベクトルに、SとMというもう二つのベクトルが加わり、混乱に拍車をかける。
将来を期待される劇作家トーマス、そのちょっぴり鼻持ちならない言葉や表情が、俳優たちや女性を一段見下していることを示す。
つまりスノッブ。しかもそれに気づかず、むしろ自分をフェミニストだとすら思っている。
劇作家としてのやる気と情熱は人一倍あるが、自分の才能にちょっぴり自信がない。だからこそ非凡に見られたい普通の男。
彼の前で自由奔放な振る舞いを見せるヴァンダは、彼にとってたかが無名女優の一人。侮っている。
だがひとたびドゥナーエフの台詞を語るやいなや、完全にその場に君臨する。完全な支配者となる。
まるでDNAに刷り込まれているかのようにドゥナーエフを完璧に演じておきながら、ヴァンダのこの舞台に対する解釈はトーマスのそれと真っ向から対立する。
対立し、拮抗し、説得し、ののしり合い、命令し、拒否し、一部認め合いながら相手を貶め、自分を晒し、それでも執着し、惹かれていく。



相手を知りたいという欲望は、容易に「相手に自分を知ってほしい、認めてほしい」という受け身の願望にとって変わる。
「生活といううすのろ」を契約条件として差し出さないとするならば、何が二人を繋ぐのか。絶対条件はどこにあるのか。
それが、舞台であり、SMであり、エロティシズムというものなのかも。
支配はいつも動じない側にあり、被支配はいつも迷う側にある。だが、被支配がなければ支配は生まれない。だから支配側はあれこれ手練手管を労する。被支配者が被支配の状態を受け入れるまで、翻弄し混乱させ、時には自身が支配される側のようなふりをし、どんな嘘をつこうとも誇り高い支配者は汚れない。
むしろ汚れることで被支配者を更なる深みへつき落としてみせる。そこに理由などないのかもしれない。ただの真理。
映画「es」は実際に行われた実験をもとにしている。被験者を「看守」と「囚人」に分けると、看守役はより看守らしく、囚人役はより囚人らしくなろうとする。
私たちが思っているよりも、役割というのは意識の中で重要な要素なのだと思う。

「私、ここに来たことがあったかしら」
本当の名前を知られることは「呪」となり人を呪縛する。ヴァンダはトーマスの名前を知っているが、ヴァンダの本当の名前は誰も知らない。本当の過去も、目的も、本当の気持ちも、謎のまま。
ヴァンダはトーマスの演出家、脚本家、ステイシーのフィアンセ、そして男、としての基盤を大きく揺るがし、ヴァンダ(ヴィーナス)にとってのトーマスの役割をこっぴどく叩き込む。
それでもトーマスはヴァンダをひたすら求めることになるのだろう。
芸術と美の女神、ヴィーナス、ミューズ、アメノウズメ、サラスヴァティ、アフロディーテ、弁財天…どんなに名前が変わろうと、一度でも至高の美に支配されてしまったアーティストたちは、必死に彼女たちを求めることになるのだろう。
それがどんなに危険な、命を削るような行為であっても抗えない。
なぜなら、偽りのショールを脱ぎ捨て、本物の毛皮を着たヴィーナスが自分に近づいてくる。女神の存在をトーマスは知ってしまったのだから。



それにしても、主演の二人が本当に素晴らしすぎた。
トーマスがヴァンダの衣装のジッパーを2回引き上げる。1回目はいやいやながら事務的に、2回目は彼女を封じるように。
トーマスがヴァンダの両足から靴を脱がせ、かわりにロングブーツを履かせる。片方は残ったひとかけらの礼儀に戸惑い、片方は欲望を込めるように。
ヴァンダがトーマスの頬を叩く。1回目は叩くふり、2回目は烙印を心に穿つかのように。
確かにそこにいてしゃべって動いているのに、稲垣の伸びた指や何かを語る視線、中越の引き締まったウェストと太股の神のごとき比率や、くるくる変わる2人の関係性に、こちらが「支配」されていた。
もっとあなた方を見せてください。
もっともっと声を聞かせてください。
もっと、支配してください。
間違いなく、私たちは舞台上のヴィーナスたちに、支配されていた。
幸せに、逃れることなど思いつかないほどに。







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