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ボランティア日記 #3

2013年12月28日~29日 福島県・双葉郡川内村
岩手県陸前高田市、宮城県七ヶ浜町に続き、時間は空いてしまいましたが川内村でのボランティアです。
岩手・宮城・福島だけでなく、市町村コンプリートですがな。
震災から時間が経っているので、人数は以前のように大型バス1台分とかではなく、ワゴンで2台。27日の朝から出発する別動隊と現地で合流です。
冬だし、とりあえず防寒具と、入れないかもしれないけどとりあえず入浴セット、自前の長靴を入れるとけっこう大きな荷物になった。



朝6時に起きて(スマショでもないのにw)集合場所に向かう。朝晩は東京といえどもなかなかの寒さよ。
年末年始の連休初日だから、高速道路がもう少し混むかと思ってたけどスイスイ。予定時間の前に集合場所のファミリーマートに到着しました。
そのファミマはJヴィレッジ(もともとJリーグの施設で震災後は福島原発のための事務所に使われている)の近くにあって、辺りにはそこしかコンビニがないため作業員たちが多く利用しているらしい。
Jヴィレッジの周りは工業団地にしたかったのかな?工場が少しあるぐらいで食べ物屋は少なく、いくつかの大きな家が広い敷地に建っていても人影がなかった。長期に留守にする家って、カーテンがひかれて洗濯物もなくどこか寂しいものだけど、そんな家しかない。記憶の中にこういう風景を探したが、今まで見たことはなかった。
行き交う車も少ないが、パトカー数台とすれ違う。北海道警のパトカーもあった。お疲れさまです。



ファミリーマートで昼食、夕食、次の日の朝食を買って、ホッカイロを腰とお腹に貼る。昼食はコンビニの駐車場で立ったまま食べた。
寒い。うーん雪国の寒さって感じ。
作業する諏訪神社はここより標高10メートルほど上がった場所らしい。
「駐車場に食べ物忘れてるの誰ですかー?」
あ た し だwwwwwww



1時間ほど走って最初の作業場所に着いた。コンビニのあった場所よりも明らかに寒い。通ってきた道路に設置されていた温度計は1℃を指していた。雪もちらついている。
長靴に履きかえて、神社の境内の落ち葉拾いをする。手は普通の軍手の上にゴム付きの軍手2枚履き。
それほど大きな境内でもないが、瞬く間にゴミの袋が減っていく。風があまり無いので動いていると温かくなってくる。気持ちがいい。
男性2人はご本尊の安置されている奥まったお堂周りの掃除。女人禁制だそうだ。ちょっと羨ましい。
片づいたところで中に招かれ、ストーブの上で熱くなった缶コーヒーをいただいた。缶しるこもあったので漆原教授を思い出す。
お堂の中には奉納された大きな絵馬や小ぶりの剣などが飾られていた。
ひときわ大きな絵馬があり、蛇が描かれているようなので由来を訊いてみると、片目の蛇は製鉄を示していて、ここ一帯は昔、製鉄が盛んだったらしい。こういう話は興味深い。
御神矢(破魔矢というのは日本最古の登録商標らしい)をいただいた。来年はいい年になりそうだ。



少し早いが、宿泊させていただく長福寺に入る。
大きな入浴施設は現在工事中なのでお風呂はなし。まあそれもいいよね。
長福寺は大きなお寺で、小さな山ひとつぶんぐらいはある。次の日はここの落ち葉を拾うのか(汗)今日割と楽だったから明日がんばろう、うむ。
大きなお堂の2階に2間の部屋があり、そこを使わせていただくことになった。石油ストーブや電気ポットも置いていただけてありがたい。が、申し訳ない。
実はこの部屋は昔、隠し部屋として使われていて、幕末の混乱期、つくばの殿様を匿ったそうだ。なんか由緒ありありなんですけども。そう思って見回すと、古いレコードとか書の入った額縁の近くに骨董品みたいな木の箱がいくつもある。たぶんこの信頼は、以前ボランティアで訪れた先人あってのものだろう。
ここで夕食の差し入れでお寿司が! そして大きなお鍋に豚汁も!
お寿司の差し入れは次の日の諏訪神社(今日行ったとことは別)のある地域の地区長さんから。豚汁はお寺さんから。他におこわとレンコンの煮物も。
お寿司が美味しくてしかも温かいものも食べられるなんて本当にありがたいですしおすし。
食事が終わると、テーブルには当然のように日本酒・焼酎・赤ワイン・ビールが並ぶ。
地酒うまーーーー!!
今日の諏訪神社の宮司さんとこのお寺の僧侶さんも加わって酒盛りなど。
僧侶さんは若くてあまり口数が多くないが、どことなく切れ者な風情。
宮司さんは豪快な親分肌で、若い頃はさぞブイブイだったろうと思われる。赤ワインをぐいぐいいってた。
宮司さんと、こちらのボランティアの中心になっているYさんが心から信頼を寄せあっている感じがとても良かった。
震災から時が経って、ボランティア精神も風化しがちな中、いろんな人のいろんな気持ちがあってこのボランティアが成立しているんだと感じた。
宮司さんがワインを飲みながら言った。
「テレビで絆、絆って盛んに言ってたでしょ。あんなの嘘っぱちですよ。政治家とマスコミが言ってるだけだ。福島はね、あちこちで心が分断されちまってるんですよ。だからね、東京からボランティアが来るっていってもどうかなあと思ってましたよ。ここらへんでは空き巣やなんかが増えていて、逮捕されるのは皆県外から来た奴だ。背中に入れ墨入れてるやつも多い。下心ばっかりだ。Yさんを紹介された時も正直、どうかなと。でもね、話してるうちに判った。この人いい人なんだ。皆さんも、私の話を聞いてくれてるし下心がない。だから、私らはまだまだ頑張らなきゃならないな」
私は宮司さんの隣にいてワインを注いだりしてたから見えたんだけど、最後のほうは涙ぐんでいらした。



夜、数人で外に出てみると、頭上には満天の星。
田んぼの真ん中を通るアスファルトの農道から見上げると、遠くの山にかかる星まで360度星空。
オリオン座や北斗七星はもちろん、天の川に浮かぶはくちょう座やすばるもクッキリと。
タブレット端末を持った人が星座を調べながら、皆で星空を楽しんだ。
首が痛くなったので農道に寝ころんでみたりして。夜中に車なんて通らないもんねー。
オリオン座のベテルギウスはもう爆発してるかもしれないんだよー、とか話しながら帰る。
人間から「綺麗だねー」とか言われたいわけじゃないのに、決定的に綺麗だよね満天の星空って。



次の日は朝早いので、皆早々に横になった。
がっ、
ささささむいいぃぃぃぃ~~~><。
下が何もないお寺の本堂だからしんしんと冷える。割と厚めの寝袋を貸してもらったんだけどそれでも寒い!おまけにさっきまで飲んでた日本酒のせいで?トイレに行くこと2回。出入り口近くにいた人、申し訳ない。
たまらずにダウンを着たら上半身はほんのり温かくなったものの足先が凍りそう!うつらうつらしながら朝を迎えた感じ。起きて訊いてみると、けっこう皆そんな感じだったけど、冬山用寝袋を持参してきた人は「夜中に熱くなって1枚脱いだ」とか。冬山用すげーーーー!
ふと気づくと、私だけ寝袋の頭方向と足方向を逆に使っており(普通足下はジッパーで閉じてる)、そりゃあ寒いよ。酔っぱらってたんだな、うん。



朝6時起床、買っておいた朝食を食べて部屋の清掃。
なんと!窓の障子を開けるとガラス窓とかなくて外だったよ!なんて風流!じゃなくて、寒いのも納得だよ!
下に荷物を下ろして7時過ぎから落ち葉清掃。
人が上ってくる階段付きの参道と、車が上ってくる幅広の参道と、けっこうな面積。
働かせていただきますよ、ええ。一宿一飯の恩義でもありますしおすし。
竹ぼうきも貸していただいて、昨日の神社より更に多くのゴミ袋が消えていく。しばらくすると二の腕と太股がじんわり痛くなってきた。
ここの僧侶さんが昨夜言っていた。
前は檀家さんのほうから「させてください」と言ってやっていただいてた落ち葉清掃が、最近ではこちらからお願いしていた。本来の寺と檀家の関係が変わってしまったのは、こちらが既存の関係に甘えて、関係を深めることを怠っていたせいではないか。そんなことを考えていた時に東京からのボランティアの話があって、やはりこちらからも繋がる努力をするべきだと思った。というようなことを。
下心がないって昨夜宮司さんが言ってたけど、私にはちょっぴりある。申し訳ないけど。どんなにGJだったとしても日常で感謝されることが私にはないから、感謝されたくてボランティアしている。お金も物もいらないんだけど、温かい気持ちがほしい。
たぶん、ボランティアする側も受け入れる側も、基本は気持ちなんだと思う。Win-Winの関係。



午前中に終わって、僧侶さんご家族にお礼を言って次の神社へ。昨日の諏訪神社と同じ系列?らしい。
更に山の中に入っていくので、ここより寒いとか。どんだけですか(がくぶる)。
車を走らせていくと、車道脇に雪が溶けないで残っている地域に来た。
蛇行した道を上っていくと神社の境内に達したけど、地面凍ってるとこありますよぅ><
ここの境内はそんなに広くないし、落ち葉は脇の崖に落とせばいいということなので寒さ以外はどうにでもなりそう。
車内で昼食をとって作業にとりかかったけど、なんということでしょう、高所恐怖症なため崖が怖くてやっとの思いです(笑)。すごいへっぴり腰で作業してました。
氷をなんとか割って下の落ち葉も撤去し、途中で管理されてる近所の方たちがいらして、年始の準備を兼ねて神社の中に入れていただきました。
中は綺麗な天井があり、木の床はほんのり温かくて気持ちいい。外の日ざしがあたっている場所は更に温かい。そこで一緒にボランティア参加している女性たちと話していたら、地元の人が白い液体を入れたペットボトルを持ってきてくれた。
それは地酒のどぶろくで、まだ米のつぶつぶが残り、麹の甘みもほのかに感じるものでした。本当に美味しい。アルコール度数が高いので、喉から胸にかけてカッと熱くなりました。



作業が終わると、その地区の公民館で一休みさせていただけました。
新しくてまだ木の匂いがするその建物は完全にバリアフリー。何本もの太い松の梁が見事で、天窓からの光が明るく、広い炊事場もありました。一つの部屋に「検査室」という張り紙のある以外は、心地いい公民館です。
食べ物の放射線量を計る機械がその部屋にあり、この土地で穫れた作物はここで調べられるそうです。他と何も変わらない山の風景のように見えて、ここは福島なのだと思いました。
昨夜お寿司を差し入れてくださった地区長さんが、温かい飲み物を差し入れてくださいました。
柔和で口調も柔らかいおじいさんでしたが、現状についての話の内容は生々しいものでした。
震災の日、ここはあまり被害がなかったが、一週間ほどすると避難区域になった場所から多くのやせ細った犬や猫が出てきて、ずっと道の向こうからふらふらと歩いてくる。全部は保護できないから道にキャットフードやおにぎりなんかを置いていたんだが、その犬や猫の様子を思い出すと今でも涙が出てくる。
ずっと淡々と静かに話す地区長さんだったが、一度だけ、口調が強くなった時があった。
若い人たちが遠くに避難したまま帰ってこないという話にも、ボランティアの1人が「働き口もなかなかないでしょうしね」というようなことを言った時だ。
違う。それは絶対違う。それはただの口実だ。我々はずっと昔から自然と一緒に暮らしてきた。自然を守って守られながら一緒に何代も何代も暮らしてきた。今回の原発災害は、我々が自然を裏切り、自然が我々を裏切ったということだ。周りの豊かな自然に育まれて生活してきた我々には、この同じ景色に傷つけられるなんて可能性は全く考えられないことだった。だから、信じられなくなった若者たちはなかなか帰ってこない。帰ってこれないんだと思う。
そんなような内容を地区長さんが語る後ろで、村の男たちがその分厚い掌で注連縄飾りを編んでいた。
ここまでの地方ではないけれど、東北で生まれ育った私にはその感覚が判る気がする。
山の冬は厳しいが、春には豊かな恵みを約束されている。緑は萌えて花が開く。その春に向かうさまは毎日濃くなる空気の匂いでも感じられ、圧倒的な理(ことわり)がこの世にあると思い知らされる。
その理が壊れた時、人間に何ができるのか。
線量が下がり、いち早く帰村宣言をした川内村でさえ、暗中模索しているのだと感じた。それでも、住んで生きている人たちは黙々と除洗作業に携わり、作物を作り、放射線量を調べながら暮らしていくのだろう。そこには東京に住んでいる私たちのようなせっかちさはない。
このよく判らない敵と、死ぬまでせいいっぱい闘おうと覚悟している。



お礼を言って帰路についた。
途中、何度か話題にのぼった富岡町を通ってみることになった。
徐々に空が薄暗くなっていく中、そこは完全にゴーストタウンだった。夕焼けをバックに、暗い窓と無人の町がずっと続く。そこには生活が無くなっていた。廃墟になろうとする時間と闘っている町に見えた。
地震で壊れたのか空き巣に入られたのか、ガラスが壊れている家、傾いたままのブロック塀、破壊された自動販売機などが過ぎていく。信号機だけが愚直に点灯している。途中、パトカーと消防車の見回りとすれ違った。
道の突き当たりに富岡駅の跡があった。柱と屋根だけになった駅も、津波に揉まれて壊れた車も、あの日のままで放置されていた。駅の向こうに凪いだ海が青く広がって、海上保安庁のだろうか白い船が浮かんでいた。
ここは、地震と津波と放射能に襲われた町だ。
立入禁止のロープの下にプランターが置いてあり、小さな花が咲いていた。傍にジョウロがあった。
『プランターの表面が乾いたら、花にお水を与えてください。このお水は汚染されていない安全な水です。ありがとうございました。(その下に英語で同じ文面)』
プランターの土は、しっとりしていた。
少し歩くと黒く小さな慰霊碑があり、たくさんの花が供えられていた。
その横に柵に囲まれた空間線量計が建っていた。0.413マイクロシーベルト。
なんか疲れがどっと出た。
東京に戻っても、あの場所とこの場所は続いているのだということを忘れないでいようと思った。



帰り道、若田さんが乗った国際宇宙ステーションが山並みに沈んでいくのが見えた。



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