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「太陽2068」2014年8月2日(昼)シアターコクーン

日本経済新聞の舞台レビュー
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO74573090S4A720C1BE0P01/


出演・綾野剛、演出・蜷川幸雄、と聞き興味を持ったが、知るのが遅れてチケットは売り切れ。
ですよねー。
藤原新也氏原作の映画「渋谷」で綾野剛を知り、その映画ではどちらかといえば線が細く、共演者の佐津川愛美に押されてた感じもあったのだが、それがかえって彼のナイーヴさを際立たせているようで、興味を持った。
それからの活躍はまさに目を見張るようで、大河ドラマで松平容保を演じると知った時など本当に嬉しかったし、バラエティでの不思議くんぶり(駅伝の話をしながら泣いちゃうとか)もますます興味に拍車をかけた。
好きなのか?
といわれれば「よくわからない」。ただ、目が吸い寄せられてしまう。

今回の舞台はそんな彼を生で観れる。内容も面白そうだった。幸い、立ち見席がとれた。
そうすると、今度は劇作家の前川知大という人が気になる。
イキウメという劇団の主宰らしい。おっ、ちょうど再演してるじゃないか。
「関数ドミノ」を観た。なんかすごかった。
良い人とか悪い人とか外から判断するんじゃなくて、演者ひとりひとりが自主的に選んで台詞をしゃべっているような、迫りくる存在感があった。
これかなり期待しちゃう!


バイオテロによるウイルス感染から生き延びた人々は、老化せず病気にならず力も強くなった。ノクスと呼ばれる彼らは、太陽の下で生きることができない。また感情の起伏が少なく、出生率は極端に低くなった。夜だけがノクスの生活圏だが、明晰な頭脳で政治経済を司っている彼らはそんな生活を効率よく謳歌している。今のところは。
一方、ウイルス感染しなかった「古い」人間はキュリオと呼ばれる。彼らは貧しい村に住み、頭が堅くコンプレックスの塊だ。迷信や欲望に左右され、刻々と老化していく。
2種類の人間たちの間に立つノクスの門番・森繁(成宮)と、ノクスに憧れるキュリオの鉄彦(綾野)が出会い、友情を深めあうが、様々な価値観が彼らを翻弄する。


舞台が二層構造なのがまず驚いた。
通常のコクーンの舞台の高さが透明なアクリルの床。
その下にもう一つの低い舞台がある。打ちっ放しのコンクリートの床が見えている。
だから、下層は1階の客席からは少し見えにくいんじゃないかと思った。中2階立ち見席からは下層の様子もよく見えた。
下層は青い光で柱やテーブル、椅子に縁取りがしてある。無機質で理知的なノクスの世界が展開していた。
上層の透明な床が一部開いて、階段がセットされると行き来ができる仕掛け。その出入り口に門番がいる。ノクスとキュリオの世界が視覚的にとてもわかりやすい。
しかも、舞台だけではなくて客席の通路も駆け回る。鉄彦と森繁の若々しさや、下層に閉じこめられたノクスの世界と広大なキュリオの世界の対比も表現されていた。
蜷川さん、さすがっすね!!

キュリオ・鉄彦役の綾野剛さんは、テレビドラマで見られる清冽さや知的さよりも、「渋谷」で初めて観た時のバネのような若さと苛立ち、不器用な優しさとたくましさがあった。
もしかしたら、好きかもしれない。(遅い)
ただ、大声が少し不安定で通らなかったのが残念。
ノクス・森繁役の成宮さんは、綾野さんと違って安定の塊というか。もう何も心配ない。森繁がそういう役だったからかな?
「相棒」の時もそうだけど、安定すぎるほどの安定というか。役に対して迷ったり模索したり一切しないんだろうかこの人は。いや、これは単に甲斐くんと神戸くんを比べてるからかもしれないけど(笑)。
元AKB48の前田敦子さんは、キュリオの村で唯一の若い女性。村とノクスを嫌悪しながら、四国にあるというキュリオの街に憧れている。儚い夢だけを胸に現実を生き抜こうとする姿は、危なっかしくて純粋で、時折震える独特の声音が胸に沁みた。
思っていたより舞台向きかもしれないと思った。存在に透明感がある。ただ、キュリオの時とノクスになってからの演技のメリハリはもう少し欲しかったかも。

他に私が気になったのは、克哉役の横田栄司さん。線が太くて危険な男、秩序を乱しまくる犯罪者。彼の欲望によって、それまで見て見ぬふりをしてきた村の問題や、ノクスとの危うい関係が浮き彫りになる。彼によって森繁が窮地に追い込まれるとことか憎らしくて憎らしくて。動く度に圧力を持った悪意が客席に押し寄せる。
ノクスの夫婦役だった山崎一さん、伊藤蘭さんの合理的で非人間的な「鈍さ」。それでも美しい恐ろしさ。
キュリオ代表みたいな粗野な草一(六平直政さん)と、ノクスで訪問医の金田(大石継太さん)の関係で、世界の真実が語られる。鉄彦と森繁と同じく、キュリオとノクスではあるけれど、こちらの2人は世界を知りすぎ、歳をとりすぎた。諦めを共有しながら、ノクス(キュリオにはまだ出生率という希望がある)の終焉を見届ける2人になるのだろうか。

前川さんの作品はこの舞台と「関数ドミノ」しか観たことはないが、他人を羨み他人と比較する自分の弱さ、自分を監視する自我という鎖から逃れようとあがき、解き放たれるのかそのままなのか…君(観客)はそこからどうする?という直接的な質問に、どちらの作品も繋がっていってる気がした。
面白い。
多少なりと経験をして、とっくに落ち着いたと思っていた私の心をザワつかせる舞台は大好きだ。
前川知大さんの作品についてはこれからも注目したい。
プラス、蜷川さんの演出がスケール感をとんでもなくアップさせていた。
ラスト、鉄彦と森繁が外の世界を旅すると決め、スパニッシュギターにのせた「ホテルカリフォルニア」をBGMに、客席通路を駆け回る。もう一度舞台に飛び乗ると、舞台の奥、搬入口が天井まで開け放たれていて、2人はその向こうのコクーン駐車場に飛び出していく。
なんてすがすがしく力強いラストなんだろう。
それまでのどうしようもなく暗い閉塞感が、一気に解かれた瞬間だった。驚きと解放感で鳥肌がたった。

「きれいはきたない きたないはきれい」(マザーグースだったか)
知的で清潔で若々しいノクスの体には、毒の血が流れている。彼らは人間なのか、人間でないのか。人間を決定づける要素は何なのか。
なんてことをつらつら考えながら観ていたが、細かいことはどうでもよくなった。
このラストがあれば完璧だ。
素晴らしい舞台だった。

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