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2015.10「No.9-不滅の旋律-」at 赤坂ACTシアター

自発的にチケットを買って行った初めてのコンサートはクラシックだった。
地方には本格的なクラシックオーケストラなんて来ないから、県庁所在地まで電車(汽車だったかも?)で片道1時間以上かかった。中学時代、放課後の掃除をぶっちぎり、友人と2人、終電覚悟で臨んだ小澤征爾指揮のクラシックコンサート。
写真でしか観たことがなかった有名指揮者は、写真のように頭がボサボサだった。「世界的な人」が目の前で動いていることが嬉しかった。
曲はなんだったか忘れた。交響曲だったと思う。ベートーヴェンだったかもしれない。気持ちよくて途中で少しまどろんだ。
有名なフレーズが始まって目を開けると、なんかすごい光景があった。
指揮者が体全体を揺らしていて、まるでその体と指先から何層もの音が出てくるクラシック機関みたいだった。楽器の音をまとめあげ、完璧に支配して昇華させていく指揮者の姿をこの目で見て、激しく興奮した。

数十年後、同じ光景と興奮を、ひとつの舞台から受け取るとは思わなかった。

ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。音楽で、社会と軍隊、自らの運命と闘い続けた男。
耳の悪い音楽家。有名な交響曲やピアノソナタを何曲も作った人。学校の音楽室に赤いマフラーを巻いた絵が飾ってある気難しそうな人。
ベートーヴェンと家族の関係とか、耳が不自由なことでコンプレックスがあったんじゃないか、なんて考えたこともなかった。
音楽室の平面から突然三次元になって、魂を持った人間が目の前に現れたら誰だっておののく。

中島かずき氏の脚本だから、もっとエンターテインメントになるのかと思っていたら違った。ミュージカルでなく、奇をてらわず、割とオーソドックスにベートーヴェンの生涯を描いている。
私は正直、言葉で頭脳を揺さぶられる脚本のほうが好きだから、もっと翻弄されたい欲求はある(今のところ脚本はVIFが最強。当社比)。ただ、実在の人物を描く時にあまり冒険はしないだろうし、この舞台に関しては当時の社会情勢と絡んで積み上げていくような言葉と感情表現がハマっていた。

ほとんどがシリアスなストーリィの中、メルツェル(メトロノーム発明者)役の片桐仁さんがすごい。ベートーヴェンの醸し出す緊張感に巻き込まれることなく、確実に笑いをとっていく。変な髪型、補聴器、コーヒー豆、いろいろ頼まれる人、ベートーヴェンと対等にケンツクする人。
ベートーヴェンが支配する長丁場の舞台で、彼が話しだすと正しいリズムに戻る気がした。強いベートーヴェンに巻き込まれない、まさにメトロノーム男。

ヒロイン・マリア役は大島優子さん。AKB48の中で一番好きだった。最初に彼女を知ったのは映画「渋谷」。インディペンデントな映画で脇役だったけれど、やけに印象的な家出娘役だったのを覚えている。その後、AKBの人だというのを知った。
最初彼女の声を聞いた時は少しうわずっているように聞こえた。言葉はきちんと出ていて、とにかく台詞を話すだけでせいいっぱいということはなかった。演じながらマリアを掴もうとしてまだちょっとうまくいかないというか、自分の理解しているマリアを出そうとして方法が少しずれている感じ。
初舞台だからだろうとは予想していたが、そこからの彼女の理解力が素晴らしかった。
マリアの役は1幕と2幕の声音が全く違う。それは女性としての成長でもあるのだが、ベートーヴェンに近づいている証拠でもある。
ラスト近く、マリアの鼓動を触媒としてベートーヴェンの苦悩を光に導くとても大事なシーンがあるが、その台詞がスケジュール初めのほうでは少し速く、息継ぎも曖昧で、大丈夫なのかと少し不安になった。
けれど、その後、千秋楽に向けてそのシーンはどんどん良くなっていった。
白井さんの指導が入ったのかもしれないが、彼女の理解力の賜物だと私は思う。
小柄な体で存在感があった。これからも舞台の上での彼女を見てみたい。

ベートーヴェン家の三兄弟。弟のカスパールとニコラウス。
ベートーヴェンお兄ちゃんも含めて、クラシカルなスーツやマントがよく似合う、スタイルが抜群な三兄弟だった。
今回の舞台は19世紀初頭のヨーロッパ。裾の長いジャケット、袖のないマント、ハイウエストのドレス…どれもこれもクラシカルで上品で豪奢な衣装が素敵だった。
それを着こなす役者さんたちも。
弟たちを演じる加藤和樹さんとJONTEさんも素晴らしいスタイルなのに、それを上回る稲垣さんの胸板と脚の細さときたら、それはもう華麗で(BGM歓喜の歌)。
ベートーヴェンの放つ絶対的な熱量があまりにも大きくて、2人の弟たちは霞んでしまいそうでしたが、大丈夫。近所の人たちは、弟たちのほうが大好きだったはずだから!「お兄さんのほうは、作る音楽は素晴らしいんだけど、ちょっとお付き合いするのは…ねえ」とか言われてたはずだから!
足下はよく見えなかったのですが、ベートーヴェンは3足ぐらい履きかえていた気がします。

ベートーヴェンの恋人・ヨゼフィーネ役は高岡早紀さん。色気があるのは知ってるが、どのぐらいだだ漏れなのか。これは確認しなければ!
結論:ベートーヴェンとヨゼフィーネの色気は拮抗! 油断ならない一流の技と技の様相に、ピンク色の濃厚な色気が客席まで飛んできた感。キスシーン何回あった? あまりにも自然でびっくりするわ!!
感じいりました。拝む。

ベートーヴェンの父親・ヨハン役は田山涼成さん。激しいコンプレックスの固まりで毒をまき散らし、ベートーヴェンの失聴の原因を作る。
有能な医者ステファン・ラヴィックとの2役は、姿勢、声音など本当に別人の演技なのだが、同じ顔をしていることでベートーヴェンと客席に混乱をもたらす。

ヴィクトル・ヴァン・ハスラー役は長谷川初範さん。最初に観た時は、この役の存在意義がよくわからなかった。初めのほうでちょっと出てきてベートーヴェンから委任状とお金を奪う詐欺師。また終わりのほうで警察に追われつつちょっと出てきて終わり?
でも、フリッツとはまた違う角度から社会を眺め生き抜く目線が必要だったのかも。内に内に向かいがちなベートーヴェンとその周辺に、明るい彼が希望をもたらした。
ベートーヴェンは理解者である彼と話す時が一番楽しそうだった。ベートーヴェンの心から、思いもよらない晴れやかな気持ちを引き出してくれたのはハスラーだったのだろう。だから最後までベートーヴェンは彼を信じ、彼もその気持ちに応えた。

ナネッテ役のマイコさんは、少し声を低くした演技。硬質な職人としてのプライドを持つピアノ職人。ピアノへの愛が強すぎて、ベートーヴェンからの求愛を厳しくはねつける。ベートーヴェンレベルの厳しい職業意識を持っているからこそ、彼に女として見られるのを嫌がり、周りにそう見られるのも拒否する。
ナネッテの夫・アンドレアス役は山中崇さん。ピアノ職人としてはヘボだが入れる紅茶は美味しい。典型的な髪結いの亭主。自分よりも周りの人を優先させる彼だからこそ、マリアが自分を捨てて、音楽しか愛せないベートーヴェンを愛し、その支えになることを示唆できる。
「一番不幸なのは、その運命に目をつぶっていることだよ」
新しい運命への道を義妹に指し示す彼は、実はこの舞台の中で一番優しくとても強い。

フリッツ役の深水さん
TENGAさんから花が届いててワロタwww「みんなエスパーだよ」繋がりね。いい体してました。理想的な軍人体型というか、しかも背が高いからマントを着た時の威圧感がたまらなくいい。フリッツは体制を具現化させてる警察官の役だから、いかつい服が似合わないと話にならない。
観劇1回目のラストで彼が、ベートーヴェンが最初に「第九プロトタイプ」を披露した酒場のことを話した。あのシーンで確かにステージ隅にフリッツいたけど、どんな様子か見てなかったよ!と思って、2回目注意して彼を見るようにしてたら台詞の意味を理解した。
あそこはフリッツにももう少し強い光当ててたほうがいいのかも。なんて素人考えです、すみません。

青年のカールと少年のカール
後に自殺未遂を起こす、ベートーヴェンの甥っ子。倒されたり振り回されたりするけっこうきつい役を、よくこなしたね少年&青年!
青年カールのラストの「はい」は千秋楽が一番良かった。伯父をやっと理解したって感じ。

ヨハンナ役の広澤さん
カスパールの妻、カールの母。ベートーヴェンから嫌われて言われ放題の普通の女性。ベートーヴェンに関わってしまったばかりに、カールと共に運命を狂わされた人。
最初のほうでマリアの前に追い出されるメイド役も演じてたよね。声が伸びやかだし、フリッツとは一瞬なんだけど勘のいいやりとりだなと思ったら、やはり2幕で大事な役が。


頑固で偏屈で自分勝手、しかも音楽の才能だけは人一倍持っている音楽家・ベートーヴェンを中心に、多くの個性的な登場人物が関わっていくストーリイなので、脚本はそれを描くだけで3時間でも手いっぱいという感じだった(ベートーヴェンを探して追いかけるシーンが2度続くのはドタバタが過ぎるのでは?)。脚本の冴えではなく、人物の強さがストーリイを引っ張っていた気がする。
この舞台で際だっていたのは白井晃氏の演出だと思う。
壁1枚、マント1着、通行人たちが歩く方向、音楽などで表される場面転換、そっとピアノの角度を変えて去っていく通行人カップル、エキストラ(という名の合唱団)が楽譜を1枚残らず拾うことで次の場面にスムーズに繋げる。など、大道具も人も利用できるものは利用する。
大劇場だからこそ際だつ奥深くまで使ったステージ構成と、両脇に鎮座したピアノ3台生演奏の迫力ときたら! ピアニストの方々は演出通りに確実な音を奏でなければならないから、かなりの緊張感があったんじゃないかと推測する。
映画の説得力が映像にあるとすれば、舞台の説得力は演出にあるのを強く感じた。
どの角度、どのシーンも一瞬一瞬がすべて絵画のようだった。

今回は3回観劇することができた。2回目は2階席の一番前だったので、演出がよく見え、音のバランスも良かった。とにかく大きな舞台の手前から奥まで使っているから、印象的な照明や演出効果を全て知ろうと思ったら最適な席だと思う。
男性のマントや、女性のドレスの裾が丸く広がるのがとても美しい。中でも一番きれいに広がっていたのがベートーヴェンで、これは2階席からしか見えない。お得。
上から見ると、舞台のすべてがベートーヴェンの頭の中という気がする。最初のシーンが無音なのは彼が難聴であること、無表情なエキストラたちの拍手がスローモーションなのは彼がその演奏に満足していないことの現れだ。

幕は上がっている。真っ暗な舞台の上には左右にピアノが計3台。それぞれにピアニストが配置されている。
大きな中央の空間にもピアノ、ソファ。奥は暗すぎて何も見えない。
と、男が弱い光に浮かび上がる。
まさか板付きだったとは。いつからそこにいたのか、音も光も最初はぼんやりとしてはっきりと輪郭が掴めない。
徐々にピントが合っていく。
いつの間にか背景に現れた人々が拍手をしている。スローモーションの動きで。
この演出は普通じゃない。
舞台の奥から前に男が歩いてきた。
(誰だ?)
よく見たら稲垣吾郎なのだが、その纏っている雰囲気が彼ではない。顔にさす光で、魔物のような強いコントラストが形づくられている。
よく似た別人がそこに立っていた。
ベートーヴェンだ。
最初の冷や汗が流れた(気がした)。
登場シーンからとにかくそこにいるのは稲垣吾郎ではなくて、異様に底光りする眼、歪んだ人間が霧の中からぬっと姿を現したように見えて、ゾッとした。何が始まるのか、期待と不安が交差する。
真っ暗な頭の中の、揺るがない核。
私はベートーヴェン個人について何も知らなかった、と、後悔を一瞬感じる。

やがてその歪んだ傲慢さは父親の影によるものだとわかる。父親からの心身への暴力にも関わらず自分(の意志)を認めてほしくて反抗しながら自己主張し、それをことごとく潰されてきた幼いベートーヴェン。
自分がまだ何者でもないうちに、大人から「お前は何もつかめない」と言われることがどれだけの呪いになるか。
おそらく父親も宮廷音楽家の夢破れ、子供を自分より大きな存在にしたくないから、自分のコンプレックスと卑劣さから目を反らし続けたんだろうけど、やられるほうはたまったもんじゃない。
それでも彼が弟たちと口喧嘩したりわがままを言いながら、なんとか社会の一員として生活し恋愛している様子は微笑ましかった。多少面倒くさくはあるが、ただ自分の感情にも意志にも嘘をつかない男として見れた。
恋人ヨゼフィーネとは何度もなかなか濃厚なキスを交わしてたし、やるなベートーヴェン、ヒューヒューだよ! 癇癪ルードヴィヒがまた可愛らしく楽しくてな。1幕までの話だけど。
同じ成り上がり者としてナポレオンに親近感を持ち、「英雄」を作るほどだったベートーヴェンだが、フランス軍がウィーンを占拠するとヨーロッパは一気に不穏になる。
1幕終わりで「第九プロトタイプ」を披露したベートーヴェンは、フランス軍兵士を合唱に巻き込むことで勝利に酔いしれるが、舞台の端にはフリッツがいる。その圧倒された表情が、私の気持ちと重なった。
音楽の力で屈服させたエネルギーは、近い将来、思いもよらない角度でベートーヴェンを襲うのではないか。

2幕に入ると、ベートーヴェンの耳は更に不調となり、周りの人間関係も崩れていく。
軽やかで、ベートーヴェンの影響など意に介してないようなインチキ臭いメルツェルさえも、荒れ狂うベートーヴェンと社会風景に巻き込まれていく。
音楽は変わらないが、政治は変わる。
メルツェルとラヴィックは、ベートーヴェンのカリスマ性からある程度無関係でいられる人たちだ。
発明という武器を持ったメルツェル、医師として(かつ父親のトラウマを引き出す幻影として)ベートーヴェンより上の立場になれるラヴィック、それぞれが社会背景について語ることで、ヨーロッパ情勢がベートーヴェンの置かれている立場、ひいては思考の道すじにどんな影響を与えているのかがわかる。

マリア、ヨゼフィーネ、ナネッテという個性の強い女性たちも印象的だった。
ヨゼフィーネとベートーヴェンのシーンはひたすら甘く愛情溢れ、彼を愛する女性としてヨゼフィーネの洞察力・理解力は際だっている。気高く色っぽく、生き残るための狡さとプライドを隠す賢さを恥としない。
ベートーヴェンを振り回しっぱなしで、借金を申し込んできたシーンではマリアと同じ「あのヨゼフィーネ!?」と叫びたくなった(笑)。それでも彼女は美しく、消滅していく貴族の大輪の華のように、どこか悲しげだ。

ヨゼフィーネが華だとしたら、ナネッテは樹木だろうか。ピアノを作る彼女は、いつしかその材料に似てきたのかもしれない。一人で努力し、技術を磨き上げ、自己を決して手放さない。
すげなくベートーヴェンを振るけれど、逆に彼女は傷ついていた。彼の理解者として、彼の音楽を実現できる者として、一番近くにいると思っていたから。本当はベートーヴェンをヨゼフィーネとは別のやり方で愛していたような気もする。けれどそれ以上に、性別でなく実力という太い根で彼の傍に立っているのだというプライドが傷ついた。
彼女はピアノ職人としての意識が強すぎて、周りにいる人が自分を支えていることに気づいていないのかもしれない(そこもベートーヴェンに似ている)。
それでも、ベートーヴェンの楽曲と同じく、その生命を終えてもシュタイン製ピアノは後世まで残っていく。

この舞台では、ベートーヴェンの生涯と社会がダイナミックに絡み合う時に交響曲が使われているが、その心情を描く時はピアノソナタ『月光』や『悲愴』が効果的に使われている。
ナネッテの妹のマリア、ベートーヴェンの母親と同じ名を持つ彼女は、1幕と2幕で最も成長を見せる人物だ。1幕で少女らしい無鉄砲さと好奇心でためらわずに行動する彼女は2幕にいない。
わがままで傲慢な彼を正面から理解しようとしてハネつけられ、やり方を変えて代理人になることでやっと受け入れられる。
2幕では2人のやり取りがほぼ筆談(を読む台詞)で進んでいくが、スケジュール帳としての手帳、筆談するための手帳を持つことで彼女はやっと彼の傍に立つことができる。時にベートーヴェンの喉元に突きつけられる手帳は、どうしようもなく離れられない彼女の苛烈な思いのようだ。

諦めを含み、自我を飲みこみ、ベートーヴェンの代理人として生きると決意するシーンは特に印象的だった。
ガウン姿に赤いマフラーを巻いてペンを持ち、こちらを睨みつけているベートーヴェン、あの音楽室の絵と同じ格好をした彼が、マリアにも拒絶された(自業自得)ことで癇癪を爆発させる。
テーブルや椅子、あらゆる身の回りの物を投げつけて壊すいきおいの暴れるシーンが見る度に長く激しくなっていて、その直前の台詞「みんないなくなる。それでいい」からずっとどうしようもなく苦しいままそれを見ていた。今でもその台詞の声音と光景を思い出して心が締め付けられそうになる。
ベートーヴェンはたぶん、自分の頭の中の音楽を通してしか社会や人々と交流する術を知らない。彼はまるで溺れた人間が空気を求めるように、切実に楽譜を求めていた。
戻ってきたマリアが差し出した譜面が、闇の中の彼にとって小さな光だったように、私にとっても救いに感じた。
ヨゼフィーネも立てなかった場所、隣に立って同じ方向を向く役割をやっとマリアは手にすることになる。恋人の甘やかな直感ではなく、音を作る同士として対等なのでもなく、理解できないベートーヴェンの傍に立ち続けるというのは、荒れ狂う闇の穴をその縁から覗き続けるようなものだと思う。しかもその穴は才能に溢れやけに魅力的なのだ。

もうひとつ、ベートーヴェンがマリアに素直な心情を吐露したシーンがある。
客を陶酔させるだけの駄作『ウェリントンの勝利』の演奏会を何度も企画したのに金払いの悪いメルツェルへの不信感、ヨゼフィーネからの借金申し込みと、面倒くさい人たちに疲れたベートーヴェンがマリアに言う。
「ピアノはいいな。弾けば必ず音がする。(中略)人間は難しいな」
この声音が寂しそうで、でも少しだけ面白がってもいるようで。ああこの人は激情を止められないだけで、自分なりの優しさもユーモアも持っている人なのだ(1幕での、弟たちの言うことをしぶしぶ聞くキュートなベートーヴェンを思い出す)。
周りの者を傷つけずにはいられないベートーヴェンが、他方では助けずにいられない理由のすべて。「私がルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンだからだ!」うわあ面倒くせえ。
マリアだけがその言葉を引き出し、そのまま受け入れる。代理人として。
理解できない相手と同じ方向を向くような、そんな愛もあるだろう。

やがて、ヨゼフィーネもナネッテも、弟たちも去り、引き取った甥とは心の距離が果てしなく遠い。
心を閉ざしたベートーヴェンの目はマリアの手元(筆談のメモ帳)しか見ていない。
思い通りにならない体に荒れるベートーヴェン。愛国という名の権力に目覚めたフリッツが彼の自己嫌悪に追い打ちをかけ、(成り行きとはいえ)超然と孤独でいるふうを保っていた自尊心を砕く。
小さなマリアが大きなベートーヴェンの感情の奔流を全て受け止められるはずもなく、ただ傍にいることしかできない。
彼を理解してしまったら、彼と同じく狂ってしまうから。大波が、浮かぶ小舟に助けを求めるような頼りない光景。

甥カールもベートーヴェンの大波に溺れそうになっている。
父と自分の歪んだ関係を、自分と甥がそのままなぞっているとは気づいていない。音楽という輝かしい自分の分身を、甥に転写させることが愛情だと信じている。
思い通りにならない者へ怒りを爆発させるベートーヴェンは、他者を自分に同化させようとすることでしか愛情を表現できない。
暴力の連鎖に唯一違う点は、マリアだ。ベートーヴェンは母の存在についてほとんど口にしていない。父親とこじれた原因のひとつとして紹介されているだけだ。
マリアはカールの扱いについてベートーヴェンに意見し、カールにとっては彼女の存在が唯一のより所となる。
が、マリアはベートーヴェンの悪い部分を知っていても、彼の作る音楽の素晴らしさがわかってしまうから、一生彼には勝てない。

甥っ子の自殺未遂が、唯一残っていたベートーヴェンの希望を打ち砕く。
他人の言葉に耳を貸さず、音楽で全てを屈服させてきた男、しかも人一倍家族や知人への思い(執着や呪縛といってもいい)が強いけれどプライドが高すぎて素直に出せない面倒くさい男は、自分自身の感情で自家中毒を起こしている。ここから少しずつシーンや台詞に矛盾が出て混乱が深まる。
2階席から見た時に、直感的にこのステージが「ベートーヴェンの頭の具現化」と感じたのは間違っていなかった。
ベートーヴェンが音を無くし、周りには闇しかなくなり、孤独の先で完全に一人になる。膝を折った絶望の中でさまようベートーヴェンの目はよどんでいて、いまにも意識や理性を手放しそうだ。(客席からはそこまで見えないのに、そう感じる。これが舞台俳優の凄みなんだと思う)
マリアだけが彼を抱きしめ、静かな鼓動が彼の耳に届く。これたぶん骨伝導! 抱きしめるだけでなく、頭をくっ付けないと伝わらない。孤独の代表みたいな宇宙飛行士同士が、ヘルメットをくっ付けて話すやつ!
だって最初から彼のところに人が訪れてたじゃないか。頭の中にノックしてたじゃないか。ベートーヴェンがどこかに出かけるシーンよりも、いろんな人がやって来るシーンのほうが多かった。彼は邪魔に思っていたかもしれないが、ずっと前から愛されていた。

主観の歪みから解かれ、正しく周りが見えるようになる。自分も相手も一人の人間であり、他人を同一視したり、強制したりするのは間違っている。
世界と繋がるために有効な方法は既に手の中にあった。とてつもなく効果的で美しい、音楽という手段が。
ここからのベートーヴェンの悟りは、まさしく「物に名前がある」と理解して「ウォーター」と初めて言葉にするヘレン・ケラーのようだった。もうこのベートーヴェンは唯一無二、稲垣吾郎にしかできない。違う人が演じれば、違うベートーヴェン、違う『No.9-不滅の旋律-』になるのだろう。
遠くから響いてくる民衆の歌声。
音楽によって苦悩し、音楽によって救われる。それもまた、音楽に愛されたベートーヴェンだからこそ、高らかに祝福されるのだ。
神は作曲をしない。強く求めた才能ある者だけが、音楽の神からの贈り物を受け取り、創造する。
冒頭の、無音の牢獄で迷い、ひねくれていたベートーヴェンが力強く生まれ変わる。自信に満ちて指揮する背中が、あの時の小澤征爾氏に重なった。
彼の頭の中だけで鳴っていたはずの音楽は、ベートーヴェンの体全体から迸り、楽器、演奏者、歌手、そして更に観客に広がる。
舞台上での拍手はそのままカーテンコールに繋がり、あなたは私、私はあなた。幸せなクラインの壷の中でいつまでも『交響曲第9番』が響きあって止まらない。
最高の演出に、最高の俳優たちに、最高の音楽に、最高の舞台に、空間が熱い祝福に包まれる。
この幸福感を何と呼べばいいのか。
人間が奏でる人生という名の交響曲がここにあった。

この曲が年末に演奏される訳がやっと分かった。
私の1年は、この曲にふさわしいものになっているか。納得できないものになっていないか。
ふさわしくてもふさわしくなくても、この1年をとにもかくにも生き抜いた祝福と、来年に向けた決意を。
心から大好きだ。ベートーヴェンも『第九』も。

苦悩を突き抜け歓喜に至れ。
まるでこの役が運命であったかのように、稲垣吾郎はベートーヴェンにしか見えなかった。カーテンコールの一瞬にしか、稲垣吾郎はいなかった。(前髪を触る仕草で、あ、今戻った、と分かる)
だから、この感想にも彼の演技についてあまり書けなくなってしまった。
完璧にベートーヴェンに支配されていた。
生きて、この舞台俳優に出会えて良かった。何度もそう思えることが嬉しい。


シナリオ単行本が出ています。
No.9不滅の旋律 (K.Nakashima Selection)

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