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佐野元春30周年ツアー・ファイナルレポ

佐野元春30周年アニバーサリーツアー・ファイナル“All Flowers In Time”TOKYO
3月13日→(延期)→6月19日 東京国際フォーラムホールA


(MC部分は、NEPPIEさんのブログより転載させていただきました。ありがとうございます^^)
http://www.neppie.com/blog/?p=4008


 


 


佐野元春さんがきっかけで始めたことがいくつかある。
東京に住むこと。
旅をすること。
インターネットに接続すること。
ラジオにリクエストハガキを出すこと。
文章を書いて友人に読んでもらうこと。→個人的なミニコミ誌を作ること。→自分のサイトを作ること。
スポークン・ワーズのイベントを開くこと。
様々なことに生き生きとした好奇心を持つこと。
クールであること。思考を続けること。疑問を持つこと。ユーモアを忘れないこと。そして時々「ウェヘヘーイ」となること。

佐野元春というキーワードに、いつも私の背が押されてきた。
良い悪いに関わらず、自分の意志や良心とはまた別の判断基準として「佐野さんの存在」があった。
佐野さんと彼の音楽がなければ、体験しなくても済んだであろう悲しみや矛盾や空虚感も、ある。
四六時中彼の音楽を聴いていたり彼のことを考えたりしていたわけではないけれど、私の人生の岐路にはいつも彼の音楽があった。それは間違いない。
これからもそうなんだろうか?

前置きが長くなってしまった。


今回のツアー最終日、佐野元春30周年アニバーサリーツアー「All Flowers In Time Final」は、私と佐野さんの今までの30年(厳密には28年?)を思い返して泣いたり笑ったりするのかな、とぼんやりと考えていた。
大阪と長野と横浜の友人たちと合流し、中でも大阪の友人とは10年ぶりの再会を喜びあった。
3月13日(佐野さんの誕生日)に予定されていたこのコンサートが、震災によって延期になると知った時はどうなることかと心配したけれど。
私にとっての佐野元春とは、彼の音楽や彼自身だけじゃなく、それによって出会ったすべての人や出来事や感情なんだと思う。

以下覚えてるところだけ。

HKBのテーマが始まると、一斉に観客が立ち上がる。もちろん私も。今回は友人ごんぞう氏のおかげでなんと9列目のチケットがとれた。嬉しいのう♪
ライブで会うのは久しぶりなのに、そんな気がしない。ソングライターズのおかげだろうか。「おかえりー」って言いたい気分。
「君をさがしている」、てっきりデビュー曲の「アンジェリーナ」から始まると予想してたのに、外れたーー。いつも予想通りにはいかないのが佐野さんのいいところ。

数曲後「トゥナイト」のあたりだったか、ちょっと佐野さんの声が出なくなった。ハラハラしたけど、歌い方を少し変えて対応した。
HKBとの実験の中には、歳とともに(?)昔のようには出にくくなった声をどうするか、という課題もあったように思う。試行錯誤の末に、彼は歌い方とアレンジを変えるという作戦に出た。
そして、見事に克服してみせた。実験と挑戦にもエンターテインメント性を忘れない彼のライブは、そんな小さなことを感じさせないほど楽しかったから。それでも、過去には途中で帰ってしまったりヤジったりするファンを実際に見たことがある。例外なく男性だった。
たぶん、女性が佐野さんに見ているのは「他者の理想形」なので、声がどうなろうがそれほど気にしない。楽しいんだもの。もちろん心配にはなるけどね。
男性ではそういかない人もいる。たぶん彼らが佐野さんに見ているのは「自己の理想形」だから。彼らは佐野さんという自己が、昔のように巧くいかないことに苛立ち、反発し、どうしようもなく怒りを感じていたんだろう。

でもそんなもろもろの感情は、今夜昇華されたはずだ。もちろん、今夜のライブに来ていれば、の話だが。
だって佐野さん天才だもの。自分と同一化してどうする、っていう話で。

「コンプリケイション・シェイクダウン」考えてみれば、この曲を佐野さんは28歳とかで作ったんだよね。しかも、日本で誰もこんな音楽やってない時に。
佐野元春の前に道はない。佐野元春の後に道はできる。(fromナマステ)
今までもそうだったし、これからもきっとそうだ。

佐野さんの曲を聴くと、心臓が跳ね上がって、初めて聴いた時と同じビートを刻み始める。
村上龍(彼も佐野さんファン)は、思春期に体に刻まれたビートがそれから聴く音楽を選ぶ基準になる、というようなことを言ってなかったかな。
そうとも限らないと思うけどww、確かに私の体は10代の時のようにずっと動いていた。止まらなかった。疲れなかった。頭も体もビートがいっぱい詰まっていた。

内側の共感。
外側の共震。

「欲望」でそんな予定調和を覆される。
なんだこれは。
久しぶりに聴いた「欲望」は、体の欲望だった。
焦がれて身をよじり、無様に泣いて叫んで欲しても決して手に届かない、暗い渇望。
それは過ぎた年月かもしれないし、自身の若さと健康かもしれないし、愛していた人や家族かもしれないし、夢かもしれない。
この曲で私は最初の涙を流したけれど、本当は涙だけじゃなくて号泣したかった。
できれば地べたをはいずり回って、埃や泥だらけになって、あたりを涙でぐしょぐしょにしながら叫びたかった。柄にもないけど。
欲望への強烈な衝動。誰かに救われたがっている自分の中の獣。
この30年で、あなたは何を見たのですか佐野さん、と問いかけたくなるほどの。

「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」のイントロ、ホーンセクションと力強いドラムで我に返る。
30年を振り返るなんていう生やさしいライブじゃないことに気づいた。
これから来る新しい世界の、痛みに溢れた、勇気と希望のセッションなのだ。佐野元春 and HOBO KING BANDと私たちとの。
それは切なく、とても新しい。
人生は続く。

「月と専制君主」
アルバム「カフェ・ボヘミア」に収録されていた曲。最新アルバムはこのタイトルを付けたアレンジ違いの曲たちが収録されている。
「ごめん、アルバムまだ買ってない」
「ええええーーーーーーっ!(3人から同時に非難ごうごう)」
「だって、今日ライブで買おうかと思ってたんだもん」
「ふざけんな、これを買わないなんて、買えっつったじゃん」と異口同音に怒られた;;でも結局物販コーナーが混んでて萎えたという事実。もうぼっこぼこ(笑)。
買うよ、絶対買いますとも!これ買わなかったらファンじゃないまじで。
佐野さんのソングライティング能力もだけど、アレンジ能力もほんと天才的。
以前よりも分厚くて大人の温かさが伝わってきました。
なんでこのアルバムがもっと評判にならないのかが不思議なぐらい。←持ってないくせに
分かってるんだけどね、カラオケで歌えないのと、Jポップとやらから逸脱してるからだって(笑)。

「レインガール」
先ほどの「欲望」が肉体的な痛みなら、この曲は精神的な憧れ。
恋い焦がれるパワーは同じぐらいあるのに、もっと健やかに晴れ渡っていて、手に入れることよりもその温かさを全身で楽しみたいような曲。
悲しい時も楽しい時も、大切な人がそこにいてくれることへの感謝と安らぎ。
更に、君と一緒に人生を生きていけることと、同じ日ざしを浴びていることへの大きな感謝。
アルバム「ザ・サークル」はこの2曲が入っているところが素晴らしかったが、今回のバージョンはアルバムという括りすらとっぱらって、日常の目線から大きな世界をかいまみせてくれる。
ステージ上に釣り下げられた2枚の長いドレープと豪華なシャンデリアが、会場をワルツのダンスフロアに変える。
最近の佐野さんのコンサートは、豪華なペルシャ絨毯1枚とか、こういうシンプルなステージがよく似合う。

「ヤングブラッズ」
またアレンジ違いきた!
HKBにはギタリストとして長田進さんが参加していますが、前のギタリスト佐橋佳幸さんがゲストでギターを弾いてくれました。なんて贅沢!
長田さんが入って、ちょっぴりハートランド風味も蘇った気がして個人的にはとっても嬉しいのですが、もちろん佐橋さんも素晴らしいなあ。音の質は違うのに、二人のセッションがピッタリ合っていて響きました。
そういうところも元春マジックなんだなあ。

「ロックンロール・ナイト」
佐野さんの曲が幅広いと思うのは、曲ごとに心の動く場所が違うこと。
思い返せばあの日も、その日も、実は今も、私の前には川が横たわっている。
もしかしたら、若い頃よりも深く幅の広い川になっているのかもしれない。
一つ一つ諦める度に、もの分かりよく納得する度に、時間を潰して忘れようとする度に、忙しいかったり準備不足を言い訳にする度に、川は深くなっていく。
どんどん、どんどん、心の一部が膨らんでいって、いつしか叫んでいた。
こんな大声を出したことも最近なかったなと思う。
ずっと声にならなかった叫びが、声帯ではなくもっと奥のほうを震わせていた。

「約束の橋」
川には橋が必要。
橋の向こうには佐野さんが必要。
私たちに必要なものは、ほんの少し。ただし、必須。
約束とまごころの意味を考えてみる。
おじさんおばさんこそ「今までの君は間違いじゃない」って言われたい、まじで。

「ヤング・フォーエバー」
佐野さんの音楽に出会った頃、佐野さんのラジオ番組を聴き始めた。
彼の言葉は、彼の音楽ほどスッとは入ってこなくて、最初は何を言っているのかさえさっぱり分からなかった。かろうじて日本語らしい、ぐらいの(笑)。
理解しようとしたら、いろんな鍵が必要だった。
ブルー・アイド・ソウル、ボリス・ヴィアン、エディ・コクラン、アレン・ギンズバーグ、ジャズ、スカ、ラップ、ビート、ウィルとホランド、etc…
現在の彼は、鍵なんて無くても扉開けっぱなしって感じ。ただし、その奥がどこまで広がっているのかは計り知れない。
今、あの時ほどの情熱を持っていろんな言葉や情報を大量に吸収できるかと問われれば、正直なかなか難しい。
若さというのは、若さに気づかないことなんだと思う。
少しくすんだような曲調が、とっても大人のロックンロールだった。
佐野さんのロックンロールは生きている。
佐野さんや私たちが世界から消え去っても、永遠にロックンロールは続くんだ。

「SOMEDAY」
「僕はときどき思うんです。どんなにいい曲を書いても、それをみなさんが見つけてくれなかったら、そんな曲はなんでもない。次にやる曲は80年代の前半に、半年かかって書きました。どうしても、曲の一番いいところに言葉が降りてこなくて。
実は2枚目のアルバム『Heart Beat』に入れようとしていたんだけど間に合わなくて、その次のシングルになりました。みなさんがこの曲を見つけてくれて、僕は心から嬉しく思います。やがてこの曲は、僕が書いた曲なんだけど、皆さんの曲になりました。
でも待って! やっぱり僕の曲だよ!(会場笑→大拍手)
もし知ってたら、一緒に歌ってください」
ぶはははははははは!!
なにこのかっこ可愛い55歳ってば♪
あーハグしたいwww
自分の気持ち次第で歌ったり歌わなかったり、手を上げたり上げなかったり、泣いたり笑ったりするこの曲ですが、今回はずっと歌ってました。笑ってました。「ロックンロール・ナイト」で涙枯れたからもしれません。
次回はどんな「SOMEDAY」が聴けるんだろう。
佐野さんもこの曲も変わらずに、変わり続ける自分を自覚する、かけがえのない名曲。
魂に刻まれた証拠がこの曲なんだと思う。

「悲しきレイディオ」
「昨日、東北のファンの方からメールが届きました。たぶん、この会場のどこかにいると思います。そこにはこう書いてあった。《今夜は楽しみたいです》。みんなそう思うだろ!?」
きたきたきたーーーーー!
予定調和だろうが永遠のワンパターンだろうが、どうでもいいんですよ。
「I love You」って言われたら「You love Me」って返すんですよ、決まってんじゃないですか。
オーケストラの交響曲のように、小三治師匠の落語のように、同じことやっても毎回新鮮なんですよ。
様々な交流が私を形作るように、コール&レスポンスが私たちと佐野さんを繋ぐんですよ。
佐野さんを通じて表現される、観念的な「良いもの」「ゆるがないまごころ」は、ライブで突然具体的になる。
大人だからこそ楽しい。大人だからこそ知的でエキサイティングな風に導かれる。
この上ないほど幸せな時間。

それはこんな感じ。
少しテンポを落として、もっと厚い音で想像ください。
悲しきレイディオ(1993年?)




「アンジェリーナ」
アンコールラストの曲。
それまで気づかなかったけど、私たち4人の隣が4席まるっと空いていたので中央方向に移動してみた。
もう大騒ぎさ!
でも途中で、この席の人たちってどうしたんだろう、いい席だし4席まるっといないなんておかしくない?と考え始めたら、もしかしてこの席をとった人たちは東北の人なんじゃないかとか想像してしまって、もうその場所にはいられなくなった。
一人、自分の席に戻る。
想像しすぎ。小っちぇな、私ww
でも、想像力は「祈り」を近づける。
私はかの地を想像してこれからも祈り続けよう。
311以降の全てのエンターテインメントは、決してその前には戻れないんだと思う。私の気持ちも同様に。

これからどこへ行こう、これから何をしよう。

最後に、佐野さんはこう言いました。

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