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●#11(2001.9.16)● Imagine

「攻撃の開始はそのまま判断の停止でもある。」
ある作家がそう言った。わたしはその言葉に全面的に同意する。
公私を問わず、攻撃はひとつの結論であり、押し付けだ。結論の決まっている者同士の話し合いが論争のための論争であり、はなから認め合うことなどありえないように、そこにはただ、The Endしかない。
物事の一面しか見られなくなったら、そりゃ強いだろう。迷わないことはそのまま(無知という)強さにつながるから。物事を多面的に見てしまう者は、決定が遅くなる。それは同時に弱点となり、負けることになるのだろう。でも、迷うことがそのまま排除につながるような社会は、とても生きづらいんじゃないかと思う。

最近あるラジオ曲が、ジョン・レノンの「Imagine」を毎日流している。
ジョンの声が優しく“想像してごらん。世界がひとつであると”と歌っている。選曲した人は、平和を願っているのだろう。対岸の火事として切に祈っている。自分も含めて、他人の身になるっていうのはほんとに難しいことだから。
けれど、今この歌詞は、危ない側面を持っている。
「世界はひとつ」現実として、それはあり得ないことなのだ。国籍、言語、文化、歴史、人種、宗教、年齢…この星には全然違うバックグラウンドを持った生き物が溢れかえっている。どうしてかは知らないが、とにかくボーダーがはっきりしないぐらいに密集している。
「世界はひとつ」アーティストはたぶん、そのあまりにも多い違いを分かったうえで、「ひとつ」になることはとても難しいと知ったうえで、この曲を書いた。今、その理念は、ねじ曲げられ、違う解釈をされそうになっている。
「世界はひとつ」よろしい、ひとつでないならば、ひとつにしようじゃないか。どんなことをしてでも。
…というように。
世界はひとつではないし、ひとつにはなり得ない。「善」と「悪」で世界が割り切れるものならば、魔女裁判やキリシタン狩りの世界に逆戻りだ。
政治的なスローガンになってしまった「Imagine」は聴きたくない。
テロリズムで争いは終わらない。戦争で平和は決してやってこない。ただ一国とその周辺だけの平和ならありえるだろうけど。そんなんでいいの?

自分といえば、ドタバタしていていつものように優先順位を間違ってばかりいる。いつも半分で遠くのことばかり考えているから。テロ行為そのものも、これから何が起きてもおかしくない(しかも、何が起きるか分からない)ということも、とってもとっても恐ろしい。だから足元すらおぼつかないで、最近ちょっと疲れているんだ。
そんな中でも、そんな中だから、わたしはいつか、詩を書こう。
イメージする。
あらゆる個人的な創造行為と、その完成までの「選ぶ」という道すじだけが、理性の抵抗となり得るはずだと思うから。

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