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●#9(2001.4.23)● 届いてますか?

誰でもそうかもしれないが、わたしは自分の声があまり好きではない。留守番電話に録音された自分の声なんて、心底ぞっとする。他人が聞くのと違って、自分が聞く自分の声は頭蓋骨に反響した音だからなのだそうだ。そんな事実は、なんのなぐさめにもならないけど。
「お座敷ポエトリーベネフィット2001」を友人たち3人と主催し、実際にマイクを使って声を出してみた。わたしの声はどちらかというと細く、弱い。特にお酒を飲みはじめるとどんどん細く高くなっていって、ほとんど通らなくなる。ときどき居酒屋などで飲むと、声を張り上げてしゃべっているのに、喧騒にかき消されてしまって、隣りにいる人に何度も聞き返されたりする。そんな声のせいか、はたまたいまひとつ性格的に押しが弱いのか、自分には確かに話した記憶があるのに、相手からは「そんなことを聞くのは初耳だ」とこっちがムッとするぐらい強弁に言われたことが何度かある(もちろんわたしの記憶違いというのも考えられる。その場合はすみません)。
言葉というのはその場限りのもので、録音でもしない限り後に残らない。当り前だが。この「瞬間」という性質を持つ言葉が、ビート詩にはかなり重要なファクターになる。「目で読む詩」ではなく「耳で聞く詩」だからこそ、言葉を選び取るのがなかなか難しい。
4月8日「お座敷ポエ」で、オリジナルの詩を読みながら、客席からの反応を感じていた。不思議なもので、誰も一言も発していないのに、わたしには一人一人の頭の上に浮かんでいるうすぼんやりとした「?」マークが見えた。聞こえてくる詩そのものに疑問を抱かせてはいかんだろう。
「目で読む詩」は読んでいる途中でも、そこから後ろと前の文が見えるので、何度か読み返すことによってある程度伝わる。でも、「耳で聞く詩」は言い訳がきかない。厳選した言葉を使ってもっとシンプルに、もっと分かりやすく、もっと滑らかに、そしてもっと楽しまなくちゃ。自分なりに。メッセージとビートの間でバランスをとること、それが今後の課題。ワクワクするね。
自分が読んでみたうえで強く感じたのは、「佐野元春さんのSpoken Wordsってすげーよ」ということ。もう一度言うぞ。すっげーんだぞ、まじで。映画「ビートニク」公開記念のイベントに行った時、スクリーンに映し出された「Summer of 2000」の映像。後の参加者たちのどんな詩を聞いても、佐野さんの声で読まれる詩がいちばん優しくていちばん強くていちばんカッコよくて、そしていちばん伝わってきた。
ウェイストランドという雑誌で佐野さんはこう言ってる。「スポークンワーズってほんとは誰でも出来る。お金かからない。簡単なんだ。面白い遊びだよ」
はいっ。よーーーーく分かりましたっ!
ところで誰だよ、HP3ヶ月ぐらい更新しないかもなんて口走ったアホは。あたしよ♪…

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