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●#7(2000.9.3)● 悪 意

現代の殺人を扱った小説をたて続けに読んだ。そのつもりはなかったのだが、読みはじめて「あぁ、これはTVのニュースで流れてたあの事件ぽいな」と連想してしまうような二つの話だ。
一冊は天童荒太「孤独の歌声」、もう一冊は貴志祐介「黒い家」。前者は一人暮らしのOL拉致監禁殺人事件、後者は保険金目当ての連続殺人事件。二冊に描かれている殺人者はそれぞれタイプ的に違うのだが、微妙に似たような印象を受ける。二人とも、ちょっと変ってるかもしれないけど普通の人、つまり隣人であってもおかしくない人たちなのだ。
「孤独の歌声」の殺人者は監禁者に向かってよくしゃべるし、モノローグの部分も多い。その論理はかなり異常で自分勝手で、キレイなだけのドラマや歌の世界をそのまま具現化できると信じている姿は滑稽なのだが、その一方で妙な説得力がある。「家」「家族」に対する激情で問い掛けてこられると、わたしのような「一人派」はちょっと笑えないところがある。まだ、何世代も前から連綿と続く価値観を捨て切れてはいない。
「黒い家」は主人公の視点のみで進んでいくために、殺人者の意識のようなものは描かれていない。こちらは前者よりもはるかに巧妙で頭が良く、理想とするところが何もない。暗い悪意の底無し沼のような奴だ。
気になるのは、現在こういった純粋な悪意(もしくは善意の皮を被った無意識の悪意)を持った人たちがどのぐらいの割合でいるのだろうということ。現実に起きている殺人事件やネット上での大小のトラブルなどをみると、きっとその人数は増えている、というかそういった人が順調に成長してうようよしてるんだな、と思う。たぶん、萌芽はずっと上の世代からあったのだ。
わたしが今病気と診断されたり事故にあったとしたら、何かが崩れ、この場所に埋もれることになるだろう。健康を過信しているせいで、そんな時の自分はとても脆いのを知っている。いくらそうならないようにしていても確率はゼロとはいえない。他人が崩壊して膝をつくのを待っている捕食者が、待っているというほどではなくても鼻のきく何者かが、世界には確かに潜んでいる。
悪意はとても伝染力が強く、それ自体飽和している液体のようなものだと思う。飽和食塩水が蒸留水に向かってブラウン運動によって入り込んでいく。安定した後の蒸留水は決して元には戻らない。自分が蒸留水でいたいとは思わないけれど、飽和「悪意」水にもなりたくはない。いいものにも悪いものにも門戸を閉ざしてしまったら、なんだかとっても面白くない。
崩れないような強い何か、自分の周りが見渡す限り砂だらけでも信じていられる何かを持ち続けたい。確固とした考えや生き方とは少し違う、意識にものぼらないような小さな小さなPhisics。それを名づけることはたやすいけれど、言葉にしてしまったらあっという間に壊れてしまう危険を併せ持っている。
だからわたしは、饒舌になったり、黙り込んだりしてしまうんだ。

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