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●#6(2000.6.4)● 循環する一滴

「電波少年」で猿岩石がヒッチハイク旅行をしているのを、楽しんで見ていた。アジアの路上の風景がちゃんと汚く映っているところが好きだった。最初からただのTV番組だと思っていた。陸路で通れない筈の国にもヒッチハイクで行ったことになっていたし、ディレクター(兼カメラマン?)が付いて行ってるからTVに映せるんだし、当然みんなが「ヤラセ」だと知った上で楽しんでいるのだと思っていた。
それが、飛行機に乗って国境を越えたから「ヤラセ」だって?何それ?あの番組自体が最初から「ヤラセ」だっつーの。それでいったら、実際のところ「シルクロード」に喜多郎の音楽は流れてないし、「ウルルン滞在記」だって後ろでコーディネーターがきっちり仕事してるんだし。
もちろん、「電波少年」だって「ウルルン」だって主役のタレントが流す涙は本物なんだろう。番組はその部分だけを掬い取って小ずるく感動させようとする。切り取られたTVの枠を発見するヒマもなく、視聴者はあっさり屈服する。
オーウェルの恐怖世界で管理者は言う。「2+2=5だ」
もちろん、答えは「4」だ。しかし、「5の中に4は含まれているんだ。そうだろう?だからここはひとつ5ということにしとけばいいじゃないか」なんて大声で怒鳴られ続けたら、「5」になってしまいそうな(あるいはそうあって欲しいと願いそうな)危うさがTV制作の世界にはある。
TVだけが問題じゃないと言う人もいるかもしれない。わたしも含めて、TVは今や生活と切り離せないメディアかもしれない。確かに、TVから仕入れた知識はけっこう多い。でも、少し前までTVは視聴者に笑いを運ぼうとしていた。笑いは割と心の表層にあるもので、出しても別に恥ずかしくはない。
それが最近は「感動」を作ろうとしている。実は、桂小金治さんが司会をつとめる行方不明者発見番組に何度も泣いた世代なんだけど、それとは別の「感動させてやるよ」的なおせっかいが最近はもっと子供だましな形で強くなってきている気がする。
子供だましって判りやすいもので、モー娘。の「ハッピーサマーウェディング」に不覚にも泣きそうになった・・・。いくら実家からの引越し当日に古本を売りに行った店で流れてたといっても、そんな自分が許せないのさ(しかも結婚して家を出たわけでもないのに、だ)。きぃーっ

全てのTV、映画、小説、芝居、マンガ・・・だけではなくて、物語はいたるところに存在する。
例えば、
・家族は暖かい
・夢はきっと叶う
・世界は危険に満ちている
・どんな人とも分かり合える
などなど。
認めても認めなくても無関係でいられる人はいないし、中にはそれと意識することなく過ぎてゆく物語もある。逆に、どんなに心に残る話でも、最初のインパクトなんていつかは忘れるものだ。けれど、その時感じた本当の喜怒哀楽の気持ちは少しずつ心を鍛えていって、感じる力を強くするのだと思う。(もしかしたら、強くなった分だけ弱くなる部分もどっかにできるのかもしれないけどね)
例えば、「平家物語」の壇ノ裏の戦いなどは史実に基づいた物語だ。建礼門院と安徳天皇の悲劇は琵琶法師が音で伝え、書物になり、人の心に残ってきた。記憶に新しい、放火で全焼した「寂光院」には、平家一門の手紙を貼り合わせて作ったという張子座像があった。時を越えて伝えられてきた美しい物語が一夜にして焼け落ちた。しかし、その焼け落ちたという事実がもう一つの物語となって伝えられていくのは間違いない。
ほんとの物語は自己完結するほどひ弱じゃない。
心のフィルターを全開にした上で、通ってきた全てを否定してもしつこく残っている美しいモノ、たとえ一滴の雫のような物語だったとしてもそれが真実。生の肌触りや匂いの潤いで決める時のために、感じる力を付けておきたい。自分の脳みそにはボーダレスな引き出しを一つ一つ積み重ねて、あくまでもクールに、時にはぶわーっといきましょう。

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