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●#5(1999.11.28)● True Name

わたしは名前を持っている。親が考え、戸籍にはその名前が記入されているので、そう名乗ってきた。仲のいい人も悪い人も、好きな人も嫌っている人も、皆はわたしをその名前で呼ぶ。
インターネット上では違う名前を持っている。主に「ナマステ」とわたしは名乗っている。第一印象はちょっと変な感じを与えるようだが、そのうちに記憶の中に記号化されて、「わたし=ナマステ」という方程式が出来る。
現在、記号化された自分と本当の自分についてのTVドラマが、偶然にも2本放送されている。「危険な関係」(フジ系)と「美しい人」(TBS系)だ。前者は自分が自分のまま他者になれるのかを試すために、後者は過去の自分から逃れるために、他人の名前と顔を盗む(あるいは整形と偽名によって)。わたしが他の誰かになれるなんて考えたこともないけれど、例えば常盤チャンの顔を持っていたら人生はずいぶん変わっていただろうな、とも思う。そうすると例えば、今こうやってパソコンに向かって作っている文章もずいぶん違ったものになっている筈で、やっぱり今この瞬間の視点や言葉や時間は自分でなければならなかったんだと思う。
それでも、身体(顔も含めて)や声や名前やもろもろのことは全部他人によるあやふやな認識で、本質では決してありえない。全ての名前が仮の約束であるように。
人の本質はたぶん、ある色の光だったりある種の音だったりするんだと思う。それはただ思うだけ、断言することはできない。でも確信はある。自分の中の光や音を絶えず振動させて、いろんな映画や音楽や絵画や人にシンクロしたい。いつも自分の光や音に触れられる状態にしておきたい。時々それどころではなくて、あっという間に感じなくなってしまうあやうさがあるけれど・・・。
先日、祖母は新しい名前をもらった。戒名というやつだ。人は、亡くなった後にも記号が付く。新しい名前の祖母は、周りの人の記憶に消えない像を残す。

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